はてなキーワード: 毀誉褒貶とは
あんまり多く語られてないが、初期のゴールデンカムイは明らかに「山賊ダイアリー」とかのジビエブームの流れに乗っていた。
公式切り抜きがネットのミームになったり、そういうところから徐々に認知度が上がっていった作品だ。
今では評価が固まり過ぎて「多様性が」とか「歴史評価が」とか、批評的にお利口な語り口でばかりその魅力が語られるが、実際に初期から連載とその人気拡大を追っていると、ゴールデンカムイにはそれだけでない多様なフックと、それをタイミングよく引っ掛けるそれこそ漁師の神業がふんだんに見られた。
ゴールデンカムイの受容(需要)の変遷をまとめることによって、長期連載漫画が当たるためにどれだけ多くの仕掛とチャンスを要するのか、改めて考えてみたい。
2014年8月、連載始まる。 増田はこの頃はまだ読んでいない。
1話ははっきり言って、刺さる人には刺さるのかも知れないが、古臭い冒険ものの空気しか感じられない。
「露助」と差別語を使う戦争帰りの主人公。囚人を殺して皮を剥ぐ猟奇趣味。まだ頭身の高い美少女のアシリパ。
一部のネクラには受けても、一般には忌避される湿っぽいダークさが作品を包む。
キャラクターも、薄汚い囚人たちに、死をも恐れぬ兵隊、そのトップの怪人中尉と、マイナーさは否めない。
しかし、連載数話目から、この漫画にはちょっとだけ流行の要素が入ってくる。「ジビエ」である。
当時は「山賊ダイアリー(2011〜2016)などの猟師ものが密かにブームを迎えていた。
あるいは、同時期(2011〜2019)のメジャー作品として荒川弘の「銀の匙」など、「命をいただく」をテーマにした漫画も人気を博していた。
ゴールデンカムイはこの流れに乗って、「冒険をしながら猟師生活を見せる」というストーリー構成で注目を集めていくことになる。
ニコニコ静画のタイムスタンプによると、ゴールデンカムイの公式切り抜き漫画「アシ(リ)パごはん」第一回が掲載されたのは、2015年1月となっている。
初回は「リス」。可愛らしいリスの皮を剥き、ミンチにしていく様子がコミカルに描かれるシーンを作中から数ページ切り抜いて公開した公式の切り抜き漫画である。
これが、受けた。
チタタプ、オソマ、ルイベなど、アイヌ語の食べ物の名前が広く知られるようになり、アシリパがアザラシをしとめるシーンなど、コミカルなカットがネットミームにもなる。
しかしこの頃もまだ、一般受けする漫画とは言い難かっただろう。なにせ「山賊ダイアリー」のような、「命をいただく」テーマ自体が重すぎる、マイナーメジャーのものだ。キャラクターも男臭い変態だらけで「ホモソ受け」という感じは強く、牛山も女を武器にする卑劣漢だった。(このマンガがすごい! 2016 オトコ編 2位、マンガ大賞 2016 大賞)
増田自身、この頃作品を知り、アシリパごはんは面白く読んでいたが、金塊探しというメインストーリーにはまったく興味が持てず、長いこと本編は読まずじまいだった。
10巻頃まではこの漫画はこういった男向けの要素だけで進んでいく。変態的な囚人、覚悟を決めた簡単に死ぬ兵隊、「命を食らう」生活感。
しかし、ここにきて大確変要素が加わる。プリンス鯉登、心に闇を抱えた尾形などの、圧倒的に乙女受けなキャラクターやエピソードが増えたのだ。
彼らのシーンを見た瞬間に、増田は「あッ、これはジョジョみたいに腐女子アンテナにひっかかるゾ」と確信した。
今となっては当たりも当たり。SNSで「ゴールデンカムイ」を検索すれば9割女性向け同人イラストという現状への変動がこの瞬間に確定したのである。
そして本作はこの勢いを掴んだまままさに滝を遡る鯉のごとく大作へと変貌を遂げていく。
シリーズ前半のクライマックスとも言える網走監獄編を見事なテンションで描ききった本作は、アニメ化(2018)、手塚治虫文化賞 マンガ大賞(2018)、大英博物館の特別展においてキービジュアルを飾る(2019)など、大躍進を遂げる。
アニメシリーズは海外配信も好評で、海外にもファン層を広げる。
大英博物館の展示では、「女性を表している点。(中略)アイヌという少数民族の文化を描いている点」など「ダイバーシテイの理念を体現する作品になっている」を評価されキービジュアルに選ばれたとされる。
「多様性」や「文化歴史描写」に優れた名作という評価は、この段階で確立された。
網走監獄編で大きな波をひとつ越えたあと、人によっては中だるみと言われる樺太編に入る。
すでに確立された名声を揺るがすような劣化も見られないが、特に新しい要素が受けたわけでもないので話題は少なくなる。
このあたりで増えた要素と言えば谷垣を中心に多用される「ホモギャグ」である。
増田の受け止め方としては、「文化的な名作」扱いに対する作者の反発と言うか、何かヤケクソなものを感じる。
宇佐美の「◯◯探偵」に至っては常軌を逸しているというか、ここだけをもってして「文化的な作品」として他人に勧めることは出来ないだろうと思う。
しかしこれもある意味で時代は掴んでいるのかも知れない。一部のラディカルフェミニストを中心に、この過剰な下ネタが「セクハラのミラーリング」として全面肯定される現象も見られた。ほとんどの人には、ホモソーシャルの笑いの延長にしか見えないと思うが。
清濁合わせのみ毀誉褒貶を越え、本作は2022年に連載終了を迎える。
作品としては大団円だったものの「文化的」という名声を得すぎた故の重箱の隅をつつくような批判が最終回のいくつかの描写につけられた。
単行本化に際してそのうちのいくつかは修正され、うるさ方もそれで納得したのか、今では「文化的」で「多様性」を表現した、歴史に残るすばらしい名作という評価がほぼ揺るぎないものになったように思われる。
しかしその8年にも渡る連載期間を省みれば、このようにさまざまなフックと変化で客を掴み、興味を維持し続けてきた結果のことなのであって、ただ「綺麗な作品」(と思う人もまあいないとは思うが)を描いたから評価されたというような単純な話ではないのだということは覚えておきたい。
トラバもブコメもだけど、「自分の趣味にあった部分」だけが評価の対象じゃないと許せないって思考回路のやつ、キツいわ。
「血なまぐさい男受けだけじゃ同人受けや海外受けまで広がらなかったよね」ってことが書いてあるのわからん? 日本語わからん?
根本的にこの文章で書いてあることが何かということが理解できてないと思うので、自分が機能的非識字だと認識した方が良いよ。
クライマックス付近の無料公開で認知を広げたのは書いといても良かったなとは自分でも思った。
正直、毀誉褒貶あれど18年~21年の審査員布陣がバランスとしては完璧だった気がするのよね。
「『私が日本のお茶の間の代弁者やで』という顔ができる関西ワイドショースター」
「ダウンタウン以前の漫才側の長老、正統派関西しゃべくりの守護者」
「浅草・漫才協会を背負った『非関西漫才』の代表、理論派、システム漫才の守護者」
「初期審査員の流れをくむ、他ジャンルの著名人、かつトリッキー地下漫才の守護者」
東西・世代・王道とトリッキー・芸人受けと一般受け、あらゆる方向からの評価軸に対応できている(少なくとも、そう見せることができる)メンバーだったと思う。
志らくさんの後任…太田さんや佐久間さんは、本人がこれだけ固辞して見せた上で「やっぱ出るわ」はサプライズより「嘘つかれた」興ざめ感が勝ちそうだからないとして。談志の流れをくむ、ってところを考えると立川流から?でもまさか志らくさんより格上年上な談春さんや志の輔さんが来るわけはないし、かといって下の世代にスターはいないから「笑点メンバー」って線はどうか。他の審査員と同じくらいの世代って考えると宮治さんとか。
あるいは「他ジャンル視点で見てくれそう」って枠で考えて、かつ今年こんなに準決コント漫才の人が増えてることを加味するとコントの人って可能性もある。東の富澤さんとのバランスで山内さんって思ったけどKOCからしばらく退かない(KOC審査員は今の布陣が本当理想的だと思う)だろうから、がっつりコント側でKOC退いた設楽さんとか?内村さんを「東・コントの長老」扱いで出す可能性もある?シティボーイズとして大竹まことさんが出てた時代があることを考えたら、別に小林賢太郎ってサプライズ人事があってもいいんだぜ?
あ、非関西・コント側だったら去年M-1も挑戦してるう大さんもABCの審査員とかしてるからあってもおかしくないけど、まあ岸田賞取ってからかな。サプライズで言えば、過去の因縁を乗り越えて矢作さんという説もある。ないか。
M1出身漫才師の枠は引き続き埋まってるから、石田さんや小沢さんのスライドはないと思うんだよな……ただ石田さんはNSCの講師とかしてるそうだからここ何年かで塙さんとかと交代で昇進(別に過去審査員やってるけど)はありそう。アンガ田中さんもそういうタイプじゃないし…。
というわけで個人的な予想
◎ 桂宮治
☆ 小林賢太郎
日本には「恐妻家」という言葉があるから「Wife guy」という言葉はいらない、というブコメが多すぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230408174628
元記事の「妻を利用して自分自身の評価を上げようとしている男性」「女性化する前のりゅうちぇるへの毀誉褒貶」という部分を少しも読み取れてない。
グラドルや女芸人として商売してきた女性タレントが、売り物が無くなってから育児ネタを売り物にし始めるのに似たようなものが、
愛妻家アピールやイクメンアピールすることでSNSでの存在感をキープしようとする男性タレントにもある、それに近いものが「Wife guy」。
彼氏マテリアルとしてジャニーズ的な人気を博していたジャスティンビーバーが既婚者になってしまい、
愛妻キャラに「キャラ変」して地位をキープする、そういう評判資本主義への揶揄だよ。
悪妻ネタはソクラテスや宮迫博之が男ウケのためにやっていた。「Wife guy」のキラキラ感は女ウケ狙い(=男にクッッッッッッッッッソ嫌われる)だから違う。
妻関係ないけど、子供を利用して女性フォロワー集めている「てぃ先生」とかのほうが絶対に種類が近い。
ChatGPTは言葉を理解していないから人間にかなわない説が本当に馬鹿げていることをしみじみ実感するよ。
人間も他人の言葉を聞いていないし、聞かない読まないんだから当然理解していないし、多分ChatGPTのほうが要約上手いよ。
「incel」(インヴォランタリー・セリバシー、自主性のない独身)は、自分自身の意志とは関係なく性的・恋愛的なパートナーを持てないと感じる男性を指す。
「Wife guy」は、妻を中心に自分のアイデンティティを構築し、過度に妻をアピールする男性を指す。
ChatGPTに聞いた、過去に「Wife guy」として言及されたことがある有名人の例。
男性が妻に対して過度に依存している、または妻を利用して自分自身の評価を上げようとしているという、皮肉や揶揄が込められている言葉だそう。
「incel」と「Wife guy」の比較論等は、英語圏の評論家やジャーナリスト、ポッドキャスターなどが割と取り上げているようだけど、日本語圏では「incel」しか取り上げられないように感じる。
まず日本語圏では、「Wife guy」という概念の知名度が絶無に近いだろう。「incel」も一般知名度は低いが、弱者男性界隈ではよく知られた言葉だ。「Wife guy」については、知られている界隈が存在しない。
日本語圏がだいたい西欧文化の後追いをしていることを考えると、結婚が人権や義務ではなく自由な人生における個人的達成へとシフトしたことにより、
雑感です。
ふだん政治には興味を持たないスタンスで、理由は「本当のところはわからない」から。選挙権を得たときからずっとスタンスは同じで、ゆえに投票は「自分にとって都合いいこと言ってるかどうか」だけで決めている。俺は政治に興味がない一般大衆なので、それ以上のことは考えないと決めている。ゆえに政党がどうとかいうことにも興味はない。
事件の被害者に関しては特になんの感情もない。知り合いじゃないので。
ただ、今回の事件はさすがにでかすぎる。ふだん政治に興味を持たないと決めている俺でも、関連のニュースはかなり追ったし、ブコメも読んだりした。
まず事件の第一報を聞いて感じたのは「勘弁してくれ」という感情だ。この「勘弁してくれ」の中身には多少説明がいる。
まず、事件が象徴的すぎる。でかい。元国家元首が暗殺された。それも毀誉褒貶いろいろあるタイプの人がだ。そして大きな事件が起きたときには、かならず世のなかのなにかが変化する。特に今回の事件の被害者はネットにおける論争の争点になりやすい人だ。
俺は、人が大きく動くことがとても怖い。無数の人の感情が一体化して大きな拳になったときに、たいてい殴られる側に属してきた。今回も、きっとなにかの変化がある。どう変化するのかはわからない。俺の「勘弁してくれ」はこの不安と恐怖に由来している。
たいていの大きな事件の後って、変化はそのときすぐにわかるようなものではなく、たとえば20年後になって事件を振り返ったときに「あれ? あのときからじゃね? 変わったのって」というかたちで気づくようなものだと思う。今回、ふつうの人程度だとはいえ、ある程度は事件を追いかけているのは、その変化が自分にとって都合の悪いものではない、という確信を得たいからだと思う。もちろん原理的にそんなもんは得られないわけだが。
次に、速度感が速すぎる、と思った。
インターネットあるのであたりまえである。が、それにしたって速すぎる、ということをあらためて痛感した。
事件が起きたときにもっとも怖かったことのひとつに模倣犯がある。なので、ふだんはやらないツイッター検索で「模倣犯」で検索をかけてみた。そうすると、さまざまな意見がある。要するに、みんななんか言いたい。だから言ってる。それはそういうものだろう。システムとして「言える」ものが存在してるんだから。
ただ、それでもなお速すぎる。
死んだ人がそういう立場にあった人だから、といってしまえばそれまでだけど、その死は、すぐに意味づけられなければならないものなのだろうか。毀誉褒貶があるということは、評価が定まっていないということだ。定まっていないものを定まったもののように語ることは、これこそが政治性であり、俺がもっとも「政治」に関連して苦手とするものだ。もちろん知ればいい。知る努力をすればいい。しかし俺は政治というものに関してそこまでのコストを支払いたくない。ゆえに知らない。
ならば、その人の死について意味づけをしようとする人たちはなにを知っているのだろう。そこが疑問だ。知らない人たちの言葉が大量に舞っている。それらの言葉を発した人たちの背景を俺は知らない。言葉そのものから情報を得るしかない。けれど、だれもが自分の背景を詳しく説明できるほど文章を書くことに特化しているわけでもないし、そもそもこれだけ大量の人間の発言の背景すべてを知ることは物理的に不可能だ。そういう言葉が大量に流通していることそのものが怖い。
もちろん、そういうものだと納得はしている。可視化されているのが前提の時代だ。俺とてもその言葉を娯楽として消費していることは多々ある。けれど、怖い。多くの人が、自分の生活に密接に関係するわけではないことについて、大量の「判断」を下している状況そのものが怖い。
あと、暴力の否定や人の死に関する扱いについて、ちょっと疑問があった。
暴力はよくない。あたりまえである。殺されてもしかたない。そんなことはもちろんありえない。なぜなら、この世界はそうしたものを否定したうえに成立しているからだ。なので、暴力否定はあたりまえである。俺も殴られるのいやだし、殺されるのもいやだし。
でもまあ実際のところ、今回の事件を通じて多くの人が感じたのは暴力の有効性のほうだと思う。だからこそまず、事件に触れる人はその有効性を否定しなきゃだめなんだろう。ただ、有効性を全否定となると話はちょっと違ってくる。「なるほど、有効である。ならそれを有効でなくするにはどうするか」という話だと思うんだが、まあこれは触れるには時期が早すぎるということなのかもしれない。
それともうひとつ感じたのが「供述の力」みたいなものである。犯人が宗教云々という発言をしたことで、焦点がごっそりとそっちに向いている。これ、たとえば「政策が気に入らなかった」とかだと世論はまったく違う方向を向いていたに違いないし、今後も違う方向に進むだろう。犯人の供述、ドチャクソ強い。象徴性のある人物を殺したことによって得た発言権、めちゃくちゃ強い。過去に起きた自分が知ってる限りのいくつかの大事件でも、やっぱりなんらかの象徴性はあったと思うんだけど、犯人が単独、殺した相手が有名人で、しかも国家元首。象徴性のでかさ半端ない。供述の声、めっちゃでかくなる。メディアが大宣伝してくれる。
で、それはどうなの?と思う。ここのところはちょっとうまく言語化できない感じなんだけど、素朴に、殺人やった人になんでそんな影響力あんの、という疑問。かといって、なにもあきらかにされないのではよりよくないだろう、ということくらいはわかる。正解が見つからないんだけど、ヤケにさえなれればやったもん勝ちじゃん、みたいな感じがする。それは違う気がする。
で、いろいろ見てきて、今回の事件、もちろん歴史的大事件には違いないし、年表にも確実に載るだろうなと思うけど、その後のニュースの動きを見ている限り、そこまで根こそぎの変化が起こるものじゃないような気もしてる。
ちょっと前、どれくらい前からかはよくわかんないけど、なんとなくはてなを眺めてて「ああ、政治の季節ってこういうふうに始まるのかな」みたいな感想を持ってた。よく知らないけど安保闘争とか? 政治に興味を持たないこと、政治的思想性がないこと、そういうのがダサいとか無責任とか思われるような時代。まあ来るなら来るんだろう。俺には関係ないけど。
だれでもネット上でなんらかの発言はできる時代になったけど、かといってみんながみんななにかを言おうとしているわけでもない。特に声を上げることをしない人たちを駆り出して、ひとつの方向に動かすようなタイプの事件かな、というと、あんがい人は明日も明後日もふつうに生活してるんじゃないかなと思う。過去のいくつかの大事件と違って、すぐに自分に影響が及ぶようなものじゃないから。
ただし、俺はテレビを見れる環境を持ってない。こういうとき、テレビがその死をどう扱うかは、世論にバカでかい影響を与えそう。
今日、知り合いのじーさんからこの事件の話題を振られて、こんな地雷原みたいな話題に触れるのいやだったから「いやあ、テレビ持ってないんですよね」と答えたら「え? 持ってないの?」ってすごく驚かれた。「パソコンでたいてい間に合っちゃうんで」と答えたら「パソコンでテレビ見れるの?」って言われた。
考えてみれば、テレビが家にないということが相当に「おかしい」ことだった時代って過去に確かにあった。よほどの変人か、世捨て人か、まあそんなようなイメージ。それがいつのころだったかはよく覚えてないけど、この世にはまだテレビがすべての情報源の王様だと思ってる人が、わりとたくさんいる。その影響力は大きい。
別に結論はない。まとまってもいない。いま感じたことをとりあえず書いておかないと不安だからそうした。増田あってよかった。
俺はただ、明日も明後日も、人々が地に足をつけて日々の生活をし、半径何メートルかの人々を愛し生きていることだけを願う。だからこそ政治が重要なのだと言われれば、それもそうだろう。だれも政治には無関係ではいられないはずだ。けれど、ふつうに生活している人たちが党派性に乗っかって大騒ぎする必要があるのかと問われれば、疑問符をつける。言葉は、独り歩きする。それはよくも悪くもだ。言葉の上で言葉が乱舞し、雪だるまみたいに膨らんでいく。どこに立てばいい? だれが俺の安寧を保証してくれる?
安倍晋三という人は、右派ナショナリスト傾向のある政治家で、慰安婦問題などで歴史修正主義的な見解を述べることも多々あったというのは結構知られた事実ではある。
そのため、アメリカなどの社会正義の実現に邁進する人たちからは安倍晋三はトランプに次ぐ悪の政治家と見做されていたらしい。
そのため、今回の暗殺を受けて、この手の人々が英語で有る事無い事書いて暗殺を歓迎するかような発言たちが結構バズっていて、ダイバーシティとか気にして日頃うるさいGAFA社員とかも嬉々としてRTしたりfavしている。
たとえばこんな感じ。
他にも、『慰安婦問題に取り組んだ偉大な首相を日本は失いました。身の回りの女性を"慰めて"あげましょう』みたいな下劣なtweetも多々あった。
まんまヘイトスピーチなんだよね。
安倍晋三という政治家は毀誉褒貶が激しいところではあるのは事実だし、その功績は公人として功罪ともに正当に評価されるべきだ。それは間違いない。
けれども、他国の、公正な選挙の末に選出された政治家の暗殺を、死去の直後からオモチャにして揶揄するなんて一切モラルがなくてあんまりだ。
※一番下に追記あり
どの候補を推すかで迷ってる人に向けて、
候補者の絞り込みに役立てそうな Tips を紹介したいと思う。
今時の議員候補者は、自身の名前を売るために Twitter アカウントを運用しているのが多数だと思うんだが、
そう言う候補者に対し、Twitter で 「参議院候補者名 + ブロック」で検索すると割と面白いことが分かる。
と言うのも Twitter のブロックは、ブロックした相手に拒絶を突き付ける行為だと俺は思ってるんだが、
そのブロックの運用方法如何によって、その候補者がどう言う人間性、器量を持ってるかマジでハッキリと分かるんだよ。
例えばある参議院候補は、界隈(A)で自分達の意見を国会に届けられるのはこの人達だ!みたいなリストに入っているヤツで、
別の界隈(B)ではそいつ自身の言動が原因で界隈(B)の一部から蛇蝎の如く嫌われてるみたいなヤツなんだけど、
そいつはメディアとかで「自分は誤解されているだけで、現実には対話が大切だ」と主張してるんだよな。
で、現実に Twitter でその「候補者名 + ブロック」で検索したらどうだったか。
なんと驚くべきことに(俺は当然だろうなと思ったが)、
自分にとって都合の悪いことを言うヤツを片っ端からブロックしていて、
しかも単なる事実誤認の指摘をしただけの人間もブロックしている、と言う、
「私は実に器量の小さい、しょうもない無いチンケな奴です」と言う事実を白昼に晒してたんだよ。
まぁソイツの名誉とかもあるからその候補者が誰かはここでは書かないが、
実際 Twitter で「候補者名 + ブロック」で検索すると、そう言う綺麗事だけ言っていて、
現実には自分の口から出した言葉すら守ってないヤツがあぶり出せるし、
しかも議員候補者が有権者を片っ端からブロックした、と言う事実は、
それが多数であれば多数であるほど「俺は○○(議員候補)からブロックされた」と言う、
火の消しようが無い事実を照らす松明みたいなつぶやきが増えると言う性質がある。
つまりそう言う火消しが出来ない自身の議員としての適性の無さ、自身の器量の小ささが露呈する訳で、
そう言った意味でも「コイツに投票しようか迷ってるけど、コイツの器量ってどんなもんだろ?」と思う候補者名に対し、
Twitter でガンガン「候補者名 + ブロック」で検索するのはマジでオススメする。
本当ビックリするぐらいに「コイツに投票するのは無いな」って言うのが判明して言って、
「ああ、ならこの候補者は止めて、こっちの候補者に投票するか」って言う絞り込みにスゲー便利だから。
折角の選挙なんだし、チンケな候補者は避けて、真っ当な候補者を選んで行こうな!
本当にすまん。この手法、汎用的に通用するやつじゃなかったわ。
言及とかブコメで突っ込まれた様に、確かに河野太郎みたいなブロック活用マンにはこの方法は通用しないし、
一定の基準を持ってブロックを活用している候補者にもこの方法は有効活用できない。
あと本当に良いこと言ってんのに誹謗中傷されっぱなしの候補者とかにも当然使えない。
その辺り完全に見落してたわ。正直すまんかった。
と言う辺りから、「何も(直接)言及してないのにブロックされてた」と主張する面々がいて、
その上でその面々の Twitter の TL を見てもそうそうヘンじゃないやつ、
例えば明らかに吹き上がってるとかそう言う連中を除いた、まぁマシっぽいツイッタラーが多数ブロックされた、
と言っている限りでは有効、と言う感じだった。
つまり「実際コイツの度量・器量ってどんなもんのか」と疑ってる場合にブロックを乱発しているのが分かる時は十分通用するんだが、
それ以外のケース、例えば本当にまともな事を言っているのに罵倒されっぱなしな人とか、
たぶんミュートしまくってるんだろうな、みたいな候補には通用しない、っつーのが俺の見落としてた部分だった。
なんでこの手法は「コイツ良いこと言ってる風だけど、実際にはどんなもんなんだ?」と言う候補者に対し、
実際にブロックがどう活用されているか見て、そいつがチンケなやつかどうか見極める補助線にはなると思うが、
それ「だけ」では実際にチンケかどうかは判別できない、と言うのが総合的な評価になると自分でも思った。
とは言え自分がどの候補者を推すかどうか迷ってて、どっちも微妙かな……と言う時に、
どっちがマシかを調べるのに使えるんじゃないかと思う。
なんでこの方法が実用できるかはこの増田を読んでくれた皆の判断に任せるわ。
少なくとも俺の時は役に立ったが、全員がそうじゃない、と言うことは念頭に置いて、
んじゃな!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dragonquest.jp/news/detail/3546/
id:oyatsuwakame 差別発言は党派性関係なく批判されるべきだし訃報ニュースに批判を書き込むのも表現の自由。 2021/10/07 15:32
これは本当にそのとおりだと思う。
で、時系列を考えるとこのブコメはおそらく下記のブコメに向けられたもの。
id:casa1908 こんな訃報のブコメでまで党派性をもってして揶揄するようなことを書くのはいかがなものか。この方の思想信条はどうあれ、その功績は偉大なものです。今はただご冥福をお祈りいたします。 2021/10/07 15:23
id:tsukiji3 「はてサが」「ウヨが」「安倍が」←お願いですから、一旦止めていただけませんか。ご冥福をお祈りします。 2021/10/07 15:23
id:casa1908が言っているのは"党派性をもってして揶揄"することに対する苦言で、id:tsukiji3が言及しているのもその具体例。
んで、時系列を考えるとこれらはおそらく下記のブコメに向けられたもの。
id:kuborie 貴重なウヨクメンバーを亡くしました……… 2021/10/07 15:19
id:oskimura はてサはネトウヨって叩くんだよな 2021/10/07 15:15
id:syakinta はてサ嬉ション / ほらね、言ったとおりでしょ 2021/10/07 15:13
これ、本当に"批判"?
すぎやまこういちの言動に端を発する左右間の当て擦り合戦でしかなくない?
id:fellfield LGBTを公然と差別していた人間には追悼の言葉を述べる気になれない。心からの差別感情だったのか軽い気持ちでの発言だったのかは分からないけど、この人の言葉に苦しめられた人々のことを考えると、悼むのは無理だ。 2021/10/07 16:14
こういうのは分かる。
実際、訃報というウェットな場面においては毀誉褒貶のある人の是の部分をもって称揚されることが多くなりがちな一方で、否の部分を改めて提示し、喚起することは重要ではある。
だから、こういうのを「差別発言に対する批判」とするのは分かる。
でも先に挙げた当て擦り群は違くない?
これらに対する苦言もアウトなの?
ベンチャーキャピタリストなる職業は、新卒で社会の仕組みもわからないまま投資会社に入り、ビジネスをわかったつもりになって人の金を新興企業に投じる仕事だ
言ってみれば、社会人2年目の若者が人事部に配属され、したり顔で採用面接をやっているようなもんである
だから、実はビジネスや業界のことは大して知らないし、ネットメディアを読むのは好きだから情報感度は高そうに見えて、基本的には雰囲気に流されて投資する
そういう人たちが最も信頼を寄せるのがリファレンスだ
自分たちでは社長や組織の真贋を見極めることができないので、誰々が凄いと言ってるらしいというような評判を頼りにする
その情報源は大概の場合は先輩の投資家であったり、業界内で著名なエンジェル投資家であったりする
なので、投資される側がこの業界で生きていくためには、影響力のある人にとにかくいい顔をして、よい評判をばらまいてもらえるようにするのが最適な行動ということになる
だから、大学の起業サークルなどではその人の実績に関わらず、先輩というのは絶対的なリスペクトの対象となる
なぜなら、その先輩自身は大した実績実力がなくとも、長く業界にいれば同世代に優秀で成功している起業家友達はいるわけで、先輩から評判を得れば当然その周辺にも繋がっていくことになるからである
そういうわけで、この業界では他人のことを悪く言う人間はまず残らない
表から見えるところではとにかく褒め合い、彼は凄い、あの人は天才などと言ってもてはやし、それに乗せられて投資資金が集まってくることをコミュニティの共同利益として追求する
そうやってのし上がった人間のところには、やがて良質な投資案件が最速で持ち込まれるようになる、それがいわゆる著名エンジェルというグループである
すると、その人物にいかなる毀誉褒貶があろうとも、おこぼれに与ろうとして群がってくる人間が後を絶たなくなる
それを外部から見た人間は、いかにも素晴らしい能力や人望があるからそこに人と案件が集まってくるのだと思い違いをして、更にメディアやSNSでもてはやされるというループが起こるのである
近頃は光本氏や溝口氏の問題が明るみになったことで、少しずつそうした構造に気づき、切り込む人たちにも注目が集まり始めたが
この業界の人間は何も知らない大学生の頃からこの構造にどっぷりと浸かり、それが当たり前というカルチャーで育てられるので、そう簡単に自浄作用が働くことは期待しない方が良いだろう
東京国立近代美術館の隈研吾展に行ってきましたわ!年パス作りましたわ!
隈さまは今話題の新国立競技場の設計者で毀誉褒貶があるお嬢様ですのでちょっと斜に構えて行きましたけど、かなり面白かったですわ!
木や石の素材感を生かす。壁や角を表に出さず、素材を分割し斜めを作る。吹き抜けや壁面で穴を演出する。
などの手法で外には威圧感を出さず、内には圧迫感を出さない隈さまの設計思想がよく伝わってきたのですわ!
公共建築に隈さまが引っ張りだこなのも納得できましたけど、だからこそ国立競技場みたいなモニュメンタルな建物にはふさわしくないと思われるお嬢様もいるのかもしれませんわね……
縮小模型がたくさんあって、図版や写真では分からない立体的な全景の印象が分かるので、みなさん実際に見て欲しいですわ
模型の中にたくさん猫ちゃんのシルエットが隠れているのも楽しくて良かったのですわ
ところでVAダンディーの紹介ムービーで流れる音楽がやたら陰鬱で怖かったんですけど、あれなんですの?
映像もカット割り激しくてこれから殺人事件起きそうな雰囲気でしたけど、スコットランド人はアレで「いい建物だな^~」って思うんですの?
建築というのはどうしても権威・権力・権利みたいな物から逃れられない芸術だと思っていますわ
それは巨大な金や物質や政治力を動員して作られるだけでなく、外に晒された空間を占有して他に譲らないというとても根本的な権力を、わかりやすい形で行使しているからですわ
隈さまの建築には開放性みたいな物がちゃんと考えられているからこそ、その権威性との矛盾みたいなもんにどうしても思いを致さざるを得ませんでしたわ
オリンピック開催には反対でした。でも決まってしまった以上は、たとえコロナ渦ではあっても、より良いものになることを期待するのが人情ではないでしょうか。
そしてやっぱり見たいものは金メダル。陸上4×100mリレー、日本人全員が9秒台をそろえられる素晴らしい機会です。毀誉褒貶の激しいテニスの大坂なおみ選手が金メダルをとれば、批判者も多様性を受け入れてくれるのではないでしょうか。難しいとは思いますが、池江選手が金メダルをとるようなことがあれば、もうそれだけで開催したことにお釣りがくると私は思います。
もちろん、本当に一番見たいものは、選手も観客も誰一人として感染者が出ないこと。期間中に日本人が本気で自粛に取り組めばそれは夢物語ではないと思います。未だにオリンピックを批判するみなさんも東京オリンピックに見たいものはあるのではないでしょうか?素直になってみてはどうですか。
毀誉褒貶激しい安原健太さんのnoteだけど、僕は割と同意できる部分が多いと思った。
https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
セクハラは本当に見るのも聞くのも嫌だし、倫理的に許せない、痴漢も当然そう、下ネタが苦手なのも相まって彼の学生時代の体験談は自分も同じ様に感じるな、と思えるエピソードが多い
けれどあのnoteを読めば読むほど苦しくなる自分が居た、心の底にドロドロした黒い粘液が溜まっていく様な感覚が有って最後までは読めなかった、理由を考えたのだけど
多分あそこでは僕のような人間は居なかったことにされているか、無視されてるんだなと思った
安原健太さんと僕の違いを一つ挙げるとしたら僕は非モテだという事だ
信じて貰えるか分からないけど、非モテにもセクハラに反対したり、下ネタが苦手だったり、女性を傷付けないように気を付けたり、「かわいい」なんて言えない人は居る、僕の経験上沢山居る
でも、僕達は透明化されがちだ、目立たないし、上で挙げた事は全部「~~しない」という消極的な行動で、それに気付く人は居ない
それで良いとも思う。気付いて貰う為にやってる訳じゃなくて人を傷付けない事は人として当たり前だと思っている。「僕は女性に優しいんだから僕はモテるべきだ」とは全く思わない(そういう誤解をする人が居そうなので先に言っておく)
詳しい事は伏せるけど僕は恋愛とは違う所で人生が充実しているのでモテとか恋愛はもういいかなぁ、諦めよう、それでいい、と思っている
それでも「非モテ」に拘るのは僕達が無視される理由はそこなんだろうなぁと思うから
僕から見ると、僕達よりも僕達以外の人の方が「モテ」に拘って、「モテ」を通して人を見ている、様に見える(勿論そうじゃ無い人も居る)
移動教室の夜にも、サークルの新歓にも(もしくは新歓に行かなかった新入生側にも)僕達は居たんじゃないかと思う
彼の隣に、彼の向かいに、彼と同じような違和感を持つ非モテは居た、でも彼は気付かない、彼だけがあのような感慨を感じたと思い出に残る。彼のnoteを読んだ人も同じ感想になるんじゃないかなと思う
彼のnoteを読んで感じたのはなんだか大半の男性が(つまり僕も含めて)セクハラする側、「かわいい」っていう側にカテゴライズされて、安原健太さんはそうでない側に入れられてる気がするな、という事
これは被害妄想かもしれない、文章を読む限りそういう事は(巧妙に?)明言を避けられている、あののらりくらりとした文体で、非常に上手いなと思う
自分は少しだけ文章に関わる仕事をしていて、そういう事が技術的に可能である事は知っている、ただ彼が意図的にそうしているかは決め付けるつもりは無い(あと、彼の文章が上手いという意味ではない)
ただ、彼の意志は兎も角読んだ側はどうだろう?男性でも女性でもあれを読んで「大半の男性はセクハラをする側、肯定する側」という感想を抱かなかっただろうか?
彼のnoteを読んで安心した、救われた、と感じる女性が沢山居た様だ
だとすれば僕の様な人間が同じ様にセクハラに反対したり、「かわいい」と言う違和感を表明すれば、安心した、救われた、と感じる女性が居るだろうか?
これまでの経験上、そういう期待は僕は出来ない、僕の様な人間がそれをしても透明化されるか、無視されるか、むしろ迷惑がられるか位じゃないかと思う
それに彼があの文章でやっているのはセクハラ等に反対することだけじゃない
僕が読めた範囲で彼が文章でやっている事(意図的か無意識かは問わない)を挙げてみる
(1)セクハラや痴漢の現状、「かわいい」と言う事等に対する違和感の吐露
(2)男性を加害者側に、女性を被害者側にカテゴライズする事(また、男性をずるい側に、女性をそのずるさの被害者側に置く事)
(3)男性の加害性を恐竜に例える事(そして「恐竜を使ったフィクションにしないと例えられない」と明言する事)
彼のnoteをモテテクや恋愛工学2.0と言う人も居たけど、あれを真に受けて彼の(1)の真似をしてもモテる事は無いよ、と注意はしておきたい
彼が結果的に女性の信頼を得るとしても、その主な要因は(1)の違和感ではない、オプションで付いている(2)(3)(4)やそれ以外の要素(彼の容姿や雰囲気、仕草、その他のパラメーター)が重要だ
(1)はモテる為と言うより人として当然な部分を含む、それに対して(2)(3)(4)は非常に特別な対応だ
当たり前では無いよ、と女性には言っておきたい
(1)は当たり前だ、でも(2)(3)(4)は誰かの(例えば安原健太さんの)善意やその他の感情を前提に初めて成り立つものだ
例えば(4)は本当に得難い物だ、僕達の様な非モテ男性にこれをしてくれる人はほぼ居ない、羨ましいなと少し思う、妬む訳では無いから安心して欲しいけどそれが当り前じゃない事は知って欲しい
僕達には「安心した」「救われた」と言える機会はない。それは当たり前に誰にでも与えられるものではないんだ
勿論その当たり前じゃ無さは例えば彼の下心を前提としている「可能性も有る」、最初から疑ってかかる必要は無いけどある程度警戒しておいても良いと思う、その為にも当たり前じゃない事を認識することは大切だ
特に(2)(3)の様な、女性を庇う為に男性を下げる様な言動が過度に見られる場合は警戒度を上げて良い、
女性差別は有るしそれを明らかにすることは重要だけど、その為に他の何かを犠牲にしている場合、倫理とは異なる動機が採用されている事がある(犠牲は倫理にある程度反する為)
例えば「全ての男性がそうである訳じゃないけど~~」「~~という男性”も”居る」と付け足せば簡単にカバーできる所もそうしていない場合は少し危ない
何故なら(2)(3)のような男性側に犠牲や「罰」を与える言説は、女性側に気持ちよく響いてしまう場合も有り、その効果を狙っている場合も有るからだ
ただ勿論本人のうっかりやスタンスの違い、文章能力等が理由の場合も有るから一発アウト判定する必要は無い
ただ(3)に対してはふざけんなよと思う部分も有る。
あなたに僕の何が分かるんだ、僕はずっとどころか最初から「男子」になんてなれなかったよ、あなたとは違って
いつの間にか「ふざけんな!」「待てよ!」という言葉を捨てさせられるどころか、最初からそんな物持ってなかったよ
ハッキリ言って、僕は安原健太さんみたいな人も含めて、あなた達が怖かったよ、恐竜なんかに例えなくても、あなた達が怖かったよ
女性に平気でセクハラしたり、「かわいい」と言えたりする人達は、学生時代は所謂イケてるグループの人が多かった、何故ならイケてないやつがそんな事しても寒いし滑るし白い目で見られてなにも意味は無いし、そんな事する奴居ないから
で、偏見も含めて言えば安原健太さんはどちらかと言えば、僕達よりそっち側に近い人でしょ。勿論だからこそ違和感を感じる場面にも頻繁に遭遇したんだと思う
でもだからと言って、僕達までああいう人と同一視されて同じ「男」の箱に入れられるとしたら、納得がいかない
僕はあなた達とは違う
(尚、安原健太さんの過去について暴露する真偽不明の増田に付いては、今の時点では完全に信じるつもりは無い。ただ可能性としては頭の隅に入れておいていいと思うし、似たような人に対しては似たような警戒を準備しておく事は女性にとっては役立つんじゃないかと思う)
色々書いたけれども、本当に言いたい事は「僕の様な非モテも居る事を知っておいて欲しい」という事だ、随分脇道に逸れてしまった
これまでの文章を読んでお世辞にも良い人ではない、厭味ったらしい僕の側面も読めたと思うけど、それでも同時にセクハラに反対したり、「かわいい」と言う事に違和感を持つ非モテは居る、僕以外にも居る、僕はそれを知っている
単純な臆病からではなく、自分の信じる倫理としてそういう物に反対する非モテは居る。僕がそうだと言うつもりは無いけどそういう奴も居る、例えば僕の知り合いの非モテに。そういう奴は実は沢山居ると思う
でも僕達は透明化されがちだし、居なかったことにされがちだ、だから知らない人も多いと思う
例えば女性にぶつかってくる男性の存在に多くの男性がピンと来なかったのと同じように、僕達の存在は女性にはピンと来ない物なのかもしれない、男性にも女性にも死角は有る、でも僕達は存在する
途中少し拗ねてしまったけど、実は僕達の様な人が居る事を知ると安心する女性は居るのかもしれない、だとしたら嬉しいしこの文章にも意味が有ると思える
(ただ、やっぱり本心としては居なさそうだなと思うし、「安心する」と言ってくれる女性は居るのかもしれないが、それはその場だけのお世辞みたいなもので、明日になればキレイさっぱり僕達の存在は忘れられて、また男性全体が同一視されるのでは?とやっぱり拗ねる自分も居る)