はてなキーワード: 正念とは
問題の先延ばしというか、ビジネスとして名前を使い続けるための代償ではあるね。
日本では表現規制の文脈で語られることもままあるMastercardだけど、その名前を使い続けるために平均的な日本人からするとびっくりするような決済規制をしているというわけだ。もちろんそれでビジネスとして失敗しないという判断あってのこと。
逆に言えばMastercardの立場が弱くなってからなお同じ態度を取り続けることができるかどうかがMastercardという名前を冠する企業の正念場ということだね。
あと当たり前だけど、あなたの言う「批判者の神経を逆撫でしている」が真なら名前変わらないでも何度も名称の件で炎上してるよ。実態を見ようね。
株式会社Wacomは、高品質なペンタブレット類を筆頭に、クリエイター向けのデジタル製品を展開する埼玉県の企業だ。
超有名ペイントソフト『CLIP STUDIO』のセルシスと提携してイラスト情報サイトを運営したり、YouTubeにて著名作家による液晶ペンタブレットでのメイキング動画を配信するなど、顧客だけではなく、クリエイティブの世界全体に寄り添ってきた印象の強い企業だった。
そんなWacomが、言うまでもなく数多のクリエイターから侮蔑され、今に至るまで常に批判を浴び続けているAI生成画像を広告に使用した。
当然、界隈には激震が走り、すぐさまWacomは非難と誹謗中傷の雨あられにさらされることとなった。
全ての発端となったその画像は、Wacom米国支社が新春セールの告知バナーとして掲載した画像に使用されている龍のイラストだ。
それは昨今の精緻化しつつあるAI画像事情を考えればまったく稚拙と言っていいAI丸出しっぷりのカスみてえなクオリティのポンチ絵であり、切り抜きすらガバガバで、目にしたユーザーが正気を失うのも無理はない瘴気を放っている。
Wacomの弁明によればストックフォトサイトから購入した画像であり、説明には手描きですって書いてたらしい。信じるなよ。
ゆえに、
①ペンタブという、血と汗と涙を流してがんばるクリエイターの相棒となる機器を売っている会社が、クリエイターの成果物を無遠慮に搾取して作られたAI画像なんぞを広告に使いやがったことへの怒り
②たとえ本件が広告代理店単独のやらかしであってWacomは悪くないのだとしても、創作の現場と密接に関わってきたはずのトップ企業があんな分かりやすいAI画像を見抜けなかった、あるいはチェックさえせず素通りさせた可能性があることへの懐疑
③そもそもWacomとかいう超有名かつクリエイターと親密なはずの企業が、自社の広告に使うイラストを新たに発注せず、ストックサイトから拾って済ませたことへの落胆
④ユーザーの告発がバズったさいに、迅速な対応を見せることなく火元の投稿を無言で削除してしばらくだんまりだったうえ、ようやく出た謝罪文がどうも歯切れの悪い内容であることへの🤔
⑤Wacom製品の宿痾であるタブレット用ドライバの虚弱体質への不満が炎上ついでに大噴出
上記を主な理由として燃えに燃え、もはや消し炭すら残さないフェーズに入っている。
自分は生成AIをゴミだと思っている人間であり、Wacomのbambooに導かれて絵を描くようになったおえかきオタクであり、同じくWacomが展開する液晶ペンタブレットのフラグシップである"Cintiq pro"に憧れてきた一介のユーザーであるため、Wacomが燃えているのは我が事のように苦しく、歯痒い。
はじめはWacomに対する困惑と、とにかくは炎上を追わねばという気持ちだけがあり、なぜAI画像を使う羽目になってしまったのかさえ知れればよいと思っていた。
だが、炎上が際限なく広がり、どこまでも飛び火しまくっている現状を見るほどに、自分でもよく分からない様々なお気持ちや悪態が自分の内で噴き出しまくってないまぜになり、どう整理すればいいかさえ分からなくなってしまった。
非難にあわせて拡まった不買運動や、やおら他社製品の液晶ペンタブレットを持ち上げ始めるインフルエンサーの挙動にイラつく自分も情けない。
その代替として挙げられた製品だって過去にAIで広告作って燃えてるし、そもそもそいつらがCintiqに敵うものかよ。
一方で、そんな悪口が出てきてしまうのは、私が持ち合わせているある種の国粋主義的な、権威主義的な部分が強く認知を歪ませているせいであるという点を否定できない。私はWacom信者だ。恥ずかしながらこの目は曇っている。
なんにせよ、よく分からないお気持ちを抑え込むことさえできない自分があまりに馬鹿みたいでつらいのだ。
AI慎重派の筆頭論客でもある某イラストレーターが「XP-PEN(Wacom以外であれば真っ先に候補に上がる中国の優秀なメーカー)の液タブ買ったよ」というツイートをしただけで「Wacomへの当てつけかよ!!!?!!!!!!!?!」となってしまう自分の単細胞が恨めしい。
だから、彼がとてもとても理性的な筆致で書いてくださっていたnoteを読み、示されていたフラストレーションの殺し方のすすめに従って、こうして文章の形で消化しようとしている。私は絵でしめすより文章をしたためるほうが相対的に得意だから。うまくいくかな。
思いついた順に書く。くどいので今後は液晶ペンタブレットを「液タブ」と表記する。
本件を概観するうえで見落としてはいけない気がするファクトとして"Wacomの液タブ"という存在・概念が、デジ絵に親しむ者にとっては単なるハイエンド製品に留まらない、絵描きとしてのステータスシンボルでさえあった実情がある。
「Cintiq」という名は単なる製品の名前ではなく、それこそCHANELの「N°5」のような、ある種の象徴を背負ってきた。なぜなら長い長いあいだ、Cintiqこそが唯一の“本物の液タブ“だったからだ。
どういうことかといえば、Wacomの特許でもある電磁誘導方式(EMR)という動作形式で作動するの液タブは、長らく新生Cintiqシリーズしか存在していなかったのである。
EMR方式は、グラフィック用タブレットの動作方式として最も優れていると言っていい代物だ。飛び抜けて高度な筆圧感知と動作検知能力を持つため、まるで紙に線を引くかのように繊細な描画が可能であり、ペンの充電に煩わされることもない。
かつては板タブの専売特許であった強力な描画能力を、液タブだてらに誇示してみせたことでCintiqは伝説となった。
EMRの特許が切れた現在となっては、他社も盛んにEMR方式の液タブを発表しはじめているものの、依然としてそのクオリティの高さは変わらず、Wacomの歴史に根ざした信頼もあって、“Cintiqという名前“は永遠に“すんげーつよつよ液タブ“の比喩であり続けている。
趣味であれ生業であれ、デジタル創作に親しむ人々はみな、ショーウィンドウ越しのトランペットを見つめる黒人少年のごとく、Cintiq proに憧れながら絵を描いているのである(主語デカ案件)。
だからこそ、"あの"Wacomが!!?という衝撃は大きかった。よその企業がAIを使いやがったときのそれとは、話が違うのだ。
むろん、いくら創作にまつわる機器を扱う会社だからといって、告知に使う全てのイラストにコンペを設けたりできないことは、さすがに分かる。
それでも、だとしても、誰しもが「なんで社内イラストレーター使わねえんだよ」と失望するほどには、Wacomの名前は重かったのだ。
当のWacomにさえ抱え切れないほどに。
また、消費者による企業への信頼とはすなわち資本への信頼でもある。
ただ、ただ単純に「高え金払ってんだからしっかりしてくれよ頼むよ」という話だ。
「Cintiq pro27」とかでググっていただければ分かるとおり、Wacomのフラグシップ製品は、おしなべてアホみたいに高い。Apple製品とタメを張るくらい高い。ちなみに企業姿勢もどとこなく似ているところがある。
Wacomがどんだけ儲かってるかは知らんけど、あんな高いもの売ってるなら相応にお行儀よくあってくれたまえよという話なのだ。
これはカスタマーが企業に怒りを覚えるポイントとしてあまりに分かりやすく、またその気持ちを分からない消費者はいないだろう。
ちなみに、米WacomがAI画像をうっかり購入したフォトストックサイトが、よりにもよってAdobe Stockであるのも見逃せない点だ。
かのAdobeもまた、AI魑魅魍魎に占拠され AI汚染の震源地とすら揶揄されるようになったAdobe Stockの有様をユーザーに咎められ、「高えAdobe税払ってんのに自社のフォトストックすら守れねえのかよ」という失望を集めて絶賛失速中の身である。どうも示唆的なものを感じずにはいられない。
ただまぁ、個人的に上記の諸々は単なる背景情報であって私には正直どうでもよかったりする。ここまでクソ長々と書き綴ってきたうえでこんなことを言うと正気を疑われるかもしれないが。
私はただ、頭が固くて権威主義で旧弊なオタクであり、Wacomを埼玉の誇りだと思ってる埼玉県民ゆえ、ただただ、たった1回の過ちでWacom製品を投げ捨て、""有象無象"“の""中華""製品に手を伸ばせるみんなのフットワークが信じられないのだ。
そして今回の傷が重篤な致命傷なのは否定できないとはいえ、なにもWacomが主体的にAIを推進したわけでもないのにここまで炎上が広がっていることに引いているのだ。
なんかこう…例えばCintiqの次世代モデルにAI積みますとか言い出したわけでもなく、ただAI画像をなんとなく手にとってしまっただけなのに、叩かれすぎじゃないかと思うのだ。確かに迂闊で許される範囲じゃないとは思うけどさ。
とくに、まるでWacomが生成AIを大歓迎し、諸手を挙げてユーザーに押し付けようとしている企業であるかのように罵っている一部のAI慎重派の言動はあさましく思えて仕方がない。
むしろWacomは絵柄を署名のように扱える技術を研究し、「AIでAIをぶちのめす」道を探ろうとしている途上にあるというのに、というかその話題が出た当時はみんなしてさすワコしていたというのに……。
……長い長い冬を抜けて、ようやく著名なイラストレーターの方たちでさえ腹を括ってAIの被害を訴えてくださるようになり、ここ最近にきて生成AIに関する議論が持ち直したように感じられる場面が増えたように思う。
一方で、その暗い冬のあいだに摩耗した精神を顧みぬまま、あれもAIこれもAIAIAIと呪詛の言葉を撒き散らすようになってしまったインフルエンサーの方が何人か思い浮かぶ。
特に、最近になって「2023年8〜10月以降にいきなり生えてきためちゃうま絵師は基本AIだと思え」というド失礼な認識が自然発生し、ぽつぽつと苦言が出ることがあっても、とくに大きな反発もないままその認識が界隈に定着したのを見たとき、私は「底が抜けてしまった」と思った。
そこに畳み掛けるようにして、絵描きの最良の友であったWacomへの過剰な警戒がドバドバドバドバ噴出しているのだ。しっちゃかめっちゃかだよもう。
AIbroが吐き捨てていった「AI規制派はフェミ!」というお里が知れる鳴き声を、彼の意図した形ではないとはいえ、私は捨て置くことができない。
今の「AIカスどもVS絵師とかの連合」の泥沼バトルは、慄然とするほど「"フェミニズム"VS表現の自由」の界隈が辿った道筋に似すぎているのだ。
あの人たちはどうなった?
ギャグみてえな炎上の渦中にあっても気高く振る舞ってきた、"フェミ"と蔑称されるいわれなき本物のフェミニストたる女性達は、数回の炎上ですぐさまインターネッツ・レスバの無意味さを悟り、彼女らがまだ"まなざし村"という懐かしい名で呼ばれていた時代の終わりと共に雲隠れしてしまった。
こうして萌えコンテンツをひたすら理不尽に憎み、ダブルスタンダードな思想を振り回しながらLGBTに迷惑をかけまくる、だいぶ苛烈な女性だけが鼻息荒くリングに残ることとなった。
一方の"オタク"の側も、愛するコンテンツを守りたい一心で不器用にも声を張り上げていた層が、本当はそんなふうに怯えなくてもいいことを知り、安心して去った。オタクコンテンツを傷付けやがる連中の正体見たり枯れ尾花。好きなものを愛でる時間のほうがよほど大切なことに気づいたのだ。
そうして気持ち悪くて不謹慎な処女厨の童貞が一番カッコいいという化石じみた価値観のまま、アニメやゲームに言うほど思い入れがないにも関わらず、現実の女性を逆恨みする原動力として自分をオタクだと思い込まねばならない可哀想な男性だけがオタクのバトンを勝手に引き継いだ。
そんなこんなで、かの界隈は"炎上のための炎上"の火の手が毎日どこかしらで上がり続ける、オタク嫌いとミソジニストがこの世の終わりみたいなナワバリバトルをやるだけの地獄と化してしまった。
他人事とは思えない。
「絵が描けるだけで好きなだけイキれてvtuberにフォローしてもらえるキモオタどもが羨ましい」という凄惨な嫉妬が胸の内で渦巻いていることにさえ気づけないまま、自分は最先端技術を理解しているすてきなテックギークだと心から信じて、満たされることなく価値のない画像を貪り続ける“彼ら“の壮絶さを思えば、相対する我々はたしかに、さすがに、今のところは同じ場所まで堕ちてはいないと言っていいだろう。
今のところは。
だが、その尊い正気が首の皮一枚でつながっているに過ぎないことを、前線にいる多くのひとが忘れてしまっているように思う。
自分がすぐにでも怪物に成り果ててしまうほど疲れ切っていることに気づかず、このまま怒りと悲しみを免罪符にして諍うだけの日々を送っていれば、すぐにでも炎上の熱狂と、レスバのライブ感に飲まれてしまうことだろう。
これは自戒でもある。
この戦いはコップの中の嵐ではない。
議論の場としては最悪なインターネットが唯一のフィールドというのも逆風だが、それでも。
非常に緩慢なテンポで、ときに腹立たしい揺り戻しに見舞われながらも、世界は確実に、ゆっくりとまともな方向に舵を切ろうとしている。
それもこれも、生成AIという忌子の産声に迅速に反応し、大衆がことの重大さに気づく前から、狼少年のような扱いを受けながらも折れることなく声を上げ続けてくれた人々がいたおかげである。
あなたたちが戦ってくれたからこそ、ようやくたくさんの人々が目を覚ましはじめている。
だから、我々はその目を裏切ることなく戦い続けなければならない。
だから、少しでいいから、休んでほしいのだ。ふと立ち止まるだけでもいいから。
この局面にあって、些細なことから「やっぱ反AIって頭おかしいわ」と思われるような事態があってはならないのだ。
私は恥ずかしながら、かつて表現の自由戦士と揶揄される感じのあのへんの活動に片足を突っ込んでいた。
そしてその日々の中で、素晴らしく聡明で、洞察力があって、敵を糾弾する時も優しさを忘れない、人間としても尊敬を集めていたオピニオンリーダーがある日突然ぶっ壊れてよくわからないことを言い出し、クソほど炎上するのを何度か目にしてきた。敵にも味方にもそんな人が出ていた。彼らはそのまま、“炎上のための炎上”をやるためのゾンビと化していった。
思い返せば彼らはいつも最前線に立って、独りで戦っていた。“界隈の人間ではない“人間がそばにいて、エコーチェンバーの反響を適度に遠ざけることさえできていれば、ガス抜きさえできていれば、何かが変わっていたかもしれない。
怪物と戦うものが怪物にならない方法は、ひとつだけ。連帯することだけだ。
あなたたちの仕事は言うまでもなく私が、そしてなによりあなたたちが呼び覚ました無数のビジランテが引き継いでいく。
だから、少しでいいから息をついて、AIbroどもにもみくちゃにされる中で削ぎ落とされてしまった何かを取り戻してほしい。我々にとってあなたたちが必要だからこそ、壊れないでほしいからこそ、私はこんなことを言っているのだ。
Wacomを許せるなら我々はまだ引き返せるはずだ。
このエントリがあなたたちの目に入ったら、お前は手ぬるいだの悲惨な現実を理解できてないだのの有難いお言葉が飛び出してくることだろう。
確かに前半のWacom擁護は、贔屓にしている会社かわいさゆえの妄言ではあると思う。正直。
でも、後半で言っていることを取り下げるつもりは絶対にない。
現実がまじくそだとしても、だからこそ、意地汚くAIを押し付けてくる連中とこれからも戦っていくためにもここで少し立ち止まり、あたりを見回して我が身を振り返らねばならない時期にきていると私は強弁する。
気がつけば、ホロライブ・にじさんじの2強の次くらいの存在感を示すようになっていたVTuber事務所、その名もBrave Group。
強気の買収攻勢でぶいすぽっ!にRIOT MUSICという2大看板を傘下に収めているところに、ヒメヒナまで獲得。
その一方であおぎり高校を手放すという、リスクとリターンを冷徹に見定めるムーブも繰り出していたり。
業界の草創期はベンチャーの中の選りすぐり数社が覇権コンテンツを握るものだけど、ここから先はこういう資本力を背景に、有望そうな小規模グループを獲得するところも目が離せない。
一方で今年から正念場を迎えたのが、Brave Groupが躍進するまで、一応有名老舗として3番手をキープしていたななしいんく。
小森めとのぶいすぽっ!移籍に始まり、とうとう一番の売れっ子だった周防パトラが事務所を脱退して独立。
前向きな話題と言ったら新規タレント3人デビュー(このうち定着したのが2名)というくらい。
それだってRIOT MUSICやぶいぱい、ミリプロといった他のハコの新人デビューの前に霞んでしまっている状態。
むしろ上掲の移籍・脱退や部門統合の混乱っぷりばかりが目に付く有様。
ぎ
〖義〗 ギ よし
1.
《名・造》
「義を見てせざるは勇なきなり」
2.
利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持。
「義気・義俠(ぎきょう)・義士・義婦・義勇・義軍・義挙・義憤・情義」
せい
〖正〗 セイ・ショウ(シヤウ)・ただしい・ただす・まさ かみ
1.
《名・造》
まちがいない。ただしい。うそでない。「正邪・正道・正理・正義・正論・中正・方正・公正・真正・純正・厳正・正正堂堂」。以下「ショウ」と読む。
「正法(しょうぼう)・正念・正覚・正因・正真・正銘・正気・正直・正面・正体・正札(しょうふだ)・正金・顕正・実正」
2.
ただしくする。ただす
最近ネット上でやたらと「正義 正義」と主張したがるやからを見かける。なので改めて 、正とは何か 義とはなにかを意味だけ調べてみた結果である
ジャニーズ事務所会見の件があまりに示唆的な要素たっぷりなのでメモ。
ジャーナリストごっこhttps://anond.hatelabo.jp/20231003040510
の続き。
当事者主催の記者会見が真相究明の正念場であるというステレオタイプはなかなか強固なようだ。攻める敏腕記者。はぐらかす当事者。「ではこの件をどう説明するんですか!?」「うぐっそっそれは…」そんなことにはならない。
仮にかれらの疑問なりご意見を全て東山なり井ノ原にぶつけ、一切制限なしに吊るし上げたらどうなるか?格好の「禊」を提供するだけになる。三日三晩死ぬ気で踊ってドガチャガにできるんならやるだろう。そういうことのプロなんだから。
報道側にも勘違いしてその気になっている者があるから笑える。いや笑えない。
そして驚くべきことに、会見をアレンジする側すらもがそんなノリであったのだ。「NG記者」だってさ。カメラに抜かれてバレるとこまで含め「相棒」かなんかのワンシーンみたい。もしかしてわざとやってる?いくらなんでも拙劣すぎだろう。
記者会見とはそもそも何か。言ってしまえば「握り」の産物である。当事者は能動的にダメージコントロールができる。報道側は記事が作りやすい。一般視聴者としては事態の経過について綜合的に「ここまではこう」という大枠の認識を確定していける。
会見設定した側のルールになんか縛られたくない!というなら縛られなければいい。記者会見の場にはハトくらいしか来ず、虎狼のごとき記者たちは自由に取材攻勢をかけまくる、で結構ではないか。なぜそうしない?めんどくさいから。
ジャニーズ事務所の始末、被害者ケアのスキームには目鼻がつきだしたようだ。
しかし現存幹部らがジャニー喜多川の犯罪の「共犯」であったとされるのと同じくらいに「共犯」であったはずのマスコミの罪は全く手付かずのままである。「記者会見のやりかたがずるい」とか、そんなどうでもいいことに目眩まされてるんじゃないよ。バカなのか本当に。「バッカモーンそいつらがルパンだ」だよ。
東京新聞の「反省文」には笑った。「ごめんちゃい、でも記憶にないんです」だってよ。ごめんちゃいで終わりなわけないだろう。
空前の性犯罪がいかにして隠蔽されてきたか、専門チーム組んで年単位で調査報道やれよ。ド素人のミーハーおばさん以下の人材しかいない組織なのか?まともな調査報道などできない【新聞社のコスプレ】なのかよ?
異常な犯罪を可能にした異常な土壌は、言わずと知れたマスコミ利権構造である。
新聞は儲からない商売だが、TV局は電波利権を独占して、いまだ巨利を生む商売である。そして本邦では新聞社とTV局が一体である。
ジャニー喜多川はTVに食い込んだ。それでも喜多川の持つ直接的な「権力」の範囲は限定的なものである。彼の天才は限定的な権力にレバレッジをかけて「権威」に高めた点にある。歴史の男山根なんかも同じだな。当人は何にもないただの爺なのに。
権威とは強制力の及ばない人間をも平伏させる力だ。その源泉は「隣の人も平伏してるから、とりあえず、なんとなく」である。そういう自縄自縛の魔術あるいは詐術なのだ。
要するに。既得権の上にあぐらをかいた業界の中の人たちにとって、波風立てることは「少し不快」だったに過ぎない。不正に口を噤む不快よりも、少しばかり。
事態がめくれたのが「外圧」のおかげだったことは、とてもわかりやすい。つまり全く別の系に存する権威(欧米の人たちに白い目で見られちゃうよ)からの一刺しだったからだ。内側からは破れないが、外からならあっさり破れる風船だった。
ジャニーズ問題の糾明とは【利権の上にあぐらをかいた】【調査報道の能力がないマスコミ】を根底からぶっくらかえすということだ。やれんのか?もちろんやらないしやれないだろう。一問一答がどうだとか、記者が記者を注意するなんてありえないとか、バカみたいな些末な「問題」の糾弾を目くらましにして「隠蔽」は続くだろう。
ここで「大マスコミはもうダメだ、インディペンデントな真のジャーナリストよ立てよ」という声が上がるかというと上がらない。その希望は上杉隆がきっちり潰してくれたから。
さて、話はこれで終わらない。ジャニーが使いこなしたレバレッジとは何か。それは大衆の感情スクラムである。いまジャニーズ事務所に向いている、それ。
望月もいるアークタイムズ編集長いわく、「記者会見でアンフェアなルールを押し付けるジャニーズ事務所の体質が、ジャニー喜多川の性加害継続を可能にした」「事務所側の押し付けるルールを喜んでおしいただく他社マスコミも一味同心」であると。
つまり?ジャニーズが設定した会見にうかうかと乗っかっておいて現場で同業を押しのけて騒ぐことが唯一無辜の立場になれる裏技なわけだな。
違うだろ。正義を行う気があるなら、おのれらに刃を向けろよ。
井ノ原らによる己への扱いの悪さは、かれらが喜多川の犯罪を看過してきたことを連想させるという、ボヤキのような主張。
ここだ。連想は連想なんだよ。連想ゲームで何かを発見した気になるな。ジャーナリストがそれをやっちゃおしまいなんだがそればかりやってるな。
「大衆の感情スクラム」の接着材もこの【連想を発見と勘違い】である。陰謀論者たちを固く結びつけるものもそれだ。
故・安倍元首相のひそかな趣味が「ドーベルマンのブリーディング」であったという事実を知って、ある種の人々は「なぁーるほどね」というだろう。何がわかったというのか。ちなみにウソである。
比喩がムリな人というのがいる。「地殻とマントル、核の構造は卵の殻と白身と黄身のようになっているよ」「だが、卵は楕円形だ(ドヤァ」「そもそも地球は卵とは全く大きさが違う(ニヤリッ」みたいな会話?はネット上では日常茶飯である。というかどうせそうなるから対人でたとえ話はしない。抽象思考ができるかできないかのラインというのがあるのだ。
「連想させるからなんなんだよ!それで何かわかったつもりになるなよ!」というのが通じない相手には通じない。それは仕方ない。問題は本邦のジャーナリズムが「その程度」であることだ。
誰をいくらぶっ叩いてもこの問題は解決しない。我々は正しく絶望しなければならない。
■論旨に組み込めず追記。
「井ノ原はグルーミング上手を受け継いでいる」といったゴミみたいな主張が目に入るとまことに心冷えるものがある。
「悪を叩く側の邪悪さ」ってそれこそアニメ漫画でも使い古されたモチーフなのに全く克服されることはない。
■
「連想ゲームで何か言ったつもりになる」の早速の実演。
どう独りよがり≒間違ってるのか論証してみ。
■
こういう思考回路が自分とは完全に別次元の人って、会ってみたらどんな感じなんだろうといつも思う。
(で、かくも意味を結ばずただ下劣なだけの罵声に喜んで星つける、どっかで見たメンツね)
■何十かに一つは虚を衝かれるようなブコメあるもんだけどこの件に関してはほんと誰の発言を見ても特に新たに学ぶものはない。そもそも俺もわかりきったようなことしか言ってないが。
おかげで普段はさすがに無視するレベルのハナクソピンポンダッシュerの類ばかりが目にうるさい。
■
id:white_rose 冷笑してれば自分は安全と思ってそう
「こいつは〇〇と思ってそうだ」などというのは内心ひそかに思えばいいことであり、公然と発言する際に採るべき話法ではない。
言うまでもなく根拠を示さず一方的に誰にでもどんな濡れ衣でも着せられる万能論法だからだ。
「冷笑してれば自分は安全と思ってる」のは他でもない、反論されにくいはてブの仕組みに過剰適応した自分自身だろう
■大分と《恨みを買った》ようで、「増田記事を書く行為」そのものを非難するという奇妙な泣き言のようなコメントが未練がましく付き続けているが、少しやり取りしてみて一つ気づきがあった。
ヤフコメとかYoutubeコメ欄で、本人なりの正義感でよくわからないことを書いている、なかなか意思疎通は望めないであろう右や左の素朴な人士が居る。
一方ではてな界隈なぞに詰めているクソリプマンは、嫌がらせに熟達したすれっからしのネットトロールで、目を合わせるのは身のためでないし恥ずかしいことだという思い込みがあった。ミニミニ暇空みたいなものかと。
オレオレFCはアウェイでセレッソ大阪に今季リーグ戦ワーストの3失点で、4試合ぶりの黒星を喫した。開始早々の前半6分にFWレオ・セアラに決められると、同26分にも追加点を献上。選手を交代し、反撃に出たい後半だったが、同18分に村松が2枚目の警告で退場。為す術を失ったチームは同33分に3失点目を喫し、シュートたった3本で今季6度目の無得点。完封負けは5試合ぶりとなった。次節19日はホームでサンフレッチェ広島と対戦する。
◇ ◇ ◇
ロイブル軍団が今季ワーストの大敗を喫した。前半で2失点すると、後半には退場者を出し、シュートは僅か3本と為す術なし。試合後、大阪に駆けつけたサポーターからはブーイングが鳴り響いた。
野河田彰信監督は「前半から全く動けてなかったな」とボヤいたように、天皇杯・磐田戦から中3日。日中の気温が35度以上の酷暑も影響したか、選手たちの動きは見るからに重く、攻守に選手が孤立する場面が目立った。MF鈴木潤主将は「それは相手も同じなので」と言い訳はしなかったが、序盤から激しいプレッシャーにさらされた。開始6分、26分の失点はいずれもパスミスから。「最初の失点で焦りが出てしまった。キャプテンの自分がもっとチームをコントロールしなければならなかった」と悔いた。
後半からFWトーマス・ノレジーを投入し、反撃に出たいところだったが、後半18分にMF村松が裏に抜け出したMF香川真司のユニフォームを引っ張り、この試合、2枚目の警告で退場。中盤の要を失い、数的不利に絶たされ、慌ててシステムを変更する悪循環で、後半33分、心を折らすには十分な3失点目を喫した。野河田監督は「アレ(退場)で反撃の糸口を失ったな」と悔やんだ。
「自分達のやり方をかなり研究されてきている」とは、奈良井貴浩オフェンシブコーチ。守備戦術である“エリアプレス”が掻い潜られ、PA内にどんどん侵入された。攻撃でもハーフラインとセンタースペースを固められ、要の鈴木潤やFW森永が孤立。サイドで打開しようとしても、相手のハイプレスにハマり、侵入出来ず、悪循環に陥った。奈良井コーチは「このままだと、残り試合を乗り切れない。今日の試合でそれは感じました。選手達もフラストレーションを溜めていると思いますし、ポジショニングやシステムを含めて、ディテールを突き詰める時期に来ている」と話した。
次節はホームで広島と対戦する。しかし、退場した村松に続き、森永、DF奈良田、MF森下が共に累積警告で次節は出場停止と中盤、攻撃の要を欠く一戦。鈴木潤は「ホームで勝てるように頑張ります」。ここまで躍進を遂げてきたロイブル軍団が正念場を迎えた。
2022-08-13 40歳マッチングアプリ増田やがワイの何が悪いんや…
2022-08-14 40歳マッチングアプリ増田やがそこまでワイは悪くないんちゃうか?
2022-09-01 またまた40歳マッチングアプリ増田ですやで
2022-09-05 40歳マッチングアプリ増田やがやっぱりしんどいやで
2022-09-11 40歳マッチングアプリ増田やけど疲れてきたで
2022-09-15 40歳マッチングアプリ増田やけど今回もダメそうや
2022-10-07 40歳マッチングアプリ増田やけど初めて2回目に進めそうやで
2022-10-13 40歳マッチングアプリ増田やけど初めて2回目の約束したやで
2022-11-18 40歳マッチングアプリ増田やけどここが正念場かもしれん
2022-12-02 40歳マッチングアプリ増田やがサッカーとかColaboとかどうでもええねん
2023-01-11 お久しぶりの40歳マッチングアプリ増田やで
肩書がないと自信がもてなくて異性をはじめ人間関係を作れないことが人生の選択肢を狭めている。そこのところは本や情報漁るなり実践するなりして課題として解決していかないといつまでたってもうまくいかないと思う。
司法が現実的に可能性あるなら必死で頑張ろう。就職は誰しも苦労するし、レール外れてからだと尚更大変なのは確か。正念場と思ってやるしかない。司法が現実的でないなら仕事探すしかない。最初からすごいところとは思わず目標のところに人脈でステップアップできそうなところを狙っていく。
親とネットしか人との関わりがない環境だと思考が偏ってくる。コミュニティなりバイトなり公的な相談窓口を活用するなりしながら、何が自分に向いているか、現実的にどういうステップを踏んでいけばいいのか整理しよう。
私にとってapexはよくも悪くも人生を破壊されたゲームで、去年一年間のプレイ時間は3000時間を超えていた。廃人なみにやっていた一方、現在はそこまでやっていない。その理由の一つに、「センスのない凡人はどう足掻いてもソロマスになれない」というのがある。私はダイヤ帯に三シーズン連続で到達し、そして毎回ダイヤ3の手前で終わった。シーズンを追うごとに、私はCSでやっているのだが、味方にデュオが来ることが多くなり、デュオに合わせながらプレイする毎日だった。自分がキルしても味方はついてきてくれず、逆に上手すぎるデュオについていけず自分が死んだりと、兎に角やってて楽しくなかった。ソロの醍醐味である、見知らぬ仲間とお互いに連携して勝つ!というのがほぼ失われていた。
それに加えて、ボルトSMGとフラトラが床湧きしなくなった。これが自分にとっては致命的だった。単純に、撃ってて楽しい武器がゲームをやってても使えないというのは相当ストレスだった。あとは私が好きなアリーナランクのマッチシステムが改善されず、更にアリーナにおけるハンポ関連について何の調整もやっていない事もストレスだった。
ファミ通か何かの、apexの運営のインタビューを読んだ。そうするとそこには、常に新しいことにチャレンジするとあった。きっとその結果として、オリンパスの改変やコントロールがあるのだろう。確かにコントロールは楽しい。でも、ボルトが無く、BRランクに潜ればデュオの顔色を伺わなければならず、アリーナに行けば敵も味方もディヴォREなこのapexに私は正直楽しさを見出せない。
今年の夏にスプラ3が来る。csのエンジョイ勢はほぼスプラに移行するだろうし、pcユーザーだってスプラに移る人はいるだろう。そこが正念場なのではないかと個人的に思う。私はapexブームは今年で終わると思っている。pcユーザーはそもそもvaloやタルコフをやっている人が多いし、csは他に人口の多いfpsがないからapex一強なだけだ。このどうしようもない運営が変わらない限りapexのブームは終わると思う。
わいは港区は森家の城下町でかわいいボーイを2人育ててるんだが、不思議と彼らの小学校/保育園(区立ね)が休校にならないことを不思議がっていた(文章力)
会社の山手外縁民は日々「今日は2,3年学級閉鎖じゃー」「Aクラスの学級閉鎖が終わったら次はBクラスじゃー」などと悲鳴をあげているのに。
この週末で似たような共働き子育て世代の話を聞いて合点がいった。
家族A)
マッマ 先週38度の熱が出る。当日は悪寒、翌日全快、空咳が残った。
家族B)
上16歳BOY、学級閉鎖。あれれ、本人も熱が出てきたぞ。
下BOY、今週が正念場
上BOYは一日39度までいったけどカロナールで全快でもとりあえずアパホテル行き、ついでにパパも。 そういやパパもこのまえ一日熱あったな?
つまり…
下手にPCR受けて陽性反応いただくと、家族全員身動きがとれなくなる。
んで、ワクチン打ってて通常の肉体をしていると、1日で終わる。
そもそも病院いっても軽症者には特に何もしてくれない(カロナールとかムコダインぐらいじゃない?
ということは、熱出ても家で寝ててリモート会議とかいしてるのが最適解となる。
そのことにみな気が付いて、受験近辺世代がだれも病院行かないから港区小学校はたいして学級閉鎖してないんじゃないのか?
リモート授業も一般的になって、学校に出席しないのもあまり違和感がないし。
渡辺明王将(名人、棋王)に藤井聡太竜王(王位、叡王、棋聖)が挑む第71期ALSOK杯王将戦七番勝負は、2022年1月9日、静岡県掛川市の掛川城で開幕した。王将含む三冠を保持する渡辺と、竜王含む四冠を保持する藤井。三冠と四冠によるタイトル戦は史上初で、文字通りの頂上決戦である。両者によるタイトル戦はこれが3回目だが、2日制のタイトル戦を戦うのはこれが初めて。より深い次元で互いの読みをぶつけ合う、最高峰の舞台がここに整った。過去2回のタイトル戦では、藤井の前に敗れ去った渡辺。初となる2日制の対局で、藤井相手にどのような将棋を見せるのか。戦前に今回のタイトル戦を「(自らにとっての)正念場」と語った渡辺、過去6戦全勝と抜群の相性を誇る掛川城で、最強の挑戦者を迎えた。
戦型は相掛かり。振り駒で後手番となった渡辺は、比較的穏やかな形を選択し、自然な駒組みを続けた。先手番の藤井がどのような作戦に出てくるか、その動きを静かに待つ。
盤上に突然の嵐が吹いたのは41手目。藤井が指した▲8六歩という一手は、盤上に突如緊張を走らせた。この▲8六歩という一手は、将棋をある程度知っている人からすれば、思わず何事かと凝視してしまうような衝撃の一手である。この8六の地点は、盤上にある一つの「火種」。後手からは、△8六歩▲同歩△8五歩と合わせる継ぎ歩の攻めや、△8六歩▲同歩に△8七歩と垂らす垂れ歩の攻めがある。さらには桂馬を跳ねてくる手もあり、やられる先手としてはどれも相当に嫌らしい攻めである。できれば先手としては触りたくない火種に自ら歩を伸ばしたのだから、解説陣は騒然。立会人で永世名人資格保持者の森内俊之は、「何が起きたのか、すぐには分からないくらい衝撃的な手」と評した。
盤上に嵐を読んだこの手だが、藤井がこの手を昼食休憩の直前にさらりと指したことにも衝撃が起こった。このような大胆な手があったとして、普通は休憩後に一呼吸置いてから指すのが定跡である。大胆な手は後に引き返せないし、休憩前に指してしまえば、休憩中に相手の渡辺に考える時間を与えてしまう。勝負術という面でも、休憩後に指すのが有効と思われるところ、藤井は何事もないかのようにその一手を指した。ただ、この「▲8六歩」という一手は、初見なら相当な衝撃を受ける一手だが、すでに類似形の将棋も現れており、トッププロの間では水面下で着々と研究が進んでいるという見方もある。藤井にとっては、この手は大胆でも何でもなく、すでに嵐は過ぎ去った後なのかもしれない。現代将棋は、ものすごいスピードで変質を遂げている。昔は、2日制の将棋といえば、1日目は互いの了解で通い慣れた手順をなぞるだけ、本格的な解説もほとんどないというような時代もあった。しかし、現代ではそんなことは全く通用しない。2日制の1日目から、研究がぶつかり合い、激しく火花が散るのが現代将棋である。1日目の、まだ昼食休憩も迎える前に時間に放たれた「▲8六歩」の一手は、かつての常識が全く通用しない、むしろかつての常識を全て疑ってかからなければ始まらないという、現代将棋の一端を高らかに宣言しているかのようだった。
藤井に大胆な一手を提示された渡辺は長考に沈む。藤井が自ら突っかけてきた▲8六歩を咎める手順はないのか、それともこれは「罠」か。非常に悩ましい時間だったと思う。長考すること1時間31分、昼食休憩も含めば2時間30分以上も考えた末、渡辺は△1四歩と反対の端の歩を突いた。藤井が突き出した歩には触らず、引き続き戦機を窺う一手だった。
藤井の▲8六歩は、本当に突いて大丈夫な一手なのか。危険はないのか。それは、これから研究が深められる点であり、まだ分からないとしか言えない。ただ、盤上の形勢を示すAIは、▲8六歩が指された後も特に波打つことはなく、「互角」を示し続けていた。盤上に嵐が来たと人間が騒然とする中、その静かな波形はどこか不気味だった。嵐とは、これまでの価値観に囚われた人間だけが見てしまう、幻のようなものに過ぎないのかもしれない。
その後はじりじりとした難解な手順が続いた。互いに間合いを取り合い、ひりひりした駒のポジション取りと鍔迫り合い。何がどうなっているのか。つかみどころのない将棋だった。この将棋には「羅針盤」が見当たらない。羅針盤を取り出したところで、針は決まった方位を示すことはなく、ただ揺れ動くだけである。羅針盤が機能せず、どこにどのように進めばいいのか分からない。そのような中で、二人の対局者は(AIが示すところによれば)均衡を保ちながら進めていく。これが現代将棋の最先端かと、半ば呆然とするような気持ちで盤面を見つめた。
戦機は熟し、堰を切ったように局面は動き出した。ここからの応酬も難解を極めており、私には手の解説をすることなど到底できない。ただ、難解な応酬の中で感じられたこともあった。それは、渡辺明が、今回の王将戦に向けて、自身の将棋観を相当にアップデートしてきたということである。
「玉の守りを固めた後、細い攻めをつなげる」。かつての渡辺が得意にしたスタイルはもはや見る影もない。渡辺は現代将棋に対応するため、バランス型の将棋に棋風をシフトさせたが、今回はそれをさらに進化させてきたということが随所に感じられた。戦いが始まり、渡辺の玉の周りには守り駒がほとんどない。74手目、△4四金と強く盛り上がって、玉の周りの8マスにはついに一つも駒がなくなった。裸の王様。藤井の攻め駒が前に出てきており、傍目には相当に怖い。しかし、これでも均衡は保たれている。堅さより「広さ」「バランス」。ここにも現代将棋の価値観が現れていた。このような将棋において、「囲い」の概念はすでに消失している。戦いは、盤上の空間を広く使って起こさなければいけない。駒の価値、手の価値に定まった指標はなく、局面によってその価値は微妙に揺れ動いている。玉はもはや、周りの駒に囲われ、ただ守られている駒ではない。玉もまた戦っている。盤上を泳ぎ、時には自らが攻め駒にもなる。盤面は液状化され、局面に羅針盤はない。難解熾烈を極める現代将棋だが、37歳の渡辺明はここに来てさらに自身の将棋観をアップデートさせてきた。新時代の棋士、藤井聡太を挑戦者に迎えた番勝負への覚悟は並大抵のものではなかった。そうして、濃密で難解な異次元のねじり合いは演じられた。
将棋は激戦のまま最終盤に突入し、双方1分将棋を迎えた。互いにどうなっていたのか分からないと述べた大激戦。「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」。1分将棋では、到底全てを読み切ることはできない。二転三転の展開で、双方にチャンスがあったように見えたが、最後は藤井が渡辺玉に生じた長手数の詰みを読み切っていた。1分将棋の中を抜け出したのは藤井。大激戦を制し、七番勝負の初戦を白星で飾った。
この将棋が終わった時にまず湧き起こったのは、勝敗についての感情ではなく、「この将棋を永遠に見ていたかった」という思いだった。最後は1分将棋という制約の中で、盤上は1つの結末を迎えた。しかし、この将棋には途中で気の遠くなるような、膨大な数が分岐があり、この結末はその中のたった一つでしかない。もし、持ち時間が無制限で、両者が次の一手を極限まで追求できたとしたら、この将棋はどこまで均衡を保っていたのだろうか、そんなことを思った。実際には、持ち時間が無制限というルールは不可能だし、仮に無制限に考え続けたとしても、膨大な分岐がさらに膨大に広がるだけだろう。81マスと40枚の先にある結論には、まだ誰もたどり着けていない。人間はいったいどこまで行けるのだろうか。番勝負の行く末のはるか遠くにあるそんなことを思うような、壮大な将棋だった。
渡辺明と藤井聡太。人類最高峰の番勝負を生で見届けられる僥倖に感謝しながら、次局以降も、一局でも多くの熱戦が繰り広げられることを期待したい。