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2021-06-04

クアラルンプールが見せる70年分の東京

2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシア首都クアラルンプール観光したときのこと。

とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。

街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだ認識してきた。対して、クアラルンプール都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシア人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。

街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後東京雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやり大学講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。

まるで、戦後から現在までの東京をあちこちにばら撒いたような街だ。そう思った。

2021-02-12

話題独身税たっぷり触れてます。【移民と置き換わり、消滅しゆく日本人への「逆説の少子化対策」】

https://yt3079.hatenablog.com/

日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける

日本人移民人口比逆転は時間問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」

出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる) 

◎約90年で人口が半減するスピードしか子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機非常事態。それなのに対策は後手後手

→例えば、ウイルス蔓延現在進行形悪化スピードが早く、人権制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化ダメージ時間スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。

◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続政府自治体対策対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策効果が出ていないのが現実

→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援保育所いくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区出生率は全国平均以下)

出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。

独身低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在戦時中よりもはるかに低い出生率日本を含む先進国生活多様化しており、コスト要因の結婚必要性優先順位の低下により、低所得者から結婚回避するようになった。

◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策重要

→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援関係なく、子供を作っている。問題出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚個人自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。

動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身増税実質的独身税)」

→早婚に金銭メリットが生じて、相手理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。

少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやす育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来負担の大きい子作りに対し、反発のない対策効果も期待できないはず(作用反作用法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手倫理モラル負担回避正当化すれば、将来世代は先細りの一方。

目的少子化解消)は手段人権問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨社会になっても、子供を作らない自由意思尊重大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき) 

★本稿のポイント

少子化対策の「思い込み=(人権モラル少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にの人権モラル我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合日本人に訪れる悲惨運命とそれを回避するための、効果を優先した対策提案解説する。

〜〜〜〜〜〜

近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事日本社会政治問題意識を投げかけたいと思います

問題解決するより、発見する方が困難です。個人組織も、自ら気づかない潜在的問題により、傾いていきます少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府少子化対策関連予算先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。

現状の少子化対策育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性政策しかとられておらず、改善兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府実質的移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人移民の混在する国になっていますさらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツ海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります公用語中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。

そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児個人権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策必要であると考えますしかしそういった対策は、個人自由意志に反する可能性のある対策であり、モラル倫理観の問題で実行に大きな障壁がありますしかし、動機付けの対策有効性があって少子化改善される可能性があっても、現代人のモラル人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います

少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラル現代人の自由権利理由放棄してもいいのか。現代人のモラル価値観はその人種の存続や持続性以上に重要価値観なのかーー。

このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります現在出尽くしている対策論点とは違った観点と具体的な対策提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います

【要点・トピック

現状の少子高齢化改善しないまま、実質的移民外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人外国由来の国民住民人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間問題。不可逆になる前に手を打つべき。

政府自治体育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論けが必要国民自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化構成要素である未婚率の高まり少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策方針を「大幅に変えないと」今後もさら日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。

モラル倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラル人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。

続きは以下にて

https://yt3079.hatenablog.com/

ーー第一部//「現日本人が少数派になる日」ーー

第一章・日本人が少数派になる日

◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか

政権関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題対応するため、政府経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的移民国連定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさら推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法施行された。彼ら外国人高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民高齢化問題も出てくる。

このまま、日本人人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人外国人比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。

出生率数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口ゼロになるか」の確定年数を導ける指数内戦中のシリアアフガン北朝鮮より先行きが危ない少子化日本

出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口ゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しかまれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代就職氷河期世代不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである

この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。

内戦シリアアフガン独裁政権下の北朝鮮はいずれも出生率が2を上回る。いくら内戦政治不安経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。

◆現日本人外国人実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋日本人消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人過半数割れ

移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。

2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニック黒人アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さら2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人出生率が2を切り続けて増えず、白人人口ゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックアジア系流入がその穴を埋めているためであるアメリカ出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民出生率が高いためである現在アメリカ多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人ヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。

日本は今のPermalink | 記事への反応(1) | 02:50

2020-11-26

anond:20201126164716

昭和22年労働基準法改正により生理休暇という制度ができ、法文の中に「生理日の就業が著しく困難なる者は」といって、生理日という言葉が突如現れたのです。

しかも、生理日とは何を指すのか、ここでは全然説明されていませんでした。

それまで生理という言葉は、月経に対しては普通使われていなかったのです。

当時は終戦直後の混乱期で、法律をつくる際の国会審議などもあまり十分ではなく、アメリカ軍GHQが「よかろう」と言えば、それで法律が通ったような時代ですから、そういうことも起こり得たと思います

その際、少なくとも医師全然相談にあずかってなかったろうと思います

もし医師が関与していれば、生理という言葉絶対使わなかったでしょう。

だってさ。戦後の混乱期に誰かが考えた表現がそのまんま定着しちゃったみたい

月経という言葉は生々しくて条文にふさわしくない、とか思ったんだろうか

2020-09-23

果名温泉あゆみ

果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下武士戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。

旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館記載されている。

温泉街は一大経済圏形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和恐慌時には各地の農村から子女年季奉公旅館に送り込まれ仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。

温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉旅館執筆されており、当時の果名温泉での生活垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。

戦時中には物資の統制や倹約奨励温泉旅館営業一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリート高層ビルを建てにくかったこから果名温泉団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。

今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観旅館木造建築が再び脚光を浴びている。経営者高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメン温泉とともに楽しんでもらう行事現在に至るまで毎年秋に行われている。

(『果名村史 近代編』、果名村史編纂委員会、2018、p.201-203)

https://anond.hatelabo.jp/20200922195023

anond:20200923222848

男を減らす一番の方法戦争

終戦直後は五体満足ならそれだけでモテモテ

2020-07-15

anond:20200715174316

終戦直後と今を一緒にするなら全国の主要都市焼け野原にして

権力のない一般市民財産ほとんど召し上げないと

気持ちだけ終戦気分出せって言われてもね

anond:20200714032032

古い企業がいっせいに潰れたら、焼け野原になって草一本はえないイメージをみんな持っているけど、

終戦直後はまさにそんな状態から、発展してきたんだよね。

生き残る努力をしない者は勝手死ねしかいいようがない。

2020-07-13

anond:20200713083925

下級国民は知らないようだが、

明治終戦直後も今も政界牛耳ってるのは

大久保利通の子孫だぞ、戦犯でも裁かれてない

2020-06-19

anond:20200618171746

【実話】

俺が「1987年当時」入っていた施設では

休み時間収容者に対して行われた心理テストでは

「間違い電話がかかってきて電話交換局に苦情を言う」というシチュ描写が書かれていた

1987年当時」だよ

終戦直後じゃないよ

すでにほぼ全世帯自動交換になって数十年、公衆電話テレホンカードが使われてた時代だよ

どうも米軍占領時代GHQの手で作られたテキストがそのまま30年間使われていたらしい

2020-04-14

anond:20200414150702

明らかに家庭環境ガチャで外れ引いてる名前はあるにはあるけど、希空(のあ)くんちゃんぐらいだと流行り廃りの範疇かな

今30前後ぐらいの年代一般的名前も、終戦直後ぐらいのラインナップと比較するとかなり異質だし

2020-04-07

anond:20200407005413

時代錯誤兵隊さんの幽霊が見えるぞ

の子アニキを呼ばないと

やっぱり嘘か

一億火の玉→無条件降伏の時からお前がそういう人間だと思っていたよ

って見えたんだが・・

終戦直後拉致された日本人からならったような日本語をつかう人がいるとおもうとそれもこわい)

2020-03-03

【NOT陰謀論?】コロナウイルス日本銀行勝利

2013年アベノミクススタートして以来、日銀は「年率2%のインフレを目指す」

と言いながら、10年近くそれを果たせずにいる

で、政府は2度にわたり消費税増税して、見た目の物価は上がったが

増税分は税収として国庫に入るので、小売店メーカーも儲からない

そもそもどういう状況ならインフレが起こるのかといえば

経済学の基本では品物が不足すると物価が上がるといわれる

・・・

そして現在コロナウイルス騒ぎのおかげで

マスクが不足、トイレットペーパーが不足、次はあれが不足これが不足と

消費者パニックに陥りかけてる、かくして紙製品不足が進めば

品薄を原因とした物価上昇が本当に起こるかもや知れない

かつて1973年には石油ショックに端を発する

「狂乱物価」と呼ばれたハイパーインフレが起こり

その象徴のようにトイレットペーパーが高騰して品不足となった

何やら因果関係が逆になっているが、日銀財務省のお偉方で

1973年石油ショックを知っている世代人間

「これはインフレ到来の徴候か!」と思っている者もいるかも知れない

・・・

以上は半分冗談のようなヨタである

現在中国では製造業の多くが生産停止の休業状態となっている

肺炎騒ぎが沈静化してもまずは国内物流が優先で輸出は後回しだろう

となれば100円ショップなんぞの安い中国製品供給不足になるだろう

国内生産に切りかえれば人件費が高く付き

ベトナムやらタイやら他の新興国生産を頼っても

当面は従来の中国からの輸入より輸送費が高く付くだろう

必然的消費者物価は上昇するのではないか

・・・

あれれ? この10年近く喉から手が出るほど「年率2%のインフレ」を

待ち望んでいた日本銀行の思惑にぴったり合致しすぎなぐらい合致してるぞ

そういや終戦直後日銀幹部は旧731部隊関係者だったらしいなあ(棒読み

ウソ

2019-11-01

沖縄のことを書いておきたいと思った

から首里城燃えてるのをニュースで見て陰鬱気持ちになった。沖縄の方や血縁の方、首里城を訪れたことのある方はなおさらだろうと思う。

私もルーツ沖縄に持つ一人として、ほんの少し心が痛い。といっても、沖縄を訪れたことはないし、今となっては戸籍証拠も残ってない。このまま消えてしまう私のルーツ個人的沖縄との関わりを書き残しておこうと思う。

私の母方の祖母沖縄出身。母は昭和一桁生まれ戸籍大阪市内小学四年生父親が亡くなり、母ひとり子ひとりで苦労したらしい……と、母からは聞いていた。祖母が亡くなったのは私が三歳の頃。当時は沖縄アメリカ占領下にあり、本土復帰が成されてから実の弟さんが訪ねて来られた。たしか夜だったと思うが、フェリー見送りに行ったのか迎えに行ったのか、夜の港へ行った記憶はある。後に聞いた母の話を繋ぎ合わせると、ようやく連絡がとれたものの、祖母がすでに亡くなっていたので、分骨して持ち帰られたのだという。だからおそらく、祖母は生まれ育った土地に帰ったのだと思いたい。しかし、母はその後積極的には沖縄の親戚とは連絡を取らなかったし、向こうからも連絡はなかったと思う。今でも実家手書き電話帳が残っていれば、沖縄の『Tさん』の名前電話番号が残っているかもしれない。

(私が、親が亡くなってから実家没交渉なので確認するすべが無いのが残念なのですが)

……と、思っていたのだ。母の話は整合性あったし、墓には祖母名前が刻まれていて、分骨はしたもの祖母の骨が入っている。沖縄から来たおじさんの記憶ぼんやりとながらある。

しかし、母が亡くなった時に確認した戸籍に、母親(私の祖母)の名前はそこにはなかった。

そこにあったのは、親戚より仲良くさせていただいていた、とある女性名前が書かれていた。親戚よりも仲良くさせていただいてはいたけど、戦争直後に母子家庭同士で助け合ったから仲良かったんだろうなと勝手に思ってたんだけど、そうじゃなかった。

そこから遡って、いつぞや母から聞いた細切れの情報繋ぎ合わせると、えらいややこしい話が出来上がってしまった。

母が生まれた頃(昭和一桁代)、沖縄日本ではなかった。出稼ぎ本土へ来た人は、港湾関係女性は紡績工場で働いてる人が多かった。沖縄出身者は差別を受けてたんで、コミュニティを作ってその中で生きるか、もしくは沖縄出身だということを隠して自活するかのどちらかだったと思う。

祖母沖縄コミュニティを離れたのだと思う。で、何らかのきっかけがあって、大阪とある商家長男の娘を授かることになる。が、ここで祖母戸籍問題になる。

たぶんここで、母の記憶にある『杖に長刀を仕込んだおじさま』が絡んでくるのではないかという推測ができるのだが、これはあくまでも推測であるので置いておく。とにかく、何らかのすり替えが行われて、母はH家の長女に納まった。『大事な一人娘に掃除なんかさせなくていい』と言われるくらいのお嬢様だったらしい。小学四年生父親が亡くなったというのに、終戦直後私立キリスト教女学校入学して高校まで通っているので(同級生だった友人もいたし、写真も残っているので与太話ではないはず)、お嬢様だったのは間違いない。

母は小学校学童疎開生駒の方に行ったという。そこに時々、会いに来てくれていたとも、祖母が食料を求めて京都の奥だか北陸の方だかに度々買い出しに行ってたらしいという話も聞いた。

で、なんだかんだあって、次男坊だった父が婿入りって形で結婚したわけですが、祖母と母はずっと一緒にいたわけで。子供が二人出来て、下の子が1歳になるとほぼ同時に祖母が亡くなったんだけど、この時に葬儀ができないってんで大騒ぎになったとかで。

今考えると、戸籍がない、娘もその事実を知らないって、大騒ぎにもなりますわな。

でも、また何らかの大人たちの仕事により『H家のS子』として葬儀をあげて、H家の墓に収められたんですけどね。

小さい頃、祖母のことも知ってる知り合いに、よく言われたんですよ。黒々とした髪や、大きい目が祖母によく似てるって。

写真で見る祖母はすでにおばあちゃんなので、本当に似てるのかどうかは自分ではよく分かりませんが。でも、沖縄の血を引いてるから目が大きいんだって言われるのは、ちょっと、いやかなり子供心に嬉しかったのを未だ覚えています

でも、祖母本人から沖縄の話は聞いたことがなかったし、祖母沖縄へ行った(帰った)話は聞いていない。

私が知るのは、祖母旧姓が『多和田』だということ。その苗字の弟が、亡くなった祖母の骨を沖縄へ持ち帰ったということ。

母は沖縄のどこに祖母の遺骨が埋葬されてるか聞いてるはずではあるが、それを書き残してはいなかった。その理由はわからない。ただ、電話帳に弟さんの名前電話番号が書かれていた。一度も電話することはなかったけれども。

私には沖縄ルーツとする遺伝子があるはずなのだけれども、戸籍がなんだかよく分からないことになっているので証明する手立てはない。

ただ、無口で気が強いという祖母という、周りの人から聞かされる印象が『沖縄出身』というフィルターを通してみると違ったものに見えてくる気がする。

無口なのは沖縄出身であることを隠すため。漏らさぬため。

気が強いのは、強く在らねば生きられなかったから。沖縄出身者のコミュニティにいれば居心地は悪くなかったろうけれども、大阪人達から差別を受け続け、港湾付近状態の良くない場所に住み続けるしかないわけで。それを抜けるには、そうするしかなかったのではないだろうか。

祖母沖縄へ帰らなかった。母がいたから。沖縄戦場になった時も、祖母沖縄へ帰らなかった。帰れなかった。だから戦争が終わったあとも帰らなかったし、連絡も取れなかったのかもしれない。

祖母の骨は半分沖縄へ帰った。

戸籍では繋がりがないけれども。でも、私の祖母なんだ。どこに埋葬されたのか、今の私ではもう探せないけれども。探すなら、母が生きてるうちに言いくるめてやれば良かったとは思うんだけど。今更言ってもしょうがない。

戦争中、首里城燃え落ちた時、それを聞いた祖母はどう思ったのだろう。帰れない故郷を思って泣いたのだろうか。

私が3歳になる直前に亡くなった祖母の心を今更知ろうとしても難しいけれども。祖母沖縄から大阪へ来て、何を考え、何を隠し、どう生きようとしたのか、もう少し考えてみたい。

2019-10-17

anond:20191017232724

そんな事実はないよ。その証拠終戦直後日本史上稀に見る焼土死者米すら食えないクソ貧乏でもたくさん子供を作っている まあこれが団塊世代ってやつだ。これが事実だ。

2019-09-03

過去のことをグチグチ言う洗脳された国民性

終戦直後GHQは、日本人贖罪意識を植え込む「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムWGIP)」という洗脳政策実施しました。

メディアに対する検閲制度では30項目の禁止事項が定められ、

具体的には、「アメリカ憲法を起草したこと報道してはならない」「東京裁判批判してはいけない」などがあるのですが、

その一つに「朝鮮批判してはいけない」という項目があるのです。韓国への批判自主規制するのは、東京裁判史観の表われです。

日本メディアはすぐに「日本人軍隊を持つとすぐに戦争を始める」と言いますよね。これはGHQセリフなんです。

日本人は1000年前から戦争ばかりしてきた」という中国プロパガンダを当時のアメリカ人は信じていたから、

日本人にもそう教え込んだ。「憲法九条を守っておけば日本平和だ」というのもGHQの教えそのままです。



日本人は卑屈であれと洗脳されている。

中国その他は日本に全て奪われたかのように洗脳されている。

どこもかしこ洗脳まみれだ。

過去ではなく今を見つめ、お互いに対峙して判断したいものだ。

2019-08-16

anond:20190816163310

いまどき、というか終戦直後こそそんな奴いたのか…という

2019-07-14

将棋升田幸三GHQ論破したエピソードって史実なの?

ますだといえば升田幸三九段ですが、

将棋ファンなら知っているであろう升田がGHQに乗り込んで論破したって有名なエピソードがあります

Wikipediaにも載っていた。

終戦直後日本統治していたGHQが、「将棋相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待思想に繋がる野蛮なゲームである」として禁止しようとした。将棋連盟代表としてGHQと相対した升田は「将棋人材有効活用する合理的ゲームであるチェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜虐待ではないかキングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿民主主義レディーファースト思想に反するではないか」と反論した。

これソース探したんだけど見つからなんだ。

これって史実なの?後世の創作

升田といえばショーマンシップ溢れる男だったから、「白髪千丈」的な誇張されたエピソードに過ぎないのかもしれない。

ソース知ってる方いたら教えてけろ。

2019-05-01

anond:20190501170459

うん、天皇を支持していることをあからさまに表明するような奴はこんな奴だったね。

から、こいつのやってることこそが天皇に対する不敬だといってるんだよ。

もう明治維新終戦直後みたいに、陛下意向を使って国家の方向を協力に導かないとならないという時代じゃない。静かに国家の安寧と交流に心を砕いてくださったらいい。

また、いつか国家の危難の時に旗頭になってくださればいい。もうないと思いたいけど。

2019-04-22

[]ズージャ語

終戦直後ジャズバンドマンあいだで使われた隠語のこと。

特にジャズ」を「ズージャ」と言うような倒語(逆さ読み)を指す。

これが芸能界に輸入されてズージャ語=業界用語のようになり、

一部は一般にも定着した。

タモリという芸名は、本名の「森田」をズージャ語で読んだものである

2018-11-29

赤木春恵の死去

赤木春恵といえは、私の世代ではやはり渡る世間と金先生だった。

2005年NHKの【あの日 昭和20年記憶】に出演した赤木春恵証言を思い出す。

終戦直後満州ソ連兵に怯えながら、夜を過ごした証言

慰問団女性たちはおばあさんの扮装をして、頭におしろいを振って、白髪にみせかけて難を逃れた話は生々しいものがあった。

あの番組アーカイブはないかな、と探していたら、別のインタビューだったが、以下の証言記録が見つかった。

http://true-stories.jp/?p=100

合掌

2018-11-11

高度経済成長期の日本って俺が学んだ記憶によると

終戦直後安かろう悪かろうの劣悪な日本製品から一転して安くて高品質日本製品欧米先進国へ輸出されるようになり、朝鮮特需もあり躍進

ただし、欧米先進国向けの製品日本国内および日本と同等かそれ以下の経済規模の国では高価なもの庶民がおいそれと買えるものではなかった

当然ながら日本国内向けのものは粗造濫造格安品が庶民の買える製品だったと記憶してるんだが・・・

高度経済成長期を買い支え顧客欧米先進国であって、アジアの才能という謎過ぎる存在でないのは確かだけどなぁ

2018-11-09

anond:20181108223659

それ、明治時代人間も、終戦直後人間も言うてた

ま、同じく英語より効率悪そうな言語使ってる中国インド経済発展しとるからな。時間はかかったけど

2018-10-01

現在日本人摂取カロリー戦後直後以下というのをご存知だろうか?https://treasurenews.jp/archives/5436/

終戦直後よりエネルギー不足となっており、不健康で、ほとんど飢餓状態にあるといえる人が少なくありません。そういう人たちは、不妊リスクも抱えています

順天堂大学らと共同で実施した『卵巣年齢共同研究プロジェクト』の結果では、20代で卵巣年齢が40代相当だった女性体脂肪が少ない痩せ型で、30代ではビタミンD不足、つまり栄養失調だったんです。https://www.huffingtonpost.jp/2018/01/25/working-women-body-shape_a_23343129/

少子化の要因の一つは日本人カロリー不足にあるといえる

ところで諸兄らは知っているだろうか

100円ローソンヨーグルトは低脂肪脂肪0しかないことをhttp://store100.lawson.co.jp/product/valueline/category/1263786_5033.html

まりローソンはその商品展開により日本人カロリー摂取量を漸減させ、もって女性妊娠妨害することで国家の弱体化を企てる国賊である

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