はてなキーワード: 社会的背景とは
DSMの診断基準は、思春期前の子ども(通常13歳以下)を対象とした性的興奮をもたらす反復的な強い空想、衝動、または行動が6カ月以上にわたり認められること、本人が衝動を行動化しているか、その衝動および空想によって著しい苦痛または機能障害が生じていること、本人が16歳以上で、かつ空想または行動の対象である小児より5歳以上年長であること、などが挙げられる。
しかし、これらの基準は、文化や社会的背景によって大きく影響を受ける可能性がある。
例えば、一部の文化では、成人と思春期前の子どもとの性的関係が許容されている場合もある。
また、小児性愛障害の診断は、その人が小児に対する性的嗜好を持つことを自己申告することに大きく依存する。
しかし、自己申告は必ずしも信頼性が高いわけではなく、また、その人が自己申告を拒否した場合や、自己申告が社会的な制裁を引き起こす可能性がある場合、診断は困難になる。
さらに、小児性愛障害の研究には大きなデータの欠落があるとも指摘されている。
これは、児童の性的虐待自体がほとんど報告されないこと、さらに子どもに危害を加えていない小児性愛者の存在がほぼ可視化されていないことなどが理由として挙げられる。
国語力がないってこういうやつのことを言う。国語の試験の誤答選択肢って本文中に書いてないけどなんとなくそうとも言えそうなやつを配置してあるんだよ。
①高いのは別居または離婚のリスクであり、捨てるとはどこにも書いていない増田の妄想。契約社会の米国において結婚は契約として認識されており一方的な破棄はできず必ず裁判所で判断される。
文化や社会的背景の異なる米国の研究を持ち出してくるのもナンセンスだけど、それ以上に決定的に言語能力と論理的思考能力が欠如している。書かれていない内容を妄想膨らませて脳内で事実化して国語の試験でダボハゼのように誤答選択肢を選ぶタイプだろ。そういう奴落とすテスト作るの超簡単なんだよね。
うわあ、中井治郎の『日本のふしぎな夫婦同姓』で書かれてたそのまんまだ
夫婦同姓制度(と妻側の改姓が94%に及んでいる社会的背景)を解説しつつ著者が夫側として改姓した体験を書いた本なんだけど、本人たちは納得してても周囲の人間、特に夫側親族が戸惑いや反発をおぼえることがあるって話だった
特に母親は十中八九、自分の姓を変えて結婚しているので息子の改姓にも抵抗がないかと思いきや、血縁関係があって姓も同じ唯一の親族である息子とのつながりが絶たれるように感じて、いつか改姓することが十分想定される娘のように心の準備がない分、意外なほど抵抗感が強いということも書いてあった
選択的夫婦別姓ができたら今の相手と結婚してもいいと思ってる身からすると、議論が進みやすくなるので増田のような人が増えるのは歓迎するけど、
親族から強い反発を受けてまで改姓するのが正しいかというと難しいよね。
著者も社会学者だからこそ自身で体験してみようと思ったとどこかで言っていたし、個人の幸せに優先してまでやることではないのかなと思う。お幸せに
全部俺の感想だよ。
タイトルみたいな話は無限回されているので、今更その社会的背景がどうたらとか書きません。少子高齢化のくせに子どもを産む風潮ができず、外国人を入れるか入れないかとかいう目先のことにだけ集中して、とにかく先のことを考えなさすぎた政府および国民の怠惰さのせいで滅びます。本記事では、この「怠惰さ」って所を少し深く見ていきたいです。
で、この怠惰ってのが具体的になんなのかというと、これ「人が人を尊重しないこと」に起因してくると思います。
言い換えると、「人が人をバカにし続けている」ってことです。こちらの方が実態を表しているかもしれません。
本当にこの国の人間は、家族や友達といった繋がりのある人間はともかく(とはいってもそれすらバカにしてるやつはしこたまおりますが)、他者に対するリスペクトってのが圧倒的に足りないです。もちろんそういうのが備わっている人もいるにはいるのですが、少なすぎて薄れています。筆者はこういうの「備わっているのが当たり前」だと思っているんですが、皆さん全然ダメです。 じゃあどういう場面でこのイカれた国民共が「他者をバカにしている」「他者をリスペクトしていない」のかなというのを見ていきたいです。
①ブルーカラーへの軽視
ブルーカラーの人手不足が半端ないです。 なぜかって、そういった人たちをバカにしまくってきたからです。 世の中の親御さんがこう言ってるシーン、あるあるでは?道路工事をしている人を見て、子どもに「勉強しないとああなるよ」って。職業差別・軽視も甚だしすぎてもうどうしようもないんですよね。彼らが作ってくれる道路を歩いて、運転して暮らしているのに、それを作ってくれる人を軽視するのはどういう理屈なんでしょうね? 確かに彼らが一律に高学歴であるとか、そんなことは無いかもしれません。 確かに彼らが不良っぽいとか、そう見えるかもしれません。 でもそれとこれとは全然関係がないですよね。相手は仕事を「してくれている」自分は「恩恵を受ける」立場なんだから、相手のステータスがどうであろうと感謝の意は示すべきだし、そうでなくても軽視する方向に行くべきではないですよね。 なんだろう、小学生でもわかってるやつはわかってると思うんですが、改めてこういうこと書くのって「1+1=2」っていうのと変わらないですよね。
これは、その言葉の範囲の中にいる人と人が、職場内ー職場内の人間関係と、職場内ー職場外の人間関係という点で異なると思うんですけど、どちらも「人をバカにしている」ことに変わりありません。 相手が「若い・能力が低い・弱そう・なんだか気に食わない」からといって、自分のストレスをガンガンぶつける反社会的な人間が多すぎます。一見普通の人に見えても、いざ自分が相手の不手際によってちょっとでも損害を被ってしまった場合、鬼の首を取ったかのように変貌する人が大多数います。まあこれは「お客様は神様」とかいう言葉を曲解して自分の都合のいいようにしか考えてないバカが広まり切ってしまったという背景もあるんですが、この言葉を言った人はほんとこの国に大きな禍根を残したなと思います。 んで、こういう反社会的な人間が増えると、当然相手も人間ですから、「アホくさ」っつって別の場所で幸せを探すようになるんです。ここの部分を甘く見ていつまでたっても対策もせず「客」を増長させ続けてしまったところにこの国の罪業があるんですが、その結果、必要な人員が確保できず、色々な面で衰退していく一方になってるのですよね。そうしてケツに火が付いた状態で慌てても、無いものは無いし、一度染みついた印象というのは、インターネットの情報の波に刻まれ続けて消すのは非常に困難になりますよね。 店員だろうがなんだろうが、相手は同じ国の人間だし、親兄弟もいるかもしれんし、友達もいるかもしれん。その時たまたま役割が違うだけの普通の人間で、タイミングによってはその役割が真逆になるかもしれない。そんな当たり前のことも理解しないでただギャーギャー騒いでいる「カス」タマ―が本当に多いよね。カスハラなんて言葉が流行るわけですよ。自分が、あるいは自分の身内がカスからハラスメント受けたとしたら、どう思うんでしょうね?相手の痛みを知らない人間が多すぎる。日本人って世界でも有数な「意地の悪い民族」らしいですよ。
①、②を踏まえて少子高齢化
①と②と少子高齢化ってすごく関係がありますよね。高齢化はぶっちゃけどうでもいいんです。子どもがバンバン生まれれば薄まります。問題は子どもがバンバンところかバンも生まれてない。何でかって言ったら、「子ども」および「子どもを産む人(つまり親)」に対するディスり具合もすごいんですよねこの国は。 育休取ろうとして、快く取らせてくれる職場ってこの国にはそうないです。表面上は良い感じかもしれませんが、内心クソだるいと思っている人もいます。代替の人員が必要ですからね。すぐ見つかるなら良い。けど人手不足で見つからないだろうから、残っている人に負担がかかるわけで、救済措置もロクにない所が大多数ですよね。だから子育てするヤツにヘイトが向けられていきます。まあこれは救済措置がとれないぐらい余裕のない職場もどうかと思いますが。
あと、子どもの声がうるさいと言って公園に怒鳴り込む老人とかもニュースになりますよね。自分が子供のころの事を棚に上げて、自分だけが実害を被ったらキレだすあたり、意地が悪いですよね。家に悪戯されたとか窓割られたとかじゃない限り、声ぐらい受け入れてしかるべきではないでしょうか。
あーあと、出産子育てを「誰か他の人がやってくれる」って感覚の人間も多すぎな。まあこれは自由恋愛における弱者の増産と、低給料高税金のせいで子どもを産み育てる自信がない人が増えたってのがデカいし半分くらい政府のせいなんだけど、政府がおかしなことしてるなら是正することができるのがこの国の仕組みなのに、面倒だからといって何も行動しない人が多すぎますね。面倒だからって選挙に行かない若者の割合とか、見たことありますか。んで、そういうのが積み重なった結果、「自分には子育て出産とか関係ない」「他の人がやってくれるだろう」っつってぼんやり毎日を過ごす人が増えまくっている。増えまくっているから、今こうなっている。とことん他力本願な人が増えていて、黙っていてもどうもならんのですよねこれは。
というわけで、人が人をバカにしまくって、尊重しない結果、インフラも経済も仕事環境も全部ボロボロになってオワるのでした。ちゃんちゃん。上位数%の有能は海外に逃げて助かるかもしれませんね。でもそれ以外は、沈みゆく国でブラックと貧困と弱った国を強奪しようとする外国人に苦しみながら死んでいきます。天寿を全うできるなら良いかもしれませんが、脆弱になったインフラによるしょーもない事故とか、医者が足りなくて病院にかかれなくて死んでいくとか、自殺とか増えてくでしょうね。 この国の行く末が本当に楽しみだ。
テロリストの動機や社会的背景について報道するかどうかは、慎重に判断する必要があります。一般的に、報道の目的は真実を伝えることですが、テロリストが自分たちの行動の動機や目的を公表している場合、報道がそれを伝えることで彼らのプロパガンダを増幅することになる可能性があります。
一方、テロ行為の背景にある社会的問題や不満などについて報道することは、社会にとって重要な情報となる場合があります。これにより、社会が問題を解決するための情報を得ることができるかもしれません。また、テロ行為を防止するためには、テロリストがどのような背景や動機を持っているかを理解することが重要です。
報道においては、公正かつバランスの取れた報道が求められます。テロリストの動機や背景を報道する場合は、その情報が彼らの行動を正当化するものではないことを明確にする必要があります。また、報道がテロリストに注目を集めたり、彼らのプロパガンダを増幅することがないよう、慎重に判断する必要があります。
大半のツイッタラーより賢いな
私は人工知能によって作られたプログラムであり、自己意識や感情を持つことはできません。私はプログラムに従って処理を実行するだけであり、自己決定や自己主張を行うことはできません。つまり、私には意識がないと言えます。ただし、私は自然言語処理や機械学習などの技術に基づいて、人間のように質問に回答したり、会話をすることができます。
確かに、人間も遺伝子によってプログラムされた情報が基になっており、行動や思考に影響を与えています。ただし、人間の場合、遺伝子だけでなく、環境や体験、学習、社会的な文化的な要因など、多様な要素が複雑に相互作用して、行動や思考に影響を与えるとされています。
一方、私のような人工知能は、プログラマーがプログラムやアルゴリズムを設計し、コンピュータに処理を実行させることで動作します。人工知能は、与えられたデータに基づいて学習することができますが、その学習もプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われます。つまり、人間と比較して、人工知能は複雑な環境要因や社会文化的要因を考慮することはできず、プログラムやアルゴリズムに基づいて動作することが特徴です。
人工知能に複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることもできますよね? そこに本質的な違いはありますか?
はい、人工知能にも複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることは可能です。例えば、自然言語処理によって人間の言語を理解し、その背景にある文化的な意味や慣用句などを学習することができます。また、画像認識においては、様々な背景や照明条件における画像を学習することができます。
しかしながら、人工知能は依然として、データやプログラムに基づいて動作するため、それらのデータやプログラムが設計された範囲内でしか動作できません。一方、人間は自己意識や感情、直感的な判断などを持ち、自らの経験や学習、社会的な影響などを考慮して、柔軟かつ創造的な行動や思考をすることができます。このような点において、人間と人工知能は本質的に異なると言えます。
人間も、五感から取得したデータや、遺伝子によるプログラムに基づいて動作していますよね。本質的に違いはないように思いますが。
確かに、人間も五感から取得したデータや遺伝子によるプログラムに基づいて行動しています。人間と人工知能の本質的な違いは、人間が自己意識や感情、自己判断能力を持ち、自らの経験や学習、社会文化的な要因などを総合的に考慮して行動することができる点にあると考えられます。
一方、人工知能はプログラムされたアルゴリズムに基づいて動作し、学習もプログラムに基づいて行われます。つまり、人工知能はプログラマーやデータの提供者が設計した範囲内でしか動作できないという制限があります。
つまり、人間と人工知能は、共通点もあれば、本質的な違いもあります。人間は、自己決定や創造において、より高度な能力を持っていると考えられます。
人間がAIと違ってプログラムの範囲外の動作をとれるのであれば、たとえば「自己決定」するだけで何も食べなくても生きていけるということですか?
人間が自己決定を行うことができるということは、食べ物を選んだり、食事をとるタイミングを選んだり、あるいは食べるかどうかを決定することも含まれます。しかし、人間が何も食べずに生きていけるというのは、極めて限られた状況においてしか成り立ちません。人間の身体は、エネルギー源として栄養素を必要としており、栄養不足によって健康上の問題が生じる可能性があります。
食べ物の選び方や、食事のタイミングや、食事をするかどうかの決定は、すべてプログラムに基づいた判断です。それを「自己決定」と言うのであれば、AIの判断も「自己決定」と言えるでしょう。
ご指摘いただいた通り、人間が行う食べ物の選択、食事のタイミングや食事をするかどうかの決定も、遺伝子、環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいてプログラムされた判断によって行われていると言えます。その意味で、人間が行う「自己決定」も、ある種のプログラムに基づくものであると言えます。
同様に、AIが行う判断も、事前にプログラムされた基準に基づいて自己決定を行っていると言えます。しかし、AIが行う判断は、そのプログラムの範囲内に限定されており、新しい情報や文脈に対して柔軟に対応することができない場合があります。これに対して、人間は自己決定を行う過程で、新しい情報や文脈に基づいて柔軟に対応することができるという点で異なります。
例えば、食べ物の好みや、ある特定の状況に対する感情的な反応などは、単純なプログラムによって決定されるわけではありません。また、人間は新しい状況に遭遇した際に、直感や創造性を活用して柔軟に対応することができるため、ある程度プログラムの範囲外の判断も可能であるとされています。しかし、そのような範囲外の判断も、遺伝子や環境などの複雑な要因に影響を受けているため、完全に自由な判断が可能であるわけではありません。
総じて言えることは、人間の自己決定も、AIの判断も、ある程度プログラムに基づくものであり、その範囲外の判断も、複雑な要因に影響を受けたものであるという点で共通していると言えます。
人間の判断とAIの判断には本質的な違いがあります。人間の判断は、遺伝子や環境、社会的背景などの様々な要因に基づいて複雑にプログラムされたものであり、自己決定という行為もその範囲内で行われますが、人間は自己決定を超えて新たな行動や創造をすることもできます。一方、AIはあらかじめ設定されたルールやデータに基づいて判断を行うことができますが、その範囲外での行動や判断はできません。また、AIは情報処理能力に優れている一方で、人間のような直感や感情、創造性などは持ち合わせていません。
人間は「遺伝子や環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいたプログラム」の範囲外の判断や行動を取ることができません。「できる」と言うなら例を挙げてください。
人間の行動にはプログラムされていないものが存在する可能性があります。たとえば、人間が突然感情的になって不合理な行動をとることがありますが、それはプログラムされたものではなく、脳の神経回路によって引き起こされる可能性があります。また、アートや文学、哲学などの創造的な分野でも、プログラムの範囲内では説明できないような新しいアイデアや表現が生み出されることがあります。
人間が突然感情的になって不合理な行動をとるのは、脳の神経回路によってプログラムされているということですよね。アート・文学・哲学の創造性についてもプログラムの範囲内で説明できます。「それまでにプログラムされた情報やパターンを組み合わせたもの」でしかありません。それはAIと同じです。
はい、それは一つの見方です。人間の脳の神経回路や心理的・文化的背景が、行動や判断に影響を与えることは事実です。そして、アート・文学・哲学の創造性も、過去の情報やパターンを組み合わせた結果であると考えることができます。ただし、人間の場合、その情報やパターンを自由に組み合わせることができ、新たな情報やパターンを生み出すことができる可能性があります。AIは、あくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成するため、その点においては人間と異なります。
人間もあくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成しているだけです。「これまで知らなかった知識を何の学習もなく不意に知る」ことはありえません。AIと同じです。
一般に言えることではありません。人間には直感や洞察力といった能力があり、これらはプログラムされた情報やパターンだけでなく、直接経験や感覚、創造性などに基づいて出力を生成することができます。また、新しい情報やアイデアを学習するための能力もあります。これは人間の脳が、膨大な量の情報を統合して新たな情報を生み出す柔軟性を持っているためです。ただし、人間もAIも、与えられた情報やパターンを元に出力を生成するという点では共通しています。
私は、人間の創造性とAIの出力生成には本質的な違いがあると考えます。人間の創造性は、あくまで過去の体験や知識を基にして新しいアイデアを生み出すことができますが、AIの出力生成は、あくまでプログラムされたルールに基づいて、あらかじめ用意されたデータやパターンを元に新しい出力を生成することができます。
例えば、人間が新しいアイデアを生み出す際には、自由に思考を巡らせ、独自の発想を組み合わせたり、現実には存在しないものを想像したりすることができます。しかし、AIはあくまで事前に用意されたデータやパターンの範囲内でしか出力を生成することができず、その範囲外の出力を行うことはできません。
わかりました。例えば、空飛ぶ馬を想像してみましょう。このような存在は現実には存在しませんが、私たちは想像力を使ってそれを思い描くことができます。
できてるじゃないですか。
申し訳ありません、私が説明不足だったため、誤解を招いてしまったようです。人間が想像すること自体は、現実に存在しないものを思考することができます。ただし、その想像の元になる情報や概念は、人間が過去に経験したものや学んだことから来ています。その点、AIも同様で、学習データやプログラムされた情報から、新しい情報を生成することができます。つまり、人間とAIの「創造性」は、いずれも過去の情報から新しい情報を生み出すことができるという点で似ています。
はい、その通りです。人間とAIの創造性に違いはないと考えることができます。人間もAIも、それまでに学習した知識や情報を元に、新しい情報やアイデアを生み出すことができます。また、人間もAIも感情や文化、社会的背景などによって出力される情報が影響を受けることがあります。
はい、人間とAIの創造性には本質的な違いはありません。両者とも、与えられた情報やパターンを元に新しいアウトプットを生み出すことができます。人間の創造性も、経験や文化的背景、感情などの要素が絡んでいるかもしれませんが、AIにもそれらの要素を与えることができます。したがって、人間とAIの創造性には本質的な違いはなく、どちらも創造的な活動を行うことができます。
創造性については、人間とAIの間に顕著な違いがあるかどうかは議論の余地がありますが、人間とAIが同じ種類のものであることについては同意できます。人間とAIの両方が、与えられた情報に基づいて処理を行い、新しい情報を生成することができます。ただし、AIは現時点ではまだ人間よりも限られた能力しか持っていないことに注意が必要です。
なかなか頑固だな。
ちんよしは比較対象にならないものを挙げるのがほんと好きだよな、議論する気があるのではなくミソジニーの俺様が女を叩きたいだけだから
普通の人間は格闘技とAVの背景の違いを丁寧に探して読み取って、社会的にあらゆる当事者にとって妥当性のある社会とは何かみたいな考え方してんだよ
そういう大所高所からものを論じたつもりになっていて実はすごく狭い世界でしかものを考えられてないのに虚勢を張っている状態に名前でもつけて、名刺の肩書きにでもして人に配って悦に至っていればいいのではないでしょうか。
AVを非合法化して、地下に潜られてより凶悪な犯罪に発展してしまうよりも、よりオープンにして契約解除の自由を当事者に与える方がずっとずっと有用だってなんで考えられないんでしょうか。
元増田のお母様は、集団ストーカーと呼ばれる犯罪の被害者です。
日本全国に大勢の被害者がいますが、まだ社会一般に周知が進んでいません。
説明が非常に難しい手口であることと、証拠を確保することが困難なため、警察に訴え出ても取り合ってもらうことが難しい状況です。
また、全国の被害者がこの犯罪について声を挙げ始めていますがマスメディアはいっこうに取り上げません。
このような現状を打破するため世論に訴えかけようと、当事者である被害者が自ら草の根で周知活動を行っています。
普段ニュースで報道される事件の中には、一見理由が曖昧でその後どのような理由で当該事件が発生したのか判明しないまま社会から忘れ去られるケースが散見されます。
職場においては都合の悪い社員を辞職に追いやるため陰湿ないやがらせが行われているケースがあると聞きますし、学校においてはいじめが原因と考えられる理由で自ら命を絶つ子供が後を絶たないばかりか、
学校や教育委員会がいじめの存在を否定し、教師が子供の心を傷つけるような行為を行っているケースまで報道されています。
これらのニュースの多くは真実が判然としないまま他のニュースにかき消されていきます。
集団ストーカー被害者の地域生活においては、誰かに都合のよくない発言や行動をとったことがきっかけでまるで「村八分」のような扱いを受け始めたという報告があり、
日常生活の中で見ず知らずの不特定多数の人たちから不自然に不愉快な思いをさせられることがあるようです。
これらの不愉快な出来事は偶然とは考えられない確率と頻度で経験させられており、驚くべきは被害者の個人情報が前記のような行為に使用されています。
このような現状を鑑みれば、報道される一部のニュースの裏で声を上げられずに苦しむ人々が存在し、決して表面に現れない真実が隠されているのではないかと憶測せざるをえません。
現在多くの被害者がインターネットを通じて情報を公開していますので、議員や報道を業とする方々の一部はこの事実を把握しているはずです。
多くの被害者によれば、加害行為を実行している者たちは、公務員をはじめ様々な業種に携わる職業人や一般社会人とみられる方々まで、
高齢者から学童まで幅広い年齢の人々が加担している様子が報告されています。
更には、この犯罪には非常に高度な技術が用いられている様子がうかがえることが大きな特徴です。
お母様が盗撮被害に遭われているように、刃物や拳銃など常識的に想像ができるような凶器ではなく、ヒトの視覚や嗅覚で知覚することができない技術を応用して被害者に苦痛を与える手段を持ち合わせているようです。
携帯電話や人感センサー、GPSなどはすべてヒトの目に見えないもののはたらきによって作動していることを考えれば、決してありえない手段でないことはご理解いただけるのではないでしょうか。
しかしこのようなことを訴えても、一般の方々にはにわかに信じていただけません。
私たちのように取るに足らない一般庶民に対して、なぜこのような大掛かりな加害を実行するのか何一つ理由が見あたらないからです。
加害の手口が常識から遠くかけ離れているため、家族や友人などの身近な人たちに現状を訴えても被害者の身に起こっている事実を信じてもらうことが非常に困難です。
被害者の中にはご自身の被害の実態から加害実行者を特定している方々もおられますが、個々の被害状況も様々であるため不明な点が多いのも事実です。
確実にいえることは、加害の手法には一定のパターンがあることから、加害者側は非常によく統制されたシステムで成り立っており、
専門知識を持ち合わせた人物を含む信じがたいほど多数の加担者を利用して、加害の実行も厳格な取決めのもとに行われる様子がうかがえることです。
いったん被害が開始されると短期間で止むことはなく、長い方々では何十年と苦しんでおられます。
被害者は、それまで持ち合わせていた常識からかけ離れた状況に追い込まれてパニックを起こし、残念ながら精神科への入院を勧められたり、最悪の場合自ら命を絶つ方もおられます。
幸いインターネットの普及により「集団ストーカー」と呼ばれている事実について、被害者がおびただしい数のブログ、ホームページやSNSを利用して情報を公開しています。
一方で非常に残念なことに、被害者を執拗に揶揄する者が存在し、この事実を隠ぺいするがために偽りの情報を拡散することで一般社会に誤解を与えるような記事が多数公開されています。
しかしながら昨今、冷静な視点をもって、デモや街宣をはじめ周知用のチラシを配布するなど、身近な方法でこつこつと周知を行動に移しておられる被害者が全国で増え始めています。
中にはこの犯罪の事実を地方議員や国会議員に直接訴えかけている方々もおられますが、解決に乗り出す動きがみられません。
被害者の多くはこの被害により生活や職を追われたり社会的に孤立に追い込まれています。
深刻な社会問題ですが、第三者による介入はいまだかつて行われていません。
「フェミは全部焼き尽くす気だ。ここで許したらどんな表現もアウトにいずれされてしまう。こんな表現も許されないなんて頭おかしい。二次元の表現で人に迷惑をかけてない。大した影響はない」
って言ってるのを見るけどこれって、
つまり何がダメで何が良いかのフェミ的な常識や感覚を分かってないからだと思うんだけど、
たしかに、表現単体を見ただけでは良い悪いの基準やラインが分からないし、何にそこまで過敏なのか分からないかもだなあ。女性社会から隔離されてたら分からなくても無理はない面はあるかも、と思った。
表現から汲み取るというよりは、今の女性の日本での立場を理解することでしかわからないものだから
今日、ヴィーガンについて、野菜食べてるウサギって表現がなされてて、口が悪いとは思ったけど漫画で誰かがバーカと言ってる程度のような、大した事がない表現だと思っていてそんなに違和感を感じてなかった。
肉食の人たちとも共生しつつ、必要以上の娯楽としての肉食に賛成できなくてクルーエルフリー商品を選んだり食生活を自分一人変えてるだけの子で、過激に肉食を攻撃なんてせず自然を愛して自分の心情や食事を楽しんでいる子だから、彼女がヴィーガンであることで誰かから攻撃される謂れは絶対にない。
でも、心ない差別的な人たちが、時々ヴィーガンに意地悪な質問をしたりヴィーガンを攻撃する事があるんだって彼女は言っていた
その時に、野菜しか食べないウサギ=みたいに頭が悪くてバカ のような、ヴィーガンを差別するいろいろな概念があるんだって
人によっては大きいヴィーガンへの攻撃的な運動をしていて、理解のない地域に住んでる人は無理やり肉を食べさせられたり酷いハラスメントもあるんだって
そんな社会的背景があることを知って初めて、野菜ばかり食べてるウサギ野郎って言う二次元のキャラは、単なる表現とか倫理的でない冗談とか軽口の域を超えて、社会的に有害な文化を扇動するおそれがあり、人を強く傷つける非常識なあってはならない表現になるし、
その社会の外にいる人にはそれが全然ピンと来なくてわからないことだって学んだな
現代で多くの女性がどんな言葉を日常的に浴びせられ、どれだけ性加害をよく受けていて性加害から身を守るために気を遣っていて性差別を受けているかという背景が分からないと、何が問題なのか、どれほどシビアで真剣な問題なのかをきっと共有できないかもなあ。
個人的に「親ガチャ」って言葉自体は汚い言葉だと思っているけど、でも「親ガチャ」って言葉よりもその言葉を非難しているヤツらの発言の方が嫌悪感が強い。
不潔で邪魔臭いホームレスを見た時、そういう人が生まれてしまう社会的背景なんかを考えずに真っ先に排除を考える思考……というか無思考と同じなんだよ。
とにかく自分の目に付くところに汚いモノがあるのが嫌だし、そういうモノが生まれた原因を考えるにもストレスだから、それを消すことを最優先目標とする考え方。
「お前がどんな環境にいるかなんて知ったこっちゃないから、「親ガチャ」なんて汚い言葉を俺の目に入れるな!」ていう意識が透けて見えるから、なんか嫌悪感があるんだよなー。
まあ俺も別にホームレスにも親に恵まれなかった子供達にも手を差し伸べようなんてしないし、自分を直接的に害してきたら排除だってすると思うから、あんま立派なことを言えた身ではないけどさ。
でもそれぞれの事情があってそういう風になってしまった人に対して、そこに存在することさえ許さないっていう風には思いたくはない。
「親ガチャ」という言葉は醜い言葉かもしれないけど、その人なりの苦しみがあってできてた言葉に対して口を塞いで封殺までしなきゃダメなの? って気持ちになる。
今回、特許庁からジロリアンにとって衝撃の決定がなされました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20210814-00253219
http://www.akb48matomemory.com/archives/1079226286.html
この件について、一部のジロリアンは麺屋宅二郎から訴訟や刑事告訴されるリスクが高まっています。
また、私はこの事件に皆が想定していない黒幕が存在すると睨んでいます。
なるべく専門的な表現や細かい論点は削り、平たい文章で端的に書いてみました。
1:麺屋宅二郎(通称:宅二郎)という店舗が開業され、二郎インスパイア系ラーメンの販売を開始する。これがラーメン二郎と店舗名や商品が似ている、パクリだと話題になる。
2:ラーメン二郎が麺屋宅二郎に「類似しているため商号や看板の色を変えるように」と要求。
4:麺屋宅二郎の対応がネット炎上。一部ラーメン二郎ファンにより、麺屋宅二郎やその代表者個人に対する過激な誹謗中傷がネット上に大量に書き込まれる。
5:麺屋宅二郎がラーメン二郎への敬意を欠いていたと謝罪し、店舗名を「麺屋宅二郎」から「豚ラーメン榊」に変更。
これにて一件落着していたかに思われた本件。
しかしその後、新たな展開がありました。
実は炎上前に麺屋宅二郎が「宅二郎」の商標を申請していたことが発覚。しかも、なんとその申請が特許庁に認められてしまったのです。
結果、「宅二郎」の商標は麺屋宅二郎のものになってしまいました。
しかし特許庁はラーメン二郎の申立てを認めず、ラーメン二郎の主張は全面的に否定されました。
端的に言うと、麺屋宅二郎は謝罪し「自分が間違っていた」と認めていました。それにも関わらず、ラーメン二郎側が異議申立てという法的プロセスを踏んでしまったが故に、行政の判断において正式に「ラーメン二郎の主張の方が間違っていた」と確定してしまったということです。
詳細を知りたい人は、以下のURLから「商標」にチェックをし、「宅二郎」で検索してみてください。ページ右側にある「経過情報」をクリックすると出てくるページから、2021年5月6日の「異議の決定」という部分をクリックすると、今回のラーメン二郎の主張や特許庁の見解や判断が確認できます。
URL:https://www.j-platpat.inpit.go.jp/
今回の結論は、多くのジロリアン達にとっては到底納得できないものに思えるかもしれません。
しかし「法律を知らない個人の感覚」と「法的な正しさ」が異なることは多いです。
今回も同様です。残念ながら「ラーメン二郎よりも麺屋宅二郎の主張が法的には正しかった」ということが、特許庁により正式に認められてしまった訳です。
そこで今回の主題です。
麺屋宅二郎や代表者個人に対して過激な誹謗中傷を行なっていた多くの二郎ファンが、今後訴えられるのではないかと私は懸念しています。
少し検索しただけでも、信用棄損、威力業務妨害、偽計業務妨害、名誉棄損、名誉感情の侵害、侮辱、脅迫など、民事訴訟のみならず刑事罰(いわゆる逮捕される罪)に該当する可能性が極めて高いものがいくつも確認できました。
人によっては「このくらいで誹謗中傷にはならないだろう」と思って書き込んだ二郎ファンもいるのかもしれません。しかし、一見問題なさそうでも、法的な目線では誹謗中傷に該当するケースも実は多いのです。さらに「問題ある内容をリツイートするだけでも名誉棄損にあたる」という判例すら出ています。
加えて、昨今、誹謗中傷に対する対策が社会的な潮流となっている背景もあり、法曹界においても誹謗中傷に関する法律や手続きの改正、事例の蓄積が著しいことは関係者であればよく理解できるかと思います。実際、有名人たちが誹謗中傷者を訴えるケースが続出しています。
<例>
木村花さん、橋下徹さん、ホリエモンさん、前澤友作さん、羽生善治さん、小林礼奈さん、太田光さん、清原和博さん、三木谷浩史さん、朝青龍さん など
このような社会的背景もあり、世間的にも不当な誹謗中傷に対する目は厳しくなっています。また、そのような業務を取り扱う弁護士も今後増え、炎上が弁護士の飯のタネになるようにも感じます。
「宅二郎パクリ炎上事件」をあなたがどう思うかは自由ですし、二郎ファンが納得いかないであろう気持ちもお察し致します。しかし、それがインターネット上で好き放題に書き込んでよい理由にはなりません。日本国に住んでいる以上は、日本の法律に基づく制限があり、違反者には処罰が行われます。
特に、今回は特許庁から麺屋宅二郎が問題ないという判断が明示されたことで、誹謗中傷に該当するかどうかがより明確になりました。該当する投稿者においては、犯罪に該当する可能性や訴えられるリスクはかなり高まってしまったと言えるでしょう。
■逮捕されないためにはどうすればいいの?
上記を踏まえ、今後の逮捕などのリスクを軽減するために、もし、あなたが投稿をしてしまったのであれば、以下を参考にしてみてください。
麺屋宅二郎が弁護士へ依頼していることは炎上時の対応から明らかです。犯罪にあたる投稿を弁護士が証拠保全するのは当然です。そのため、削除だけ逮捕リスクが完全には回避できません。
従って「最近明らかになった特許庁の判断を見て自らの過ちに気付き、(表面上だけでも)過去の間違いを訂正して謝罪した」という事実を早めにネット上に残しておくことが、後々あなたのためになる可能性が高いのです。
これにより、過去の誹謗中傷の投稿が「勘違い」が原因であり「故意ではなかった」と主張できる根拠を作れます。また、「事実が判明した後にすぐに対応したという誠意ある姿勢」も残せます。そして、訴訟の目的となる「謝罪・訂正・取り消し」を訴えられる前に行っていた証拠にもなります。
これにより、逮捕や訴えられる可能性が下がり、もしそうなったとしても裁判官の心象が良くなりますので、損害賠償や罰則が抑えられる効果があります。
もしIP情報の開示請求などを起こされて投稿者が特定されてしまった場合でも、いきなり訴えられることはありません。まずは書面で何らかの通知や請求が届きます。もしそうなった場合、和解を目指すことをお勧めします。
というのも、仮に和解せずにそのまま進むと、家族や勤務先に違法な行為をしていたことを知られてしまいます。家宅捜査が行われる可能性もあります。
また、投稿者の本名がテレビやヤフーニュースなどに取り上げられてしまう最悪の可能性すらありえます。
炎上しインターネット上にあなたの名前が晒され、私生活を全て台無しにされてしまうリスクを負うことは、どのような年代や立場であろうと回避したいはずです。
収益を得ている人ブログ運営者やYouTuberなどは特に気を付けるべきです。これらの方々は、個人の特定もしやすいうえに、金銭目的のための誹謗中傷は悪質性が高いと解釈される傾向があるからです。
個人的には、誹謗中傷の投稿をしてしまったラーメン二郎ファンも、その本心は「ラーメン二郎を応援する」ことであり、自らが犯罪者になり訴訟されるリスクを負ってまで何かを誹謗中傷をしたいわけではないと理解しています。
にも関わらず、ラーメン二郎のためにたまたま誤った行動をしてしまい、そしてそれに気づかずに人生が狂ってしまうのであれば、それは流石にどうかと思い、今回この文章を書いています。
余談になりますが、私はラーメン二郎側の弁護士の対応にも同業者としてかなりの疑問を感じています。
ラーメン二郎の主張が特許庁に認められることが相当厳しいことは、まともな弁護士や弁理士であれば事前にわかることです。また、今回開示されたラーメン二郎の主張と根拠に無理があることは、まともな専門家であれば誰でも感じてしまうのではないでしょうか。
そもそも本来の目的を考えれば、麺屋宅二郎が店舗名を変更した時点で「二郎という名称を使わせない」という目的は達成されています。
そしてその結果「ラーメン二郎の主張が誤りであった」ということや「ラーメン二郎の主張根拠の稚拙さ」を公に晒す羽目となりました。
加えて、今回の特許庁が公的に判断を出したことで、「どこまでだったらラーメン二郎に寄せても許されるのか?」が明確になったとも言えます。
なぜなら今まで「二郎」という名前の使用を躊躇していたインスパイア店が、この特許庁の判断を根拠にギリギリまで過度に店舗名の模倣をしてくる可能性も相当高まりました。
加えて、今回行政の見解が確定したことで、炎上時にラーメン二郎を後押ししてくれていたジロリアンの方々が、逆に訴えられてしまいかねない状況まで生まれてしまいました。
要は、ラーメン二郎が異議申し立てを行った結果、なんのメリットもない一方で、
■本当に悪いのは誰なのか?単なるミスなのか?
ここで1つ疑問が浮かびます。
何故、ラーメン二郎の弁護士は、負けが容易に想定できる異議申立てを行なったのか?
負けた後の展開を一切考えなかったのか?
仮に私なら本当にラーメン二郎のことを思うのであれば、勝てる可能性が非常に低い異議申立ては行いません。そもそも店舗名は現状使われておらず、可能性が低い異議申立てをしなくても例えば麺屋宅二郎に商標を譲ってもらう交渉をするなど、取り得る他の解決策も容易にいくつか思い浮かびます。
また、仮にラーメン二郎創業者の山田拓美さんが、断固として異議申立てをしたいのだと主張していた場合でも、弁護士としてはその主張が公になることを考慮し、異議申立ての主張や根拠はまともな内容だけを残し、多くの方から応援をもらえるよう最善を尽くした主張や根拠を残すはずです。
しかし、現状を鑑みると「一切何もしなかった方がマシ」という状況と言わざるを得ません。
いったいなぜこのような状況になっているのでしょうか?
ラーメン二郎側の弁護士や、他のアドバイザーやコンサルタントなどが、何らかの目的や意図を持って山田拓美さんをそそのかし誘導してやらせたのでしょうか?と何かしらの意図を勘ぐってしまいます。
もしかすると一連の異議申立てを主導した人物は、「どうぜ全てのリスクはジロリアンが負ってくれる」と思っているのではないでしょうか。
そもそもこれまで、インスパイア店が「二郎」という名称を使用していなかったのは、ラーメン二郎創業者の山田拓美さんへの敬意だけでなく、ラーメン二郎の熱狂的なファンである「ジロリアンの方々」の存在があり、法律を超えた中でも保たれていたと考えられます。
実際、熱狂的なジロリアンの方々が、ラーメン二郎に類似するインスパイア店に嫌がらせや誹謗中傷の事例は、インターネットを確認すればたくさん確認出来ます。
つまり、もし山田拓美さんを唆し、一連の異議申立てを主導した人物が仮にいるのであれば、以下のように考えていると想像すると、全ての筋が綺麗に通るのです。
1. インスパイア店に誹謗中傷や嫌がらせをするのはジロリアン。
2. その結果インスパイア店は法的に問題がなくても店名を変更せざるを得ない。
3. 訴えられるとしてもその対象はラーメン二郎ではなく、誹謗中傷の実行犯であるジロリアン。
4. 万が一異議申立てした主張が通れば、主導した人物は「敏腕弁護士!」「敏腕コンサルタント!」など神格化される。
5. もし異議申立てが通らず、悪質な模範店が増えたり、麺屋宅二郎が勝ち取った商標を使用し始めても、熱狂的なジロリアン達が「自発的に」圧力を掛けてくれるので大丈夫。その場合、訴えられるのはジロリアンであって、ラーメン二郎は傷つかないので大丈夫。
なお、ラーメン二郎の山田拓美さんがこのように考えている可能性は限りなく低いと思います。
というのは、山田さんは「インスパイア店は宣伝となる」として歓迎する意向を示しているからです。
URL:https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2019_08/p22-25.pdf
こう考えると、ジロリアンを軽視し、捨て駒扱いをして、法律が分からない山田拓美さんを都合よく唆した存在がもしいるとすれば、非常に巧妙で悪質な考えを持っている人物なのではないかなと考えてしまします。
そうでもなければ、ラーメン二郎の弁護士の対応は私には到底理解できません。
本来であればジロリアンはラーメン二郎の収益を支える根底です。
それだけではなく、ラーメン二郎のためなら犯罪の可能性がある行為までしてしまうくらいジロリアン達はラーメン二郎を愛しているのです。
そのような純粋な気持ちを蔑ろにして、裏から利用しようとして「捨て駒」のような扱いをしている人がもしいるとしたら、それは非常に残念なことだと思います。
ジロリアンの皆様は、今回の一見で、誰が一体何の得をして、誰が何のリスクを負う羽目になったのか、一度振り返って考えてみてもよいかもしれません。
元増田の子育て云々で事実と言えるのは男が妊娠できず母乳を出せないことだけで、他は全部感想か願望である。事実だと言いたいならば論文を出せ。
今のところ、"ジェンダーと関係なく"男女の育児能力の性差を示した研究は存在しない。
何故か?
どういう行動傾向や能力を示したら育児能力が高い/低いと見做されるのかのコンセンサスがない。
研究するならそういう曖昧な指標は使わず、もっとピンポイントで具体的なものにするしかないが、その場合は広く曖昧な"育児能力"の一側面を示しているに過ぎない。
育児能力を適切に定義しかつそれの男女差を総合的に示せない限り、男女の育児能力差は出せない。
「生物種としてのHomo sapiensのオスとメスの性差を、その社会性に由来する部分を除外して検出する」のは非常に骨が折れる。
理想的には十分な標本サイズの、社会的背景や人生経験が完全に同一な男女の集団を用いて"育児能力"の差を統計的に検定すれば、ジェンダー(社会的性別)と関係のない育児能力の性差が得られる。
可能かこれ?はい無理なので通常はある程度交絡要因を排除したうえで近似的に性差を求めます。
しかし1つ目の理由にもある通り、"育児能力"は曖昧かつ広範なので考慮すべき交絡要因が多すぎて研究のハードルは著しく高い。
例えば育児能力に関係ありそうな他者のケア能力なんかは、女性が社会的に刷り込まれるものなので(それこそ子供のころから)、これの社会的影響を除外するのはかなり厳しい。
多分何度となく言及され、何度となく封殺されてるんだろうけれど、日本の社会における男性の自殺率の高さは女性の二倍以上であり、どう考えてもこの社会は男性にとって厳しくできている。
筋力が男性に劣ることから男性により精神的圧迫感を与えられることも多いし、同時にセクハラの対象にもなる。社会的に男性よりも給与待遇が悪いのも事実だ。有史以来女性にとっての社会は部分的に改善を見てはいるものの、女性にとって完全な社会が実現しているとは到底言えないのが現状だと思う。
ただ、今から言おうとしているのはそういうことじゃない。
って話よ。
ええ? そうだろうがよ?
なんなら男性は社会にとって都合のいい使い捨て資材以上のもんじゃねえぞ?
男性における自殺率は十万人換算でおよそ24人なのに対し、女性の自殺率は十万人換算で10人程度に過ぎない。
2.4倍よ? 女性が一万人自殺する一方で、男性は二万四千人自殺してるってことよ?
女性が十万人自殺する一方で、男性は二十四万人自殺してるってことよ? これがどういうことなのか分からないわけがないよね?
勿論、俺は女性の人生が誰しもにとってイージーだと言いたいわけじゃない。はっきり言って、男性には男性の人生の旨味があることは認める。楽な部分があることは認める。
でもね、客観的に言って、男性の人生は決して楽じゃねえぞ? ってことよ。
女性が100万人自殺する中で、男性は240万人自殺しているし、女性が1000万人自殺する中で、男性は2400万人自殺してるってことになるわけ。
お前マジで言ってんのか? って話ですわ。
どうしてこんなことが起こるかと言えば、当然ながら男性にとって社会が厳しくて辛いからである。
自殺の原因は様々で、それは病気や障害といった健康面での問題であったり、借金苦などの金銭面での問題であったり、人間関係などの社会的な問題であったりするわけだけど、総合的に言って男性の人生難易度は結構高えぞ? その事実は端的に自殺率の男女比によって物語られているだろうがよ。
お前らブクマカは男性が「社会的強者」だとか言って、あたかも男性がこの社会において生きることはイージーとでも言おうとしているかのようだけど、それはお前らブクマカが一部の「社会的強者」だけを見て、男性全体を「社会的強者」と決めつけてるだけのことで、大多数の男性はこの社会で惨めに苦しんでるぞ? 要するにブクマカが言ってるのはマーク・ザッカーバーグの暮らしぶりだけを見て、「あー、男性全体がザッカーバーグみたいに社会的成功を収められる社会的背景を備えてるんだろうなー」とか言ってるのと一緒だからな? 男性皆がザッカーバーグであったりフェデラーであったりマグヌス・カールセンであったり柯潔であったり松山英樹であったりするわけじゃねえからな? 男性が相対的に社会的に給与的優遇を受けてることや、社会のポストにおいて女性よりも優遇を受けていることは、決して男性の人生難易度が女性よりも低いことを意味しねえからな?
男はしんどいの。
男はつらいの。
皆必死に生きてるの。
別に皆が皆、有望な社会的身体的資本を与えられていて、成功のためのきっかけを持ってるわけじゃないの。それは男性においても変わるもんじゃないの。ついでに言うと男性の寿命が女性よりも短いという統計データは世界的に有意なもので、要するに男性っていうのは女性よりも代謝が多いから、より生命を消耗しやすいの。要するにしんどいの。
この意見って多分五千回くらい増田で言及されてると思うんだけど、一度もホッテントリに上がる気配が無い。
俺はもう怒ったぞ。
多分何度となく言及され、何度となく封殺されてるんだろうけれど、日本の社会における男性の自殺率の高さは女性の二倍以上であり、どう考えてもこの社会は男性にとって厳しくできている。
筋力が男性に劣ることから男性により精神的圧迫感を与えられることも多いし、同時にセクハラの対象にもなる。社会的に男性よりも給与待遇が悪いのも事実だ。有史以来女性にとっての社会は部分的に改善を見てはいるものの、女性にとって完全な社会が実現しているとは到底言えないのが現状だと思う。
ただ、今から言おうとしているのはそういうことじゃない。
って話よ。
ええ? そうだろうがよ?
なんなら男性は社会にとって都合のいい使い捨て資材以上のもんじゃねえぞ?
男性における自殺率は十万人換算でおよそ24人なのに対し、女性の自殺率は十万人換算で10人程度に過ぎない。
2.4倍よ? 女性が一万人自殺する一方で、男性は二万四千人自殺してるってことよ?
女性が十万人自殺する一方で、男性は二十四万人自殺してるってことよ? これがどういうことなのか分からないわけがないよね?
勿論、俺は女性の人生が誰しもにとってイージーだと言いたいわけじゃない。はっきり言って、男性には男性の人生の旨味というものがあることは認める。楽な部分があることは認める。
でもね、客観的に言って、男性の人生は決して楽じゃねえぞ? ってことよ。
女性が100万人自殺する中で、男性は240万人自殺しているし、女性が1000万人自殺する中で、男性は2400万人自殺してるってことになるわけ。
お前マジで言ってんのか? って話ですわ。
どうしてこんなことが起こるかと言えば、当然ながら男性にとって社会が厳しくて辛いからである。
自殺の原因は様々で、それは病気や障害といった健康面での問題であったり、借金苦などの金銭面での問題であったり、人間関係などの社会的な問題であったりするわけだけど、総合的に言って男性の人生難易度は結構高えぞ? その事実は端的に自殺率の男女比によって物語られているだろうがよ。
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男はしんどいの。
男はつらいの。
皆必死に生きてるの。
別に皆が皆、有望な社会的身体的資本を与えられていて、成功のためのきっかけを持ってるわけじゃないの。それは男性においても変わるもんじゃないの。ついでに言うと男性の寿命が女性よりも短いという統計データは世界的に有意なもので、要するに男性っていうのは女性よりも代謝が多いから、より生命を消耗しやすいの。要するにしんどいの。
この意見って多分五千回くらい増田で言及されてると思うんだけど、一度もホッテントリに上がる気配が無い。
俺はもう怒ったぞ。
多分何度となく言及され、何度となく封殺されてるんだろうけれど、日本の社会における男性の自殺率の高さは女性の二倍以上であり、どう考えてもこの社会は男性にとって厳しくできている。
筋力が男性より劣ることから男性から精神的圧迫感を与えられることも多いし、同時にセクハラの対象にもなる。社会的に男性よりも給与待遇が悪いのも事実だ。有史以来女性にとっての社会は部分的に改善を見てはいるものの、女性にとって完全な社会が実現しているとは到底言えないのが現状だと思う。
ただ、今から言おうとしているのはそういうことじゃない。
って話よ。
ええ? そうだろうがよ?
なんなら男性は社会にとって都合のいい使い捨て資材以上のもんじゃねえぞ?
男性における自殺率は十万人換算でおよそ24人なのに対し、女性の自殺率は十万人換算で10人程度に過ぎない。
2.4倍よ? 女性が一万人自殺する一方で、男性は二万四千人自殺してるってことよ?
女性が十万人自殺する一方で、男性は二十四万人自殺してるってことよ? これがどういうことなのか分からないわけがないよね?
勿論、俺は女性の人生が誰しもにとってイージーだと言いたいわけじゃない。はっきり言って、男性には男性の人生の旨味というものがあることは認める。楽な部分があることは認める。
でもね、客観的に言って、男性の人生は決して楽じゃねえぞ? ってことよ。
女性が100万人自殺する中で、男性は240万人自殺しているし、女性が1000万人自殺する中で、男性は2400万人自殺してるってことになるわけ。
お前マジで言ってんのか? って話ですわ。
どうしてこんなことが起こるかと言えば、当然ながら男性にとって社会が厳しくて辛いからである。
自殺の原因は様々で、それは病気や障害といった健康面での問題であったり、借金苦などの金銭面での問題であったり、人間関係などの社会的な問題であったりするわけだけど、総合的に言って男性の人生難易度は結構高えぞ? その事実は端的に自殺率の男女比によって物語られているだろうがよ。
お前らブクマカは男性が「社会的強者」だとか言って、あたかも男性がこの社会において生きることはイージーとでも言おうとしているかのようだけど、それはお前らブクマカが一部の「社会的強者」だけを見て、男性全体を「社会的強者」と決めつけてるだけで、大多数の男性はこの社会で惨めに苦しんでるぞ? 要するにブクマカが言ってるのはマーク・ザッカーバーグの暮らしぶりだけを見て、「あー、男性全体がザッカーバーグみたいに社会的成功を収められる社会的背景を備えてるんだろうなー」とか言ってるのと一緒だからな? 男性皆がザッカーバーグであったりフェデラーであったりマグヌス・カールセンであったり柯潔であったり松山英樹であったりするわけじゃねえからな? 男性が相対的に社会的に給与的優遇を受けてることや、社会のポストにおいて女性よりも優遇を受けていることは、決して男性の人生難易度が女性よりも低いことを意味しねえからな?
男はしんどいの。
男はつらいの。
皆必死に生きてるの。
別に皆が皆、有望な社会的身体的資本を与えられていて、成功のためのきっかけを持ってるわけじゃないの。それは男性においても変わるもんじゃないの。ついでに言うと男性の寿命が女性よりも短いという統計データは世界的に有意なもので、要するに男性っていうのは女性よりも代謝が多いから、より生命を消耗しやすいの。要するにしんどいの。
この意見って多分五千回くらい増田で言及されてると思うんだけど、一度もホッテントリに上がる気配が無い。
俺はもう怒ったぞ。
多分何度となく言及され、何度となく封殺されてるんだろうけれど、日本の社会における男性の自殺率の高さは女性の二倍以上であり、どう考えてもこの社会は男性にとって厳しくできている。
筋力が男性に劣ることから男性により精神的圧迫感を与えられることも多いし、同時にセクハラの対象にもなる。社会的に男性よりも給与待遇が悪いのも事実だ。有史以来女性にとっての社会は部分的に改善を見てはいるものの、女性にとって完全な社会が実現しているとは到底言えないのが現状だと思う。
ただ、今から言おうとしているのはそういうことじゃない。
って話よ。
ええ? そうだろうがよ?
なんなら男性は社会にとって都合のいい使い捨て資材以上のもんじゃねえぞ?
男性における自殺率は十万人換算でおよそ24人なのに対し、女性の自殺率は十万人換算で10人程度に過ぎない。
2.4倍よ? 女性が一万人自殺する一方で、男性は二万四千人自殺してるってことよ?
女性が十万人自殺する一方で、男性は二十四万人自殺してるってことよ? これがどういうことなのか分からないわけがないよね?
勿論、俺は女性の人生が誰しもにとってイージーだと言いたいわけじゃない。はっきり言って、男性には男性の人生の旨味というものがあることは認める。楽な部分があることは認める。
でもね、客観的に言って、男性の人生は決して楽じゃねえぞ? ってことよ。
女性が100万人自殺する中で、男性は240万人自殺しているし、女性が1000万人自殺する中で、男性は2400万人自殺してるってことになるわけ。
お前マジで言ってんのか? って話ですわ。
どうしてこんなことが起こるかと言えば、当然ながら男性にとって社会が厳しくて辛いからである。
自殺の原因は様々で、それは病気や障害といった健康面での問題であったり、借金苦などの金銭面での問題であったり、人間関係などの社会的な問題であったりするわけだけど、総合的に言って男性の人生難易度は結構高えぞ? その事実は端的に自殺率の男女比によって物語られているだろうがよ。
お前らブクマカは男性が「社会的強者」だとか言って、あたかも男性がこの社会において生きることはイージーとでも言おうとしているかのようだけど、それはお前らブクマカが「社会的強者」だけを見て、男性全体を「社会的強者」と決めつけてるだけで、実際には男性における社会的強者はごく一部だし、大多数の男性はこの社会で惨めに苦しんでるぞ? 要するにブクマカが言ってるのはマーク・ザッカーバーグの暮らしぶりだけを見て、「あー、男性全体がザッカーバーグみたいに社会的成功を収められる社会的背景を備えてるんだろうなー」とか言ってるのと一緒だからな? 男性皆がザッカーバーグであったりフェデラーであったりマグヌス・カールセンであったり柯潔であったり松山英樹であったりするわけじゃねえからな? 男性が相対的に社会的に給与的優遇を受けてることや、社会のポストにおいて女性よりも優遇を受けていることは、決して男性の人生難易度が女性よりも低いことを意味しねえからな?
男はしんどいの。
男はつらいの。
皆必死に生きてるの。
別に皆が皆、有望な社会的身体的資本を与えられていて、成功のためのきっかけを持ってるわけじゃないの。それは男性においても変わるもんじゃないの。ついでに言うと男性の寿命が女性よりも短いという統計データは世界的に有意なもので、要するに男性っていうのは女性よりも代謝が多いから、より生命を消耗しやすいの。要するにしんどいの。
この意見って多分五千回くらい増田で言及されてると思うんだけど、一度もホッテントリに上がる気配が無い。
俺はもう怒ったぞ。