はてなキーワード: 模索とは
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
東京都知事2020 https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
衆議院東京15区補欠選挙 https://anond.hatelabo.jp/20240420021008
なお、2016年の選挙より以下のルール追加により逆転優勝が可能となっている
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
2016年は意外なことに上記のルール適用とならず、上杉隆の優勝が確定となった
2024年東京衆院15区の結果を受けての追加ルール。選挙及び競技自体への攻撃とみなし立候補しても今後は競技参加者とみなされない。
2020年は前熊本県副知事の小野泰輔が9.99%という絶妙な好演技により優勝。高田・桜井・誠は2回連続の準優勝となる。
https://anond.hatelabo.jp/20200706143404
現職都知事・元衆院議員・元環境相・元防衛相。立候補となれば現職3期目の立候補となる。
選挙のたびに学歴詐称問題が出たり、スキャンダルにもならないような醜聞(市区長会の推薦問題)が出るのは小池の人望の無さ故か。15区補選で応援した乙武が大爆死し、圧勝の前回よりは得票を減らす可能性があるものの都知事選は盤石と思われる。もちろんエクストリーム競技にも絡まないなだろう。
ただしそれは正式に立候補した場合。小池百合子は意味不明に政局を荒らしてきた過去があるため、今回も国政転出を理由に不出馬の可能性もゼロではない。
都知事選への立候補自体は何回も取り沙汰されてきたが満を持しての登場。ただし選挙に強かったのは10年以上前の話で、前回の参院選では大幅に票を減らして4位での当選で、なんと共産党の山添拓にも負けている。その選挙での立民+共産+山本太郎の得票数を足せば220万票で当選も見えるものの、小池百合子以上の人望の無さから当然そこまでの得票は見込めず、150万票前後の次点がいいところだろう。
2位じゃだめだんですよ。都知事選は。
前安芸高田市長。維新の会が推薦を模索していたが今回は無所属での立候補。いわゆる小野泰輔ポジションだが、小野ほどの得票は厳しそう(小野と違って評判悪すぎ)。
国政への野心満々の人が踏み台に都知事選を使うのは迷惑なのでやめていただきたい。西村博之・堀江貴文といういつものアレが応援に入る時点で、供託金の返還は厳しいだろう。なんでこんなキングボンビーみたいな人たちに応援頼むんだろうか。エクストリーム競技最有力候補。
元衆院議員。衆院5期勤めたベテラン政治家だが、小林が現役の代議士だったのはもう12年も前で正直過去の人感が強い。エクストリーム競技入賞なるか。
タレント。久しぶりの大物タレント泡沫候補。清水国明といえばブラックバスのリリース裁判が有名。都知事になったら神田川や皇居のお掘りにブラックバスを放流するつもりだろうか?エクストリーム競技でも有力候補である。
名物泡沫候補最後の大物。羽柴誠三秀吉、又吉イエスが鬼籍に入りマック赤坂が引退、中松本人も95歳と高齢での立候補。近年N国やつばさの党など泡沫候補の品質低下もひどかったので、立候補と競技参加は歓迎したい。是非ともエクストリーム競技を優勝し有終の美を飾っていただきたいものである。
元航空幕僚長・参政党顧問で2014年以来の登場。そのときに公選法違反で逮捕・有罪・公民権停止5年となり、今回はその喪明けである。2014年の立候補は12.5%の得票率で「供託金未没収候補者最少得票賞」を受賞。
ただ最大の支援者だった石原慎太郎は鬼籍に入り、やや過去の人感がつよい。15区補選では参政党候補を応援しており、百田尚樹の日本保守党と極右ブロック同士の内ゲバの様相を呈している。
このことから、今回は供託金没収となる可能性が高いのではないだろうか。エクストリーム競技有力候補。
ただし新ルールにより今回同様の結果となった場合は失格永久追放となる。15区補選での選挙違反(選挙妨害)により逮捕勾留中。立候補表明しているものの当選どころか供託金は戻ってこない。収監中のためまともな選挙活動も不可能。少なくとも都知事選期間中は保釈もされないだろう。仮に配下のスタッフが、15区補選と同様の行動を取れば再逮捕もあり得るし、執行猶予なしの実刑もあり得る。おそらくエクストリーム競技最後の登場となるだろう。
日本第一党党首。田母神俊雄など極右候補の乱立で、今回も供託金返還は厳しい.エクストリーム競技入賞はワンちゃんあるか。最近は参政党という反グローバリゼーション反ワクチンの民族派、日本保守党という安倍晋三永世名誉大宰相を御本尊とする清和会勝手別働隊など、極右ブロックも分裂しており単なるレイシストに過ぎない高田桜井誠はやや時代遅れ感が強くなっている。
迷惑系YouTuber。2023年の都議会選で豊島区選挙区から立候補し落選。つばさの党やN国と変わらない輩。
SF作家、AIエンジニア、スタートアップ創業者。ゲンダイは「天才エンジニア」ともてはやしているが、特に何か目立った実績があるわけではない。おそらく成田悠輔や古市憲寿のポジションを狙って実績作りのための立候補だろう。今後バラエティや情報番組に登場して、炎上狙いの発言をしないか注視が必要。
例によって候補乱立のN国は個別候補の記載は省略する。得票が分散するので供託金どころかエクストリーム競技入賞も厳しいだろう。ていうか、こいつらいじるのもう飽きた。
エクストリーム東京都知事選挙も10周年となる。10年前に比べ泡沫候補もいくつかの傾向に分類できるようになってきたので、ここで定義してみる
都知事選に限らず様々な選挙に登場する選挙マニア。マック赤坂、羽柴誠三秀吉、又吉イエスなど相次いで引退や死去により近年減少傾向。
今回立候補のドクター中松も95歳と超高齢。清水国明が大型新人となるか?
今回の小林興起、2016年の山口敏夫など。なんで今都知事選?となりがち。供託金は戻ってこない。
日本第一党、日本保守党、参政党など。一口に極右と言っても微妙に信条が違う(日本第一党はレイシズム、日本保守党は安倍晋三親衛隊、参政党は反グローバリズムの民族派)ため内ゲバのようなことをやっている。
ただ、2014年の田母神俊雄や2024年衆院東京15区補選の飯山陽のように供託金が戻ってくることもあるのでバカには出来ない。
今回の安野貴博、2014年の家入一真など。デジタル後進国である日本を憂いて立候補するが供託金は戻ってこない。
宮坂学氏のようにビジネスでも政策でも実績がある人はここに含まれない。
N国。つばさの党、へずまりゅうなど。選挙をビジネスとして捉えており、当選することは二の次である。何らかの理由で警察に捕まっている。
近年動画サイトやSNSを駆使したマネタイズが横行しており、今後の公職選挙法のあり方にも悪影響を与える存在。民主主義と選挙制度のバグとも言える。
今回は自民党の裏金問題が地方選挙にも影響しており、静岡県知事選、港区長選、小田原市長選、鹿沼市長選と連敗中。特に港区と小田原市は現職敗北という惨状。
自民党東京都連会長の萩生田光一(裏金2728万円、役職停止中なのになぜか都連会長)は小池への支持を表明しているが、何もしないほうがマシである。
エクストリーム競技は、今回は逮捕者が出なければいいのだが。エクストリーム競技は正常の選挙が行われて始めて競技になるものなので。
状態ベクトルの収縮は、ユニタリ変換による時間発展という過程と露骨に矛盾しているように思える。
どのように20世紀の物理学者はこの問題に折り合いをつけていたのか。
状態ベクトルは実際に量子論的レベルでの実体を表すのではなく、観測者の心の状態を表していると主張している。
したがって、状態ベクトルの収縮という過程でのジャンプは単に観測者の知識の状態の不連続な変化の結果で、物理学的実体を持ちうるような物理学的変化ではない。
観測という過程で物理系はそれを取り巻く環境と解きほぐしようもなく絡み合うことになるという事実を利用する。
すると環境における自由度はランダムで、観測不能と考えられるため、その自由度を足し上げることによって、状態ベクトルによる記述ではなく密度行列による記述が得られる。
この密度行列が、基底に関して対角行列となる時、物理系は対角成分のうちの一つによって表される状態になり、その状態にある確率は対角成分の値によって与えられる。
状態ベクトルはユニタリ変換による時間発展をし、物理学的実体を表している。
ただし、それらの観測結果のそれぞれが観測者の意識の異なる状態と絡み合っている。
したがって、対応する異なる意識状態もまた同時に存在し、それぞれが異なる世界を体験し、異なる観測結果に遭遇することになる。
量子力学の従来の定式化は暫定的で、観測過程に意味づけをするために新しい物理理論が必要という可能性もある。
ドブロイ・ボームの枠組みや、コンシステントヒストリーの理論のような標準的な量子力学と異なるような観測結果は持たないようなものもあるが、別な枠組みによれば、少なくとも原理的には標準的な量子力学と新しい理論を区別する実験が存在すると思われる。
おそらく物理学者の大半は、これらの観点の最初の3つの観点を抱いていると言っても良いと思われる。
そうした物理学者は、量子論の形式が持つ数学的な優雅さは言うまでもなく、量子力学の予言が目を見張るような形で例外なく実験によって立証されているということが、この理論が何ら変更を必要としていないということを示す、という議論をするかもしれない。
でも女が思う「強そうなオス」は大抵の場合、育児能力がないんだな。自分のことしか考えてないから。
それが嫌なら、「真面目で弱そうなオス」を選べばよかった。彼らは女が頼めば育児してくれるよ。弱いから。
文章が読みづらいと感じるのは、単に文章を理解する力が達してないからでは?業務遂行や社会生活における行動を引き合いにしてトーンポリシングして話を逸らして自己優位性を保とうとするのはよくある手法だよね。
自分の考える「強そうなオス」に女がよる、っていう幻想からすこし離れて現実を見たらどうだろう。
夫婦の両方が家の掃除が出来て衣類や食事の調達が出来て健康管理ができて現時点の生活費を賄えて、未来への資産管理や貯蓄ができればいいだけ。出来なければ二人で方法を模索する学ぶ姿勢があればいいだけ。あと相手に対する思いやり。
ところが配偶者を得れば掃除も食事も結婚すれば人任せに出来ると思っていたり、「配偶者を養って家事をやってもらう」という発想に至る時点でもう負けてるの。多分そういうご両親とかモデルケースを幼少時に見て感情面で貧しい環境で育ってるんだろうけどね。
夫婦で分業した方がいい場合もあるけど、基本的には二人ともが同じ位生活能力があって、その巧拙をもって変に揶揄したり(モラハラ)とかせず、互いがやってる事に対して当たり前だと思わないで感謝しあうのは強者でもなんでもなくて普通の人間の行動です。
身の回りのことも自分でできない人間が、仕事や社会生活における他人との関わりがまともに出来ているかというと、そう思ってるのは本人だけで周りは大体迷惑してる。
そういう人は自ずと高い賃金の仕事にはつけないし、自分でどう強くなるかというのに至る能力もない。
もし弱者男性というのがあるのなら、高い金が稼げないから弱者男性になってるんじゃなくて、生きるにあたり必要な事を自覚して整頓して行動できてないから弱者になってるの。女や社会や容姿が悪いんではなくて、自分が悪いの。
だいたい高学歴で高い賃金を得て消費活動をして社会貢献度は高いかもしれないけど、その指標以外では強者とはいいきれないのに、単純にそれを強いと理解してる発想に固執しているあたりで君は負けてるの。あと、読んでる限り負けでいる事に安心してて、勝とうともしてないでしょ。
単に君がいうところの強そうなオスがいる社会に君が属してないから見えてる現実にいる社会層のレベルが低いだけ。
私の配偶者は普通に夕飯の支度が出来ない時はロック・フィールドの飯を買ってくるし、ゴミを捨てやすいように整頓するし、ゴミ箱が小さいのがボトルネックなら場所を作って大きいのを置く。
収入は知らんけど払ってる税金の額からあまり変わらない程度で生活費は全て表計算で折半管理をして、必要に応じて相談してストアしてる貯蓄を使ったりする。
あえて君の発想に寄って表現するなら、両方とも別に強者にならなくてもいいけど、弱者にならない努力はするし、本能とかいう摂取する食品や薬物で簡単に揺らぐ曖昧な概念について信頼をおくというバカバカしい発想はしないだけ。残念でした。
熊、射殺、毒餌、毒殺、北海道、猟友会、駆除費用、尊厳破壊、憤怒、ニュース、金額提示、依頼料、イラストレータ、大学の先生、初期費用、投資、永続的、熊の数減少、森林伐採、テリトリー、落とし穴、子供作れない個体、人間の介入、生態系管理。
熊のテリトリー尊厳破壊射殺ニュース、憤怒する猟友会毒餌提案落とし穴作れない金額提示困惑依頼料疑問モヤモヤ大学の先生熊の数減少初期費用投資永続的方法模索森林伐採テリトリー縮小作れない個体管理生態系放置。
「孫子」の言葉を借りて考えると、「善戦者の勝、制人而不制於人」つまり「善く戦う者は他を制し、自らは他に制せられない」という教えがあります。これは、我々が抱える課題においても、他者や環境に支配されるのではなく、自らの道を選び、積極的に未来を創り出すべきだという示唆を持っています。
少子高齢化は日本が直面している深刻な課題ですが、「無子無齢化」といった極端な考えは問題解決の方向としては適切ではありません。我々が目指すべきは、社会全体で知恵を集め、支え合い、持続可能な未来を築くことです。そのために、政策や技術、社会制度の変革を通じて、新しい解決策を模索し実行していくことが重要です。
また、孫子は「知彼知己、百戦不殆」(敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず)とも言っています。つまり、問題や状況を正確に理解し、自らの強みと弱みを認識することが、どんな困難にも対処する鍵となります。現在の少子高齢化に対しても、冷静に状況を分析し、効果的な対策を講じることで新たな道を切り開くことが求められます。
私たちの未来は私たちの手に委ねられているのです。その手中にある可能性を活かし、前向きに挑戦する心を持ち続けることが大切です。
1990年代中頃より、テレビ朝日系列の日曜8時台後半では、『ナージャ』のように幼児から小学校中学年までの女児をターゲットとした柔和なアニメ作品が多く放映されていたが、当時女児向けアニメはおろかアニメそのものに疎かった鷲尾は「自分のやりたいことをやる」と開き直り、従来にとらわれない新たな作品を開拓する[13]。仮面ライダーシリーズやウルトラマンシリーズが放映されていた世代である鷲尾は、「とりあえず変身して戦うのがかっこいいだろう」という発想から、同時間帯で放送されていた『ママレード・ボーイ』『花より男子』などの恋愛系、『夢のクレヨン王国』『どれみ』シリーズなどのファンタジー系とは逆の「戦い」をメインとするべく、『ドラゴンボール』『エアマスター』などで頭角を現した西尾にシリーズディレクターを依頼。前述した変身して戦うという概念、それに映画『48時間』や『ダーティハリー』、ドラマ『白バイ野郎ジョン&パンチ』といったバディ物の構造を取ることで新しいアクションが模索された。また鷲尾は「幼児期の男女に差はほとんどなく、公園や幼稚園では男女関係なく飛び跳ねて遊びたいはず」という考えから、企画書に「女の子だって暴れたい」と書いたという。メインターゲットの好む物のリサーチにおいて、『セーラームーン』の研究も行われたが「『セーラームーン』と同じことをしても今の時代に受け入れられるわけではない」とし[14]、『無印』及び『MaxHeart』をそれらのカウンターとして位置付けた[15]。女の子らしい華麗さをメインとするのではなく、あくまで香港映画のような激しい接近戦という意味で変身アクションを志したという[16]。一方で、西尾は性別によってターゲットを限定するようなマーケティングに対する強い警戒心も見せており、総体としてこれまでの戦闘物や女児向け作品に対する強い批判性を含みながら、同作品に挑んだことが窺える[17][18][19]。
左右とかリベラル保守とかでチーム分けして争うことに何の意味があるんだ?子供の運動会で赤白帽を被って陣取り合戦をしているようなもんだ。
まず、支持する政策の違いが結果的に集団の違いを生むのであって、もともと陣地が決まっているわけじゃない。
経済政策にしても、社会福祉にしても、環境問題にしても、それぞれの政策が持つ影響を理解し、それをもとに支持するかどうかを決めるのが本来の姿だろ?
ところが、世の中の大半の連中は「私はリベラルだから」「私は保守だから」と、自分の所属するグループに盲目的に従う。まるでロボットみたいだ。
自分たちの立場を守ることばかり考えて、相手の意見に耳を貸そうともしない。意見の違いを議論し合うのではなく、ただ相手を攻撃するためだけに時間を費やす。それで、一体何が得られるというんだ?
リベラルだろうが保守だろうが、そんなラベルを剥がしてしまえ。自分が信じる政策や意見について、客観的に考え、他人の意見も尊重する。たとえそれが自分とは全く逆の意見であっても、耳を傾け、理解しようとする姿勢が必要だ。
議論の目的は勝ち負けじゃない。より良い解決策を見つけるためのプロセスだ。相手の意見を聞いて、その中から自分が見落としていた視点を見つけることができるかもしれない。そうやって、より良い政策を模索することこそが、真の議論の意義だ。
僕がひとまえで話す時にいつも言葉に詰まるのは、話している最中に、的確で当意即妙で面白いことを言いたいな!うまく喋りたいな!という欲求がリアルタイムに渦巻いていて、バックグラウンドでは常に言葉を模索をしているからなんだと思う。しかしながら言葉の場合は、ドラえもんがああでもないこうでもないとポケットから道具をポンポン引っ張り出すような具合に、言葉を声に出してしまうと冗長だし支離滅裂になってしまうことはわかっているので、あのーとかうーんとかちょっとーとかえーっとー、とか言って、そうしてああでもないこうでもない感が出てしまっている。
初めから、うまく話すことを諦めたらいいんじゃない?と言われても、それはすぐに「わかりました!」と飲み込むことができない。なんというのだろうか、それは僕の自我というか理想というか気概というか意志みたいなものを、僕の僕というところを、みんなみんな放棄して話してください、と言われているような気分になる。僕は話すということには考えるという行為を常に紐づけているので、脊髄反射的な作用で話すことができない、それをしてしまうと僕は僕でなくなってしまうと思う。
じゃあどうすればいいのか。それはわからない。僕はたぶん言葉のセンスはないんだと思う。正確で整理されてかつウィットや冗談の効いた面白い喋りをする人は、僕の周りにはたくさんいて、いつみても素晴らしいなと思う。尊敬する。でも僕はそんな人のようにはなれなくて、それは知識や言葉を知らない以前に、センスがないからなんだと思う。運動神経が悪いの言葉バージョンのようなものになっているんだと思う。
慣れでなんとかなるのかな?そうは思えない。この調子で数十年生きているんだよ?ずっと死ぬまでこのままなんじゃないかと思う。僕はこのままでいいのかな。いやだめだよ。上を目指したい。僕は光をめざしたいんだ。
この5年くらいで80kg超から55kg以下まで減量して維持できているので、心がけたことの一覧を書いていこうと思う。
それまでは母の作ってくれる食事と昼食は外食で賄っていたので、とりあえず全て自分で作ろうという話になった。
自分は沢山食べてしまう人間なので、人より多く食べるという点を曲げる気はなく、じゃあ何を食べていいのかと考えた時、第一候補に挙がったのは野菜だった。
イモ類は別にして、大抵の野菜はカロリーを気にする必要がないので、手当たり次第に野菜を常備して人の3倍くらい野菜を食べる生活が始まった。
なお食費は2倍くらいに膨らんだ。
タンパク質、炭水化物、脂質の中で最も不要なのは脂質だと判断した。
揚げ物は基本的に断ち、スーパーで買う肉もなるたけ脂身の少ない赤身を選ぶようになった。
料理に使う油もできるだけ上質なものを摂りたかったので、オリーブ油と米油を主軸に料理するようになった。
肉を調理する前に焼いたり湯通ししたりして油抜きをするという習慣もついた。
炭水化物は多くても少なくてもいけないと思ったので、計量機で150gを測って食べる習慣がついた。
肉より魚の方が体にいいイメージがあるので、週に2、3回は魚を食べるようになった。
煮魚って意外と簡単だなと気づいたり、塩焼きはフライパンにアルミ敷いてやった方が洗い物が少なくていいことなどを学んだ。
外食をとにかく減らしたかったので、昼食は基本的に弁当を持っていくことになった。
自炊は始めたが料理上級者ではないため、ご飯と生野菜と野菜炒め、みたいな小一時間で作れるものを持って行っている。
どうしても作れなかった日は職場の近くにあるデリカキッチンで一番カロリーの低い弁当とサラダを買うことにしている。
以前はコンビニスイーツや菓子類を食べていたが、これは原則的に禁止した。
コーラなどの清涼飲料水もアウトと認定。外で買うのは水かお茶かブラックのコーヒーだけになった。
ただ全面禁止というのはやはり難しく、アーモンドとヨーグルトだけはOKという謎ルールが生まれた。
弁当にも細かく切った果物を入れることでおやつの代わりとした。
大昔には水泳やサッカーなどをやっていたが、社会人になってからはほぼほぼ運動と無縁の生活をしていたため、手探りの状態から始めた。
当時はてななどで自転車ネタがやたら流行っていたので、流行に流されがちな俺はロードバイクを購入。
最初の半年くらいは没頭した。休みのたびにフル装備で遠出して、あちこちの峠を走り回った。
この時点で10kg以上減量に成功していたが、ある日突然熱が冷める。
機材に継続的にお金を使っていく覚悟もなく、休みの少なくとも半日を消費する趣味に疲れてしまった。
3ヶ月くらい続いた。
慣れてくると長距離を走るのは楽しく、どこまでも走っていけるような気分になっていた。
そしてある日調子に乗りすぎて走り過ぎ、足首と膝を痛めた。
病院にすぐに行くこともせず放置したので完治まで長引き、そうしているうちに熱が冷めた。
なお後から病院に行った結果、膝に爆弾を抱えている事実を知った。
足に負担をかけずに運動したいと医師に相談すると「散歩でもしたら?」と回答されたので、愚直な俺は散歩を極めようと思った。
毎日1時間早く起きて散歩し、休日には水と携帯を持って2時間ほど歩く生活が始まった。
この習慣は現在まで続いており、現時点では一番効率の良い運動だと思っている。
AppleWtachを信じるなら1時間歩くだけで150kcal以上の消費なので、ゆるやかに痩せていくだけならこれだけの運動量で十分だと思う。
ただ歩きすぎるとまた足を痛めそうなので、2時間を上限にしている。
歩いていると四季の移り変わりに敏感になり、植物や犬などを鑑賞しながら運動できるので、なかなか有意義な部類の趣味なんじゃなかろうか。
歩くだけじゃ単調すぎないか?という気分もあったので、途中で水泳にも取り組んだ。
この時点で体重は60kgほどになり、かなりのガリガリだったので、上半身の筋肉をつけるところから始めなければならなかった。
そして痩せた結果としてあまり筋肉のつかない体になってしまったので、昔のようにスピードを出して泳ぐような泳法は無理だと悟った。
数ヶ月定期的に通っていたが、市民プールが一月の休みに入ったところで離脱。
また始めてもいいんじゃないかと思いつつ、散歩だけで十分じゃね?という気分になっている。
世間の筋トレブームに倣って自重トレーニングはいくらかやったが、そもそも筋肉の必要性がわからなかったのであまり身に付かなかった。
唯一腹筋だけはなんだか楽しくなって、色んな腹筋を100回ずつとかやっていたので、一時期腹回りだけバキバキに割れていた時期がある。
筋肉が多いほど代謝がよくカロリー消費が多い、という原理はあるが、筋肉は基本的に重く、維持するためにはそれなりのタンパク質を食べなければいけないので、ダイエットという観点から重要視すべきかは正直疑問だと思っている。
しっかり体を作り込んで理想の体型を手に入れたい!という人は注力すべきだと思うが、軽くて細ければそれでいい、という自分のようなタイプは重要視しなくていいんじゃなかろうか。
そろそろ総括に入りたい。
痩せてみると初めて分かるが、体の太さは内臓脂肪が決めている。
内臓脂肪を限界まで減らすとモデル体型になるし、仮に体重が軽くても内臓脂肪がそこそこあると普通体型になる。
なのでダイエットの基本はこの内臓脂肪をいかに減らすかという話になってくるし、内臓脂肪を減らす方法が掴めれば皮下脂肪も自然と減る。
内臓脂肪や筋肉量まで測れる体重計を買って毎日乗るとダイエットは捗る。
何を食べたら脂肪が増え、どの程度運動したら減るのかが一発で分かる。
それらの数値はアプリで管理できて毎日眺められるのでダイエットのモチベーションにも一役買う。
ごくまれに大食いをしてしまっても3、4日でリカバーできることが理解できると精神的にも楽になる。
俺はダイエットを始めてから野菜をモリモリ食べるようになって大便もモリモリ出るようになったわけだが、それだけ腸がすっきりすると体の動きも違ってくる。
体を細くするという意味で宿便の解消は一つの鍵になるし、一日一回出るものが出ているかが健康とダイエットを両立できているかの一つの指標になる。
リバウンドという概念があるが、あれはダイエットを辞めたから起きる現象だと思っている。
世の中にはいろんなダイエット方法があるが、食事法にしろ運動にしろ、長期間やっていて苦もなく持続できるレベルのものを選んだ方がいい。
ダイエットの副産物として意外だったのが、服を着るという行為の面白さに気づいたことだ。
昔は服を選ぶのが嫌で嫌で、古い服をボロボロになっても着ていたり親が買ってきたものを脳死で着たりしていたが、痩せてみると「どんな服を着てもいいんだ」という事実に気づく。
あらゆるズボンがSサイズで収まるし、トップスはどのサイズを選んでもいい。
ここまでダイエットの成功談を書いてきたが、俺はどちらかというと「ダイエットをしすぎた人間」の側だ。
今は体重が55kg前後を維持しているが、一時期は48kgまで落ちていた。体脂肪率にすると8%くらいだったと思う。
その頃には会う人間全員に心配されるレベルで、けれども健康診断などでは何一つ引っかからず、「このままでいいんじゃね?」と内心思っていた。
しかし鏡で見るのと写真で見るのとではやはり違って、家族が徹底的に俺の写真を撮って見せてくれることで「このままじゃダメだ」と気づいた。
実際今あの頃の写真を見ると病的に痩せていて、あのまま続けていたらどうなっていたんだろうという怖さを感じている。
ダイエットはみんなが思っているよりとても楽しく、だから用法用量はきっちり見定めて健康を維持しながらやる必要がある。
個人的な経験則で言うなら、体脂肪率10%は割っちゃいけないと思う。
これからダイエットを始めようという人は頭の片隅にでもいいからそういうことを覚えておいてほしい。
身長は168cm。やや小柄です。
それは父親の晴生が日本年金機構に書いたおおざっぱな第三者申し立てであり、 平成27年2月28日に、更に、野田省治が検討を加えて、7月に障害等級1級の認定が下りたので。
転機は、
平成30年10月2日に上京して生活保護で生活しているため、延岡市野田クリニックでは診療中止。
晴生の第三者申し立て、 甲斐久美子、児島伸一、吉岡順子といった晴生の知り合いの申し立てと、ひかり学園の白戸智宏の申し立てなど具体的な資料があって現在、前田氏が持っている
手帳がある。
東京に来てからは、 広汎性発達障害、アスペルガー症候群、など様々に評価されており、 それを、ペガサス浮間舟渡の真ん中の2階で朝の7時30分に朝食を食べている
高齢夫婦が、最近どんどん分からなくなっているし、ときわ台メリーガーデンとリヴァージュシティは連携していて、河川敷活動がなくて家で休んでいる日はみんなで火をつけることになっていて、
レクセルガーデンの女もからんでいる、 昔は措置入院だなんだと別の手が発動していたのでもっと酷かったとも言えるが、最近は、運営本部の方針が変わっており、別の手段を模索している。
事務負担が増加することは、短期的には直接的なコストの増加を意味します。特に、企業がこれに対応するために追加のリソースを割く必要がある場合、そのリソースは他の生産的な活動に使われるべきであり、これは機会損失を招きます。短期的なコスト増加が長期的な利益に結びつく保証はなく、企業にとってはすぐに負担となります。
2. 効率性の低下
事務作業の増加は、効率性の低下を引き起こす可能性があります。企業が追加の書類作成や手続きに時間を割かなければならない場合、その時間は生産的な業務や革新活動に費やされるべき時間を奪います。これにより、企業全体の効率性が低下し、競争力を失う可能性があります。
事務負担の増加は、経済全体に対する負担を意味します。特に、中小企業にとっては、追加の事務作業に対応するためのリソースが限られているため、大きな負担となり、経営を圧迫する可能性があります。これが広範に及ぶと、経済全体の活力が低下するリスクがあります。
4. 付加価値の直接的な創出ではない
事務作業が間接的に信頼性や透明性を高める可能性があるとしても、それは直接的な付加価値の創出とは異なります。付加価値とは、具体的な製品やサービスを通じて生み出されるものであり、事務作業自体は直接的な価値を生む活動ではありません。間接的な効果を過度に評価することは適切ではありません。
信頼性や透明性の向上は重要ですが、それを達成するための手段が過剰な事務負担である場合、そのコストが利益を上回るリスクがあります。市場の信頼性を高めるためには、より効率的でコスト効果の高い方法が模索されるべきです。
以上の観点から、事務負担の増加が必ずしも経済全体の利益につながるわけではなく、むしろ短期的および中期的なコスト増加と効率性の低下を招く可能性があると考えられます。
トラブルになったら労働基準監督署の「あっせん」を受けて、労働基準監督署の立会いの元和解を模索できるし。できなければその後「労働審判」という労働者にめちゃくちゃ有利な格安裁判ができる。しかも1日で判決が出る。
犯罪を犯していけなければ労働者(正規雇用、長期間契約が続くと予想できる非正規雇用)に有利な法律しかないんで。むしろトラブルに発展させた方が慰謝料だのなんだの請求できるから会社は損だよ。
出るとこ出たら負けるのを知ってるか、もしくは知らないアホだから。会社がゴネてんだわ。
ちなみに裁判記録というのは公の文章だから保存されて誰でも見れる状態で永遠に残る。その会社が労働者と揉めてわけのわからない資料作ったりしたのも全部残る。だから勝ち目のないことで裁判なんかしたらそんなの会社は。
計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年に最初のテレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画の解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。
単行本は1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベル『てんとう虫コミックス』の第1号作品である。
単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌に掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌『コロコロコミック』を創刊。人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館を代表する作品となっている。
本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア、おもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本の執筆活動は本作の短編と大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆が不可能になったりする等の弊害も生じた。
人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前で募金活動が行われている。
高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが使用されているほか、大学入試の問題にも登場した[25]。
『タイム』アジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された[26]。『日経エンタテインメント!』2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートでは第1位にランク入りした。
### あらすじ
田中大輔(27歳)は、田舎の農家で育ちました。彼の夢は都会で成功すること。ある日、家族の反対を押し切って上京します。しかし、都会の厳しさに直面し、アルバイトを転々とします。
大輔はアルバイト先のカフェで知り合った、明るく前向きな女性・鈴木美咲(25歳)に恋をします。美咲との恋愛は彼の人生に光をもたらしますが、美咲は突然海外留学のために去ります。大輔は心に深い傷を負いますが、前に進もうと決意します。
大輔は新たな仕事として、IT企業に就職します。最初は順調に思えたものの、上司や同僚との人間関係に悩み、成果を出すことができずに退職を余儀なくされます。失業の中で再び自分の価値を見つけようと模索します。
同じような境遇の友人・山田健太(29歳)と出会い、二人で小さなビジネスを始めます。最初はうまくいくかと思われましたが、健太の裏切りによりビジネスは失敗。大輔は再び一人になりますが、自分自身を見つめ直す機会を得ます。
田舎の家族と久しぶりに再会します。家族の温かさに触れることで、再び立ち上がる決意を固めます。家族との絆が彼の支えとなり、再び都会での生活に挑戦する力を得ます。
大輔は最後の挑戦として、かつての夢だった農業関連のスタートアップを立ち上げます。多くの苦労を乗り越え、ようやく事業が軌道に乗り始めますが、突如として天災に見舞われ、事業は破綻。すべてを失った大輔は、再び田舎に帰り、静かに生きることを選びます。
### 主要な登場人物
この物語は、現代社会での苦難や挫折、そして人間の温かさを描き出し、視聴者に共感と感動を呼び起こします。大輔の人生は決して報われることはありませんが、彼の挑戦と努力は見る人に希望と勇気を与えます。
日本の建築業界には、残念ながら暗い部分がある。日本の建築士試験では、断熱や耐震性能に関する深い知識は求められない。そのため、一般的な建築士や工務店が、基本的な性能計算の方法を知らないというケースも少なくない。さらに問題なのは、建築基準法では一般家屋の断熱や耐震に関する規制が建築士任せになっているため、プロに任せても最低限度の性能が確保されるとは限らないという事実である。
これは、日本の住宅の質に大きな影響を与える問題である。断熱や耐震性能は、快適性や安全性に直接関わる重要な要素だ。これらの性能が確保されていない住宅は、夏は暑く冬は寒い、地震で倒壊するなどの問題が発生する可能性がある。
では、どうすればいいのか? 私は、「家を建てるならオタクを名乗る建築士に任せよう」と提案したい。
オタクと呼ばれる人々は、一般的に、特定の分野に深い知識と情熱を持っている。彼らは、その分野に関する膨大な情報を集め、細部にまでこだわりを持つ傾向がある。そして、建築の世界にも、断熱や耐震のオタクと呼ばれるべき建築士が存在する。
このようなオタク建築士は、一般的な建築士とは異なり、断熱や耐震に関する深い知識を持っている。彼らは、最新の技術や素材に関する情報収集に余念がなく、常に最高のパフォーマンスを発揮する方法を模索している。さらに、計算やシミュレーションを駆使して、建物の性能を最大限に引き出すことができる。
オタク建築士が家を設計・建設すれば、最高レベルの断熱や耐震性能が確保された住宅が実現するだろう。夏は涼しく冬は暖かい、地震にも強い家に住むことができる。さらに、オタク建築士は、細部にまでこだわるため、住宅の快適性や美しさも追求してくれるだろう。
オタク建築士に任せることには、もう一つ重要なメリットがある。それは、自分自身で家を理解し、メンテナンスできるようになるということである。オタク建築士は、ただ家を建てるだけではなく、その家の断熱や耐震性能がどのように実現されているかを説明してくれるだろう。なぜこの素材を選んだのか、なぜこの工法なのか、なぜこの設計なのか。その理由を理解することで、住む人は家に対する愛着を感じ、メンテナンスの重要性も理解するだろう。
日本の住宅の質を高めるために、オタク建築士の力を借りることは有益である。彼らは、断熱や耐震に関する深い知識と情熱で、快適で安全な家を提供してくれるだろう。さらに、住む人が家を理解し、愛着を持てるように導いてくれる。
だからこそ、家を建てるなら、オタクを名乗る建築士を探そう。彼らは、日本の住宅の未来を明るく照らしてくれるに違いない。
※本記事はCommand R+の助けを借りて執筆されたものである。しかし内容に関しては増田の指示と修正によるものであり、確かな事実であることを保証する。また、著作権フリーとする。