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2024-06-03

極右は実は新しい

そもそも日本というひとつの国としてのアイデンティティができたのは最近なんですねえ。豊臣はんが統一するまではみんな別の国じゃったあ。同じような言葉同じような文化を持ちながらみんな別の国じゃったんじゃなあ。それを日本という一つの記号のもとに人々が束ねられたっちゅうんは支配の結果じゃなあ。極右バカ

結局趣味なんだよな

生きる意味が見つからないとか、人に必要にされないと不安で仕方ない人を見てると思う。

お前ら、結局趣味がないからじゃん。

いまさらそこまで打ち込める趣味って探しても見つかるもんじゃないのかもしれないけど。

ある意味、「それさえあれば生きていける」ってレベル趣味を持つのも才能なのかもしれない。

趣味のせいで人生にやりたいこと、見たいことが多すぎて、生きる意味とか考えるまでもないわ。

anond:20240522172518

話題についていけないというけど本当にそれが理由なのかな

趣味として楽しむためのものが、いつのまにか集めるのが義務みたいになってること良くある

典型的なのが下着泥棒、あるいはAV収集

こんなん話題についていけないからではない

anond:20240603123445

それはそう

ヤバいやつvsヤバいつの話だから勝手にやってろ!の話やね

anond:20240603112336

正反対のことを言っているにもかかわらず、その2つのグループが反目することはない

なぜならどちらも主目的は「弱者男性馬鹿にしていい気分になること」で一致しており、共通目的の前ではアドバイス内容の差異など些細な違いでしかいか

同様の現象陰謀論界隈にもみられる

たとえばワクチンに入っているのが人類コントロールチップなのか人口削減毒なのかでは全然違う陰謀になるはずだが、その2つのグループが反目していることはあまりなく、むしろしばしば「政府陰謀抗う者達」として共闘する傾向にある、という研究がある

カラー電子ペーパー端末、Koboを買うかKindleを待つかタブレットを買うか

【前提】

・今はKobo Touch利用者電子書籍リーダーの買い替えを考えている

KindleKoboでそれぞれ約10冊ずつ電子書籍を買っている

・それ以外にはPDF論文インディーズ漫画小説)を読んでる、というかそっちの方が多い

それで増田たちに聞きたいのは「Koboカラー端末を買うのとKindleカラー電子ペーパー端末の発売を待つのカラー電子ペーパー画面のタブレットを買うのとどれがいいか

どれかしか使ったことがない人の意見でもいいのでレスしてほしい

Kindle端末でよさそうと思っている点】

・単純に書籍の種類が多い

・サブスクが使える、サブスクで試し読みして本気で欲しければ買うということができそう

Kindle端末なら文章書籍の本文検索ができるらしい(スマホアプリではできないので未確認

Kindle端末の懸念点など】

PDFの扱いが面倒くさそう

 Send to Kindle機能を使わず直接PDFを入れるとまともに読めなくなるらしい

 しかしSend to~でスマホアプリPDFを送ったことがあるけど面倒だし容量の大きいPDFには使えない

・まだカラー端末が出てない、発売までに物欲を抑えられるか、そもそもカラー端末は発売されるのか不明

Kobo長所

PCから直接楽にPDFを送れる、それでも普通にズームとかできる

・ゴニョゴニョすればKindle書籍Koboに送ることができる(完全個人利用とはいえ規約・法的によろしくないし100%できるわけでもないので自己責任

比較安価カラー端末が買える

Kobo短所

Kobo自体書籍数は多くない

KoboからKindle書籍を送れるか不明

電子ペーパータブレット(Booxなど)の長所

・色々な電子書籍アプリが使える、無料漫画アプリとかも入れられるの

・多機能

電子ペーパータブレット懸念点】

・高額

・意外と扱いが面倒そう

 (読書アプリアニメーションオフにできないアプリはページめくり後に残像が出ると聞いたことがある、あと色味とかもアプリごとに設定しないといけないらしい)

ネットブラウジングもできるので読書に集中できなくなりそう、これが一番の懸念

【Q&A】

・紙の本じゃいけないの?

 →紙で読み続けることも選択肢には入れている。ただ本棚に入りきらなくなるのが嫌なのと、電書端末なら分厚い本を何冊でも頑丈な機械に入れられるのが便利すぎる

普通タブレットスマホじゃだめなの?

 →電子ペーパーじゃないと目が痛くなるからやだ

anond:20240603111713

詫び石で嬉しいと思ったこと一度もない

なんかいつの間にあるものという認識しかない

引くべき引かないべきの基準を石の平均的な供給及び天井と勘案して規定すれば、引けなくて歯がゆい思いをすることはない

計画性が無いか欲が強いひとなのかな

なんでこんなにぬいペニが理解できてないんだw

友達のフリして近づいてきたのに急にペニス出すから「今までのは全部この時のための仕込みだったのか」という怒りを覚えたり

「今までの友情は全部嘘だったの?」っていうショックを受けるって話だぞ

からまあ

これは最初から出しておく一択。というか女性として意識してるとちゃんと伝えておく感じかな。んで逃げられたら追わない。

このブコメも一つの正解だ。

あとはペニス出す前に「恋愛感情が芽生えた」と伝えることだ。

よく「恋人を作るために男は女性人間扱いしろ」っていうブクマカいるけど、ぬいペニって要は女性が男を人間扱いしてないっていうことだよな。

相手ぬいぐるみとして扱う」人は、そりゃ相手から人間扱いされないよな

ネット論客は毎回これだな。ぬいぐるみって比喩だぞ。比喩比喩と受けとらず「言葉そのままの意味」で論破した気になるのをやめろ。

日常会話でそんなことしねーだろ。

ぬいぐるみ=友人扱いな。

逆に「男はペニスがある。だから常に性欲を向けてくる生き物」って認識する方が人間扱いしてないだろ。

人間扱いしているから、私には性欲を向けない個体だと識別できている。

まずぬいぐるみにならないことが大事 なぜなら女は一度ぬいぐるみカテゴリに入れた相手を男カテゴリに移すことは極めて稀だから

ちゃうちゃう女性恋愛対象外の男がなんとかその女性に近づくために着ぐるみきて「お友達になろう」って近づく手法なんだよ。

からペニスを出すタイミングや出し方によって「てめえ、そういう魂胆だったのか」に繋がる。

マルチ勧誘手法に近い。

そして、恋愛対象内の男は女性が友人扱いしないので男がどう行動しようがぬいぐるみにはならない。

別の増田ブコメで星集めてたけど、異性を異性扱いしないのが人間扱いって良く分かんないんだよな。恋愛するためには恋愛感情を隠せって何?人間じゃないなら恋愛感情持たないだろ普通

どのブコメだ。わからんかったかニュアンスわからんが、女性を性欲解消の道具として扱うなとかい意味じゃないのか。

この増田も「相手人間として尊重しろ」が「相手を異性として尊重する」に変わってるし、みんな好きなように読んでる可能性も高いがな。

https://anond.hatelabo.jp/20240602005019

「性欲をおくびにも出さず人間として尊重しろ」と同じ口で「後から性欲を出すのは騙し討ちだ」と言うのは明らかなダブルバインドなので、そういう奴こそ非モテ人間として見ていないのである

なんで性欲と恋愛区別が無くなっちゃうんだよ。

やりたいだけなのか、付き合いたいのかは別だろ。

やりたいだけならレイプでも可能だ。仮にレイプ無罪になったとしても好きな人レイプするか?

レイプしないことが人間としての尊重だ。

あと何回も書いてるけど「恋愛感情がないフリを続けた上で」「急に」性欲を出す。だぞ。

「後から性欲を出す」はニュアンスが一個も合ってない。


anond:20240603013907

anond:20240602153026

ここで「性別によって対応を変えるな」を真に受けると即座に詰むから男子校の民は注意な

例えばサークル同期に踊り場越しに声かけただけで「大声で脅された」と「こっそりスカート覗いてた」の矛盾する2つの悪評を同時に流されたりする

anond:20240603101548

男の場合結婚すること自体がまともじゃないんで差し引きで結婚してるやつのがまともじゃない

anond:20240602153026

本質論を言えば「人として接する」は具体的な行動指針に還元できるものではないよ。教会に行くことが神を信じることとイコールではないように。神を信じるとは、神の存在を前提した世界に生きることだ。何故とつぜん神の話をしたかといえば、「人として接する」は実際にひとつ宗教からだ。「個人」や「人権」の概念キリスト教に由来するところが大きい。坂口ふみ『〈個〉の誕生』は良い本なのでおすすめしたい。

からこの信仰について言葉で語ることは本当はできないのだけど、あえてその教義表現するなら

あたりになると思うけど、そう言われて分からない人は分からないだろうし、こんなふうに書いてもあまり意味はない。

断っておくけど、わたしはこれが分からない人を〈悪い〉とは考えない。たんにこの神の教えに入信していないというだけだ。もちろんこの教義に照らせば「悪」なんだけども。

とはいえ、「入信しているフリ」ができないわけではない。その方法をお教えしよう。これはわたしもやっていることなのだけど、その方法というのは、「人間を徹底的に、本当に徹底的に馬鹿にすること」だ。軽蔑にしすぎて愛おしく思えてくるくらい徹底的にね。愚かで、矮小で、醜悪で、しか自分がそうであることに全く気付かすに自信満々に生きているおかしな生き物たち。ただの自然現象に過ぎない、川の流れの中に生じた淀みみたいな存在なのに、自分自由意志を持つと信じる憐れな自己複製パターン。そんなふうに人々を見てみよう。言うまでもなくこれは先に挙げた教義のうち上2つの完全な否定だ。しかしここで重要なのは、3つ目の教義は維持すること。つまり自分もそういう憐れな淀みに過ぎないと思うこと。これがいちばん重要なことだ。「すべてを軽蔑せよ。だがこの軽蔑によって窮屈にならないように。軽蔑によって他人に勝るなどと信じるな。軽蔑の高貴な術のすべてはそこにある。」ある詩人がこんな事を言っていたけど、これは真理だとわたしは思う。

わたしも以前は「人を人と思っていない」と他人から嫌われたものだが、このような態度を取るようになってから、そういう批判はもらわなくなった。それどころか、いっぱしの人格者だとみなされているフシがある。「人として接する」がどういうことなのか、根っこのところではまだ良くわかっていないのにね。あるいは案外、みんなそうなのかもしれない。まあとにかく、徹底的に人を軽蔑するというこの指針を試してみてほしい。「徹底的に」やるのが大事だ。「人として接する」という抽象的な表現よりはだいぶわかりやすいのではなかろうか。

相手に持病があっても加害は加害だろ?

セクシー田中さんの件でさ。

一部で、被害者の方が精神疾患を患っていたと言うことをアウティングすることで、自殺したんだしあれは本人の問題である誘導している向きがあるんだけど。

これの事実わからんよ。発信源がネット工作職業にしている人らしいんでそこはわからんし、デタラメ可能性が高いと思うよ。

ただ、事実は別として、なんで精神疾患だけこんな風に言われるんだ?

例えば、交通事故で足が悪い人を牽いて殺しちゃったとするじゃん。その時に「被害者は足が悪いか加害者は悪くないよな」ってなるか?

ならんでしょ。でも、精神疾患なら少なから加害者に対して「精神疾患の奴に関わってしまって、運が悪かったね」って雰囲気になってるのなんなん?

加害の結果がより深刻になればなるほど、そう扱われる傾向があるよね。まして死んだりすれば死人に口なしとばかりに風説の流布がはじまるのなんなの?

なぜ真っ先に「本人に原因がある」と仮定して原因はきっかけに過ぎないとか偏見バイアスを持つの


この件に限らず、過重労働などで死を選ぶ人がいるけど、それに対して結構割合で本人は仕事以外に追い詰められる理由があったのだ、みたいにな話にして広まってるケースがあるんだよな。

それもネット上であえて悪ぶって振る舞うイキリ連中だけじゃなくて、リアルでもこう言う傾向があるじゃん

自死に限らず、セクハラパワハラをやった被害者退職したり体調崩したりするとこういう話になるじゃん。

これもおかしくね?例えば持病を持ってる人だからといって、あれは労災じゃねえなんてことにはならんでしょ。

なぜなのか。

anond:20240602153026

あくま個人的な考えではあるが、二つのポイントがあると思っている。1つ目が「自分目的のためだけに相手を扱わない」、2つ目が「相手独立した他人であることに焦点を置く」ということである

一つ目について、例えば、あなたが誰か女性に話しかけるとする。女性がその会話に応じてもいいかな、と思う場合には、そこには大抵、明確な目的意識はない。例えばちょっと時間を潰すとか、クラスメイトと仲良くしておこうとか、その程度のゆるい意識がある程度だろう(つまり、会話するという手段のものが同時に目的でもある)。その結果としてお互いのことを知り、親密性が上がることはあるかもしれない。けれども、もしあなたが、その女性交際する、というステータスを得るという自分自身目的のためだけに手段として会話をしている、というのであれば、お互いの意図は噛み合わないことになる。あなた自分目的だけを強く推し進めるのであれば、その女性は、自分意思無視された、と感じるかもしれない。あなたが極端にも「交際というステータスを得られないのであれば、会話など意味がない」という態度を取るのであれば、彼女は、あなた一方的目的のためにコミュニケーションリソースを利用された、と感じるかもしれない。

あなたがもし自分が「非モテ」側だという自覚があるならば、まだ一度も話したことのない異性が、あなた恋人候補として意識しているという可能性は極めて低い。だから、明らかにお互いが恋愛目的としている、という確実なコンテクスト(例:婚活・マチアプ)がない限りは、まずは「特に目的もない会話をできるようになり、すること」というのが人間関係第一歩になるはずだ。

もう少し関係性が深くなり、交際意識するようになったら、今度は2つ目のポイント重要だろう。これは要は「一般論的な、あるいは自分自身の願望を、ノータイム相手投影しない」ということだ。

例えば、女性は割り勘を嫌うから、という一般論を踏まえて、今日食事は奢るよ、という態度をあなたが取ったとする。ところが、相手女性は、自分あなたはただの友達だし、奢られる理由はないから割り勘にしよう、と返してきた。ここで、意地でも奢りを貫こうとするならば、相手女性は「わたし」ではなく「女性一般」を見ていると感じるだろう。あるいは、あなたは贈り物をもらうのが好きで、だから相手に贈り物をあげたら喜ぶだろうと考えて、何かを渡してあげる。しかし、相手女性は人からものをもらうことを、「借りを作る」と考えて苦手に思う人間で、それを拒否してくるかもしれない。こういうときに、おかしい、ものをもらったら僕は喜ぶのだからあなたも喜ぶはずだ、とあなたが突き通すなら、それは相手個人としての人格思考無視していることになる。

いや、じゃあなんで奢り奢られ論争なんてもんがあるんだ、と思うかもしれない。そりゃまあ、例えば、多数派の異性がそう考えているであろう信念を一手目の根拠にする、というのは楽な戦略だろう。楽な戦略から、多くの人がそれを推奨する。とはいえ、もしそこで相手が「私はNoだ」と言ってきたら、相手の主張を一旦真剣に受け入れる必要があるよ、というのがここで言わんとすることだ。

それから相手の考えは「常識的に、察すべき」だと女性は言うじゃないか、という反論もあるかもしれないが、個人的にはお勧めしない。というのも、互いの欲望言語化ではなく、察し能力のみに依拠するコミュニケーションは、早晩破綻しがちだ。結婚まで至ろうものなら、必要なのはすり合わせの連続であるセックスレスで揉める夫婦を見てほしい。「一般的な夫婦は経常的にセックスすべきだだし、自分もそう思っていた」「一般的な夫婦出産を機にセックス必要でなくなるし、自分もそう思っていた」両方、一般論としてどこかで聞いたことないだろうか。どちらも、「はっきり確認させていなかったけれど、相手も同じ信念を持っているだろう」と思い込んでそういうことを言ってしまう。けれども、どちらの信念を持つか、その違いがわかるのは、できれば早い方がいいに決まっている。

注意点としては、ここに書いてあることすら必ずしも「万人の正解」ではないということだ。これを書いている人間自身基本的には「ある程度コミュニケーションが取れてから相手恋愛対象として考える(一目惚れをしない)」という信念に基づいていて、その分のバイアスがある。世の中には、「感情的なつながりがない時だけ性的好意を持つ(フレイセクシャル)」という人種もいるらしい。そうしたら、人間関係を徐々に構築する戦略はうまくいかいかもしれない。要は、誰にでも100%うまくいく方法なんてない、ということである。ここまで長文を読ませておいて、と思われるかもしれないが、2つ目のポイント本質はそこにある。すると必然的試行錯誤必要になるし、失敗にめげない胆力がカギになってくる。

相手あなたと同じ、思考する人間であるしかし、その思考様式、前提、ひとりひとり大きく異なっている。今、目の前の相手がどういう人間なのかをどれだけの解像度として知ろうと思えるか、そこで人間個人としてのコミュニケーションの深さが測られる。もちろん当然、それはあなたけが頑張るべきことではなくて、お互いが意識すべきこともであるあなたがもし、相手蔑ろにされたと思う時には、怒っていい。自分を大切にすることもまた、相手を大切にするための一歩であるのだから

引っ越しテーマにした漫画小説

あんまりないジャンルだけど、面白いと思うんだよね

自分自身現在絶賛引越し準備中なのだけど、引越しのものが意外と面白いと感じている

ちなみに通算10回目

ごく普通引越しだとしても、こんなことが大体イベントとして発生する

そう、考えること、やることがとにかく多いんだよね

ということは1つ1つの引越し差別化ができる

1エピソードにつき一家族紹介しても、恐ろしく良い題材になると思うよね

状況にも大きく左右される

直ぐに考えただけで

と様々な要因が関係して差が出ている

異世界や悪役令嬢にしなくても、現代普通の家庭を出すだけで十分

引っ越しなんて単純なことだけど準備から完結まで扱えばすごく面白い題材な気がする

結婚仕事と違って大抵の本では一行で語ること多いんだけど、個人的にはそれだけで物語作れると思うよ


例えば

もうこれだけでなんか作れそう

ゴルゴ的な何でもできる引っ越し屋を主人公にすれば、連載だってできそう



追記

沙村広明「おひっこし」は初耳だった

とんがった設定が特徴の面白い漫画家なので、ちょっと読んでみるよ(この日記主題合致していないみたいだけど)

夜逃げ屋は絵柄が好きになれなくて、ほとんど読んだことがないんだよね

自分おもしろなーって思うのは、そういう裏側的なものじゃなくて、牧歌的普通引越しの中にあるドラマなんだよ

例えば引っ越し先の寸法がわからないのに収納家具だけを先に買いそろえて大失敗するとか

転勤先の交通事情を下調べしていなかったらまさかの車オンリーだったとか

ガチ引越しマニア実家しか知らない人が結婚したとき温度差とか

アパートを綺麗にしてから退去する人 VS ゴミ家具放置ちゃう

一人一人がどういう視点引っ越しというものを考えているのか可視化するのってとても面白いと思う

その後の人生にめちゃくちゃ影響あった友達

ふと、あいつの性格とか一緒に過ごした時間とかではなく、出会たこ自体がめちゃくちゃ自分人生変えたなと思う友達のこと思い出した

クラスある中学で3年間クラスが一緒だったY君。小学校(全4クラス)で一度も一緒のクラスになることはなかった。高校時代遊んだけど学校は別。

受けた影響。

・Y君が紹介してくれたバイト先で出会った人と結婚した

・Y君のお父さんの仕事を聞いて、その道へ続く学部大学)へ入った

麻雀競馬を教わった(これは本人の影響か

・Y君の兄の部屋の漫画にめちゃくちゃ影響受けた

・Y君の影響で弟が高校入試でちょっと特殊学部に行った

どちらも今は実家に居ないし、社会に出てからは2~3回同窓会であっただけで連絡とってない。最後がもう10年前ぐらい

小中の校区が一緒だから当然実家は近く(徒歩5分くらい)、今日Yの家の前通ったら、それっぽいやつがいて思い出した

2歳下の弟かもしれないと思ってスルーした(昔はYは細くて弟は丸かったがちょうどどっちかわからんシルエットだった)

学園アイドルマスターの「どんどん上手くなる」を実感することあるか?

だってキャラセレクト画面で「一つの夢~~♪叶えたい思いは~~♪」ってもう普通に歌っちゃってるじゃん。

そんでストーリー始まって最初にすげーわざとらしく下手な歌い方されるけど、なんで篠澤以外のやつまでカラオケ未満の歌い方しとるねんそうはならんやろと。

んでまあダンス・ビジュ重視でボーカル400でTRUEエンドまでいったら普通に歌えてるわけですよ。

イオイ育成度合いで歌唱力が変わるという設定はどこに行ったんや。

マジでなんなんこのゲーム

ゲームとしてはウマ娘に比べたら全然面白いと思う。

アイドルゲームとしての没入感を半分横においてローグライクに徹している割り切った作りが功を奏してる。

真剣に考え出すと篠澤が試験の最終ターンまで0点でそっから6000点取って合格してる時に観客や審査員の目に何がどう見えてるのとかどういう光景なのか誰にもイメージ出来ないんだけど、それを割り切ることにしたスタッフが正しいと思うよ。

ゆーてまあゲームとしては既に煮詰まり始めてると思うね。

満を持してなのか単に納品遅れただけなのか、妹ちゃんが追加されたわけだけど、これがまあ「どうやって運用するねん」状態で驚く。

元気玉を大きくする所まではやってくれるけど、それをぶっ放せるかどうかは引き次第ってしんどすぎるやろ。

メモリーで補おうにも最初の3回ぐらいのレッスンが運ゲーすぎて笑う。

高いポテンシャルはあってもアイドルとしての経験値が0ってことを再現してるってことなんやろけど、にしたってこの使いにくさはヤバイで。

一方でアイヴイは安定感と強さを両立しててこれは逆にアカンやろって状態

センスはともかくロジックはまともにゲームバランス取れるとは思えない作りになっちゃってる。

シャニの新作なのにいきなりローグライク始めてしかもどうやってプレイしたらいいのかもよくわからんかったシャニソンに比べると、全体としてマイルドだし新作だからルール変わるってのも分かりやすいし色々成功してるとは思う。

でも「一緒に育てて成長していく」っていう所に重きを置こうとした初代リスペクトな作りは今後足を引っ張っていきそうかな。

そもそも初代ってプリンセスメーカーときメモを遊びまくった経験のあるそれなり以上にオタクな人たち向けな作品からさ、全体として作りがハードなのよね。

理不尽は当たり前だけどそれを楽しむ構成っていうか。

対して学園アイドルマスターはヌルめの作りにはしてるけど上振れ狙うと大変ですよぐらいの作りじゃん?

その辺りでコンセプトの「成長させる」という部分が薄れてるっていうか、クセの強いアイドルと共に伸るか反るかの大勝負に出るってアイマス物語から外れてる感じがするんだよね。

勝つことまでは概ね分かりきってる状態ってのはアイマスらしくない気はしてさ。

ゆーてそれを緩和し続けたおかげで成功したっていう、高難易度ハードコアへの反省もまたマスの歴史ではあると思うわけでさ、そっからの正統進化が慣れたらクリアは安定であとはスコア狙いするだけのゲームっていうのはまあ納得しないわけじゃないよ。

でも何度も言うけどその安定感の高さと「成長」はやっぱ噛み合わないっていうかさ、「成長」が尊いのは失敗する可能性があってこそだと思うわけよ。

報われないかも知れない努力に挑む挑戦心はやっぱ物語の根幹として描かれてると思うんだけど、それがいつから成功して当たり前の天才をただ育てるだけのプレイフィールになっていくのは違うんじゃないかなと。

まあ今の時代にスタミナ使って失敗するようなゲームをそうそう出せるのかって気はするけどね。

でもウマ娘はそれやって成功させたわけだし、学マスもあとちょっと攻めて良かった気がするんだよね。

まあ其の辺は新シナリオが出てからの話になるのかな。

「初」は文字通りのチュートリアルシナリオだし、ローグライクに初めて触れる人でもなんとかクリア出来る所に抑えてる感じはあるかもね。

ゆーて次のシナリオを出してくるとしてそこでもまた「成長」をテーマにするのかは疑問だよね。

もうとっくに成長したあとの世界で「活躍」や「挫折」や「特別」を描く方向に舵を切ったりした方が飽きられなさそうって気もするわけよ。

じゃあもう「成長」をやる機会は今だけじゃねって思いつつも、まあ俺がスマホゲーに多くを期待しすぎただけだという諦めもあるわけ。

手に取らせたら勝ちみたいな感じであちこちで同じ宣伝して回ってるだけで、単にインパクトが有るだけの導入口にあーだこーだ言ってもしゃーないのかも。

じゃあ本当のウリはどこなんだよって話をそろそろして欲しいよね。

anond:20240603002720

いや、気持ちよく死にたいのではなく、最近気持ちいいことしまくってるから死の不安が押し寄せてきたのかも知れない。

気持ちよく死にたいだけなら哀れで済むかも知れないが(はたから見るとむしろ増田含めて微笑ましいが)、最近しまくってるなら後に待つの修羅場やで

結婚式でこんな風に話したかったのかもしれない

先日友人の結婚式に参加した。

それが初めての地方結婚式であった。

移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。

ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。

旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。

パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。

かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。

それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたとき気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。

今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。

今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。

そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。

少なから自分世界主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。

その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。

また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける

しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足押し付けが過ぎ、幸せ絶頂花嫁に水を指すのもいかがなものか。

上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的感情をここに書くに至った。

さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である

彼女とかかわり合いになったのは、大学サークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。

私自高校生から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。

そこからサークルという否応なしに共通目的やら問題やらに向かえる集団所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。

そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。

ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件きっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。

以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。

何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。

こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日ご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。

思えば色々と感化されやす性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。

そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。

そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。

そうして、間違ったことも、壊してしまたことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。

見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である

から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。

私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。

私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたこ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。

ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。

自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。

服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。

洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチン排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。

朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。

人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、

一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。

それは意識されないまでも、どこか自分根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。

パートナーがいるというのは、そういう安心感を強く感じる。

あなたはどうであるか、そもそも私自あなた相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである

帰ってくるところさえあれば、人生無限に楽しめると私は思う。

2024-06-02

anond:20240602005019

何かあればすぐにカウンセリングとか言うカウンセリング万能論者っているよね

カウンセリングなんかに行ってもカウンセラーおっさん説教されるだけで何の役にも立たないぞ

甘えるな」 「お前は努力してないだけ」 「他責するな」とか散々言われたからな

あるいは「そうだね、辛かったね」とか適当に流されて終了

何の役に立つのあいつら

くだらん生理のはなし

女友達同士であっても、生理の詳しい話をすることはほとんどない。

だいたい2日目が辛いねという話で終わる。そもそも生理で…という話すら、よほどの時しかしない。

でも!どうしても、経血の話がしたいから。書いてから、恥かいて穴掘って閉じこもろうと思う。

※※※

1日目と2日目は景気よく鮮血が出て、気持ちよさすらある。正直腹の痛さもイライラピークはここなのだが、トイレ行くたび鮮やかな赤が見えて楽しい。こんな話生理で最悪になってる女どもに話せるわけないのでずっと心の中にしまっていたが、もう我慢がきかねえよ!

鮮血最高!最高!シャワー浴びててもドカドカ流れてくる!おもしろ〜〜〜〜〜〜い!!!!!!!!!私はこの最悪の2日間を経血を見ることでめちゃくちゃ楽しんでいる。自分だけの密かなパーティーだ。怪我ではないけど合法的に(?)血が流れてくるところを直に見られてかなりいい。夜寝て朝になったらナプキンが血まみれになってるのも良い。とにかく、景気がいいとオ!生理やな〜〜〜〜〜コレだよコレ!みたいな気持ちになる。

一方、3日目以降はおおよそ血の出がカスくなる。5日目にもなると黒い「何か」が出てくる。こいつのことは好きではない。気持ち悪い。早く生理が終わってほしいと心底願う。終わったと思った次の瞬間黒い「何か」がいる。徐々に終わるんじゃなくて○日目になったらキチっと出なくなってほしい。

なお、こんな話は他に聞いたことないので経血で楽しくなってるのって私だけなんだと思う。人によって生理はさまざまなので、この話を真に受けないでね。

おわり

anond:20240602201837

まり女性と付き合えてる男は女性からしかけて来たってコト・・・

 そういう方向にもっていくというのは一つの重要ポイントではあるね。(唯一のとは言わないが)  

5ch(2ch)はROM専を貫き通してきたので、匿名ダイヤリー書き込み始めて、

つの記事から相手人生ゲスパーされて、その見解を見られるというのがこんなに鱗が落ちることだとは知らなかった

ハマるとヤバそうだが、楽しくてやめられない

友達を作った方がいいな

映画 ジュラシック・ワールド 新たなる支配

新旧メンバーが勢ぞろいして送る超豪華映画

んーしかし、二つのシナリオが同時進行することでとっちらかって、人間ドラマの量が増える。

因縁があるような恐竜も出ず、先々でイベントのようなアクションシーンにいろんな恐竜が添えられる。流石にCGはよくバイクや車とのチェイスシーンは好きでしたよ。その前の人の飛び降りとか視界外の移動に超反応で別ルートから追走するのは嫌い。

合流したらご丁寧に全員の正面が映る画を作り、ノルマのように順繰りに危機に陥るのは正しく失笑した。いい感じにオールスターでございと出来ている。

メイン目標遺伝子操作されたイナゴを何とかしろというぼんやりとしたミッションとなっており、ここでも恐竜は添え物。メインディッシュではないのが悲しい。イナゴには恐竜DNA研究結果が反映されてる?だからなに?

OPを除けばゆったりと恐竜を眺めることもなく生態を利用するでもなく。危険装置として働いている。そういえばほぼ銃を持った敵が出なかったのでそういう一般的な敵の代替程度の扱いだろう。

恐竜仕草・恐さについても鼻先だけ映して匂いを嗅いだりうなり声を出したりのオマージュが多用され辟易とする。お前らそれしかできんのかい。その場面に持っていくために視覚聴覚嗅覚ガバガバ恐竜が出来上がり2020年代にもなって行動が生き物らしくない恐竜を見せられる。見た目はリアルになる一方でこんな生き物にされて恐竜ファンは嬉しいのか?ケツァルコアトルスとかもノルマ的にいるだけ参戦だしよぉ。飛行機襲って破壊するとかぶっとんだ舞台装置だよ。

  

 

キャストについてもポリコレが鼻を突く。

とにかく白人ばかりになってしまった主要メンバーたちを助ける善人はバランスを取るためにか黒人である

内部の裏切り者博士たちを助けるのは黒人

潜入捜査中で旧友を助ける捜査官も黒人

密輸上等常習犯なのに女の子の受け渡しを見て良心が疼き母親のために危険飛行機も投げ打って行動を共にする女性黒人。一緒に密輸した恐竜の子供に思うところはないのか?コイツはなぜかそこそこ恐竜知識がありながら恐竜への思いいれや因縁などはなにもない。人身売買に関与したのが初めてなの?加入までの流れは非常に人間至上主義的で、ご都合主義にしても「恐竜がいる世界」もなにもかも活かせていない真っ黒のクソの塊。

中国系科学者良心の呵責に耐え切れず改心し主人公たちに協力する。

義務のように各場面によい黒人を帯同させてるのはうんざり。全体のバランスをとるにはコレぐらい必要かもしれないが、新味方キャラという視点では固まりすぎている。せめてこんな長期シリーズ決算でやるなよな。

 

  

 

じゃあ面白くなかったのか?と聞かれると、悔しいかなそこそこ面白かった。映像のよさは七難隠すし、なによりやはり人間キャラクターがよい。昔のキャラちゃんと活きていて懐かしさを覚えるし若々しいキャラ若いなりのアクション含めまた見れるのは嬉しい。

とかく同窓会としてよく出来ている。

その分なおさら強調されるのは恐竜映画としてどうなのよ?という点。ダメダメだよね。

たまにNHKが輸入して流してる恐竜CG番組の方が満足感はあるかな

超てんちゃんって、あの見た目で腹黒トキシック二面性がウケたのに

つのまにか外見通りの天使だと思い込んでしまってる奴が増えたんだな

まー反AIに絡まれたのが運の尽き

ドンマイにゃるら

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