はてなキーワード: 改定案とは
Twitter(現X)上で「ひよこババア」なる語がトレンド入りした。この語は「DLsite」において従来の「ロリババア」という語句がクレジットカード会社の要請にこたえる形で置き換えられるために用意された造語である。なお、あくまでDLsite側は置き換えを予定するものとしている(3月27日時点)。
さて、昨今インターネット上でアダルトコンテンツを中心にこういったある種の表現規制が散見される。このような規制の多くはクレジットカード会社からの要請、依頼に起因する。そのためTwitter上ではクレジットカード会社を非難しDLsiteを肯定するツイートが支持を集め、新たに改変された語句をネタとして消化するツイートが多く投稿された。しかし、私は以下の三つの可能性からこの改変は悪手であると考える。
今回の改変は「ロリババア」だけでなく、「ロリ」、「獣姦」、「痴漢」などの語句が改変予定が告知された。これらの語句はそれぞれ、「ひよこ」、「動物なかよし」、「秘密さわさわ」という語へ置き換えられる予定だ。
改変前の語が日常会話等において不適切なものであるということを前提として、これらの語が信用に重きを置くクレジットカード会社が避けたい語であるというロジックについて賛同こそできないが理解できる。問題はDLsiteが用意した改変予定の語にある。
おおよそ不穏当な言葉である改変前の語がマイルドな表現に改変されることは一時的な規制の回避にしかならない。そもそも、「ロリ」や「痴漢」という語をクレジットカード会社が拒絶するのはその語が気に食わないからではない。その語が意味するものを忌避しているからである。つまり、架空の児童を扱った創作物や動物虐待の可能性がある創作物、性的加害を扱った創作物の購入にクレジットカードを使用されることが彼らのリスクであるということだ。そのため、「ロリ」を「ひよこ」などと置き換えることは根本的な解決にはならない。おそらく、改変された語が定着するころにはその新たな語を規制するだろう。
さらに、この効果の薄い対策によって「本来アダルトコンテンツにアクセスすることを望まない人物」がアダルトコンテンツを目に入れるリスクを高めることとなる。従来の語はそれそのものがゾーニングの効果を発揮していた。「ロリ獣姦」と表示されていれば閲覧することのなかった人物が「ひよこの動物なかよし」では閲覧する可能性が高くなる。昨今の表現規制や表現の自由に関係する問題で度々提起されるゾーニングの問題を余計に悪化させることは創作活動を委縮させる一因となりうると考えられる。
『ざぁ~こ♡ 超ひどい閉じ込め合意なし』という題の作品、あるいはDLsiteのジャンル欄で列挙されるこれらの分かりづらい語が従来の言葉より購買の機会、あるいは意欲を減衰させる可能性は高い。
今回の事例を分かりやすくするために、人間の別の欲求である食の分野でこのようなことが起きたと仮定する。
「愛の林檎液体麦ゆで麺」とか「肥満骨引き延ばし麺」を「トマトソースパスタ」、「豚骨ラーメン」と認識できないことは間違いなくストレスであるし、アレルギー表示が「豆の種」、「救荒穀物」、「昆虫ねばねば」などと表記するようになれば間違いなく購買を避けるだろう。これと同じことがアダルトコンテンツで起きるようになることへの影響は大きいといえる。
この文章の題を「ひよこババアはロリババアではない」としたのはこれが理由である。「ロリババア」という語が不適切な語であるという議論は何度か起きてきた。ロリもババアも一般的に「良い語句」ではない(この場合の「良い」とは社会性やTPOといった面での良いであり、言葉に優劣をつけるものではない)。しかし、度々議論を起こしながらも「ロリババア」という語がつかわれ続けるのは広く大衆に知られた語であるためだ。そして、「ロリババア」という語と共に尊大で神々しく母性すら感じる精神性と未熟な体形からくる親しみやすくどこか幼い印象という質感が普及した。この質感の高まりは近年間違いなく最高潮に達している。数々の創作物で題材とされ、数多くの媒体を通して私たちは「ロリババア」を享受してきた。「〇〇じゃ」、「〇〇なのじゃ」といった文字列を目にした時に老人ではなくロリババアの声が再生される人も少なくないはずだ。DLsiteにおいて「ロリババア」は公式ジャンルの一つとなったことも記憶に新しい。
現実世界において「ロリもババアもいるのにロリババアはいない」しかし、「ロリババア」は創作物の中には確かに存在する概念なのだ。この概念は私たち人類が生み出して今日まで育んできた大切な概念なのだ。そのため「ロリババア」という語句の中には私たち一人一人が出会ってきた「ロリババア」が存在している。だからこそDLsiteをはじめ創作物と出会う場所で「ロリババア」という語句を見つけるたびに過去の体験の延長線上にある「ロリババア」を想起するのだ。この大切な「ロリババア」という言葉が「ひよこババア」に変わることは「ロリババア」という概念を消してしまいかねない。「ロリババア」が「ひよこババア」に変わることで今まで愛好家が一から築き上げた「ロリババア」像は崩壊し再構築される。その中で零落する概念が出てくることもあるだろう。そんな中で新たに登場した「ひよこババア」は今まで親しんできた「ロリババア」なのだろうか?
魅力的なキャラクターと出会い、それが「ロリババア」という言葉で言い表せる概念であると知って他の「ロリババア」を探す。そんな経験を積み重ねてきた私はこの愛着ある「ロリババア」を失いたくない。
冒頭で私は現在「X」と呼ばれるSNSを「Twitter」と記述し、そこで行われる投稿を「ポスト」ではなく「ツイート」としました。もし、これを読まれた方が「Twitter」から「X」への変遷を経験し、「ふぁぼ」が「いいね」に変わったという体験をしたのであれば分かっていただけるかもしれませんが、それぞれ改変前後でその概念に抱いていた感情や思考は異なるものであると私は考えます。かつて、歌に詠む「花」といえば「桜」ではなく「梅」を指していた時代がこの国には存在します。どちらも春に咲く花ですが、開花の時期も見た目も香りも違う全く別のものです。同じ字、同じ読みでも意味が変わることがあるのです。私は「ロリババア」は「ひよこババア」という呼称に変わることで、今まで「ロリババア」という言葉に内包されていた言語化しきれない美しい概念が失われて、いつの日にか私の愛した「ロリババア」が全く別のものになってしまうことを恐れています。そのため、このような文章を書きしたためました。
以上でこの文章は終わりです。ここまで至らない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
このような内容を投稿すれば必ず「代案を述べよ」という意見が来ると思っていたながら、その点について触れなかったことを謝罪します。
そして、代案についてですが、そもそもこのような問題はDLsiteに限った話ではなく世界規模で起きている問題です。このような大きな問題にDLsiteやFANZAのような一企業が抵抗することが現実的でないのは火を見るよりも明らかです。Twitter上で見かけるクレジットカード決済を停止することや、そのままの名前を使うことが不可能であることは理解しています。また、規制を強めているクレジットカード会社にも罪はないと考えます。というのも企業がリスクを回避するのは当然のことであるためです。そのため、クレジットカード会社を攻撃することも間違いであると考えます。
そのうえで、代案はこの問題の背景にある「現実の性加害=創作物内での性加害」という構造を打破する以外に対策は無いと思います。
「つるぺたババア」に改定案が変更されたそうです。とはいえ、「ひよこババア」でも「つるぺたババア」でも「ロリババア」とは異なるものであるし、懸念点を解消するものではないと考えます。
@R88088595
今日、日比谷で行われたLGBTヘイトデモのシュプレヒコールに「この法案の行く先は男子皇統の伝統を破壊し国体を揺るがしかねないぞ」とあったのを見て、改めて天皇制要らないという気持ちが強くなった。
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@R88088595
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「これ以上日本の良き伝統を破壊するな(磯壊するな)」とのシュプレヒコールもあったとのことだが、「日本は伝統的にLGBTに寛容な国だった」という設定は何処へ……?
@R88088595
21時間
日比谷〜銀座で行われたヘイトデモ、「伝統文化を破壊するな」という横長横断幕と、日章旗が掲げられていた。
拉致問題 憎しみを超えて
@Serenitypraye12
出発するデモ隊
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@R88088595
21時間
ちなみに、今日ヘイトデモが行われたコースでは、明日は入管法改悪反対デモがあります。社会的に周縁化されている属性の人たちへの憎悪や恐怖を煽動するものではなく、人権を尊重するためのデモです。
私は参加できるかどうか明日の体調次第ですが、行けそうな方は是非✊
@nanmin_bond
詳細:http://kanto-ba.org/news/2023/06/618.html
改めて入管法改定案の可決・成立に強く抗議し声をあげましょう📢
https://twitter.com/NishiyamaAtsuko/status/1669812098040475648
@MitoAmeyuri
2時間
https://twitter.com/R88088595/status/1670005231369986049?s=20
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、
しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、
不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、
だそうで
575川柳
ようするに、定番の各局放送スクショくれ、という話じゃないんだが、
空気を大切にする感覚、あるいは、一斉に同じ方向を向こうとする感覚、
この日本人の底に流れている感覚ってどうしたら克服できるのかな、と考え込んでしまうわけだ。
https://twitter.com/ochyai/status/1545282099963625472
政府で働く人の悪口をみんなで言うと,その悪口を聞いた誰かが,日本を良くしようと思って銃でその人を撃ったりするんだよ.その人が撃たれた後にみんな暴力はいけない断固として許せないって言うんだよ.言葉の使い方は気をつけようね,みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね,メディアも個人も.
主語と述語を入れ替えたら、戦前のぜいたくは敵だ、というスローガンとなんら変わらないメンタリティ。
このツイートをみて、表現の自由について少しでも考えたことがある人なら、すぐさま、この発言の危うさに気が付くんじゃないかと思う。
「政府で働く人の悪口をみんなで言う」空気への落合氏の懸念は、「みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね」という形で、一億総ざんけにつながってゆく。
しかし、こうしてあるべき「みんな」がひとつのツイートに4回も強調され、プレッシャーになってゆく社会の危うさに気が付いていても、あるいは
表現の自由が脅かされると気が付いても、
残念ながら、というか、ひとたび憲法に結び付けて議論するやいなや、普通の人の感覚から離れたズレた議論になってゆく。
日本の憲法学は腐っているので、公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じてもほとんど生産的な議論はできない。
むしろ、ただ単に、ヤバいぞ、と気が付くだけで正直、十分なのだ。その感覚は戦争中に起きたことなど過去の思い出から引き出されるものかもしれない。
戦前の痛みを受け止めていれさえすれば、それが原点となる。共有できる、歴史という思い出が必要なのだ。
しかし、実のところ、それも心許ない。
増田でこれ以上、脱線した演説をしたくはないのだが、ひとつだけ俺が好きなアメリカ連邦最高裁の判決中のフレーズを置いていく。
空気がときには言葉の不協和音に満ちていることは、弱さではなく強さを表している。
COHEN v. CALIFORNIA SUPREME COURT OF THE UNITED STATES 403 U.S. 15June 7, 1971
アメリカの最高裁で意見が書かれる時には、建国時の200年くらい前の精神をふりかえって書かれることがしばしばある。
この不協和音という言葉も、フェデラリスト81論文(1788)で、A.ハミルトンが書いたとされる、「多くの関係者の不調和は・・討議を進展させるであろう」という言葉に源をたどることができる。
アメリカ建国当時のJ.マディソンは、民主制を擁護すればするほど、多数の圧政を招き、民主制の基礎を掘り崩してしまう、民主主義のジレンマに強い問題意識を持っていた。
落合氏のツイートのような、この空気感が、民主主義をどう動かすかを想像し、多数の圧政を招くメカニズムの克服について考えなければならない、これがマディソンの問題意識だったといっていい。
多数決のもたらす結果を克服しつつ、いかに民主政治を適切な方向に管理・誘導するか、これが匿名論文として執筆されたフェデラリスト論文のポイントだった。
空気の多様性を擁護する、ということのアメリカ的な原点は、ヨーロッパでの苛烈な宗教的な対立にさかのぼることができるが、建国に至る思い出が憲法起草に反映され、代々引き継がれてゆく。
このように、歴史というのは憲法上の原理を考えるうえでとても重要で、原点となる記憶が、その時々の重要な判決で繰り返し呼び戻され、継承されてゆくことが必要なのだ。
憲法の考え方をさかのぼってたどっていったら建国者にたどり着くアメリカと、たどっていっても芦部や清宮の古臭い基本書で行き止まる日本との違いを思う。
日本では、というと、やはり戦前、戦中になにが起きたか、ということをしっかり心に刻むのが重要だと思う。
というか現在の日本社会を方向付ける、歴史という思い出が、それ以外にない。
戦争体験にこだわらず、つくる、という発想もまあ大切かもしれないが、
自民党起草の憲法改定案のように大切な原点となる体験をなかったかのようにしてしまおうとする動きには警戒する。
しかし、原点があったとしても、それを頼りに、社会を同じ空気にしてはいけないと、どこまで切実に思えるか。ここに日本社会の弱さがあるようだ。
安倍さんは、日本の政治を大きく変えた人物。安倍さんだけのせいではないが、小泉構造改革以降、正直、あまりよくない方向に日本が進んでいったと思う。
首相官邸の強化は小泉さんの置き土産、そのおかげで恩恵を受けた第一次安倍内閣から、随分と政治と官僚との関係も変わった。安保法制も最悪だった。
先ほど述べたような憲法改正のその動きの先頭にたっていたのも安倍さんだった。正直、あまりいいことを思い出せない。
哀悼を表する。
元増田です。言及どうもありがとうございます。改正案は断念されましたね。
「国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば」と書いてるが、そもそもあなた自身が監視するつもりがないように見える。
私の関心に従い、私に可能な範囲ではやっているつもりですが、今回は、私個人がどうという話ではなく、制度論全体の設計がそうなっているという話をしています。政権と検事総長とが何らかの繋がりを持つことによって、不正な行為を行いたいと考えるのであれば、まずは息のかかった人間を任命するところからではないでしょうか。たまたまラッキーで息がかかった人間がいるから定年を延長しよう、ということを防ぐのであれば、任命のところこそ改正するべきでは?と考えたときに、現行法は、任命については国民の監視に任せる程度でも三権分立を害さないという立て付けになっているわけで、少なくともその立て付けを問題にしないのであれば、殊更に本改正案を三権分立がどうのと大声で騒ぎ立てるのは、問題を誇張しすぎていてミスリーディングではないかと。
それとこれと何か関係がある?
余談だが、と書いているところなので、どことどう関係ないと思ったのかをお聞きしたいところですが、もう少し補足します。東京法律事務所の見解は、上に書いたような、任命を問題にしないのに、定年だけ問題にするのは何故かという問題に対しても、任命には一定のコントロールがあるとして検事総長の禅譲の慣習を出してくると思われたので、それは本法案(さらに言えば現内閣)に反対するあまり、過度に保守的になっているように感じるというくさしで書いています。この法治国家において、法文にはない慣習で内閣が検察庁内部の意見を尊重してきたことを安易に肯定することは、法律の専門家たる弁護士の姿勢としては不適切ではないでしょうか(私が最初に記事を書いた時と今とでは、東京法律事務所の記事に変更があり、多少の補足が付いていますが。)。この姿勢の背後には、同じ司法試験制度の中でのエリート意識のようなものも出てしまっているようにも感じたところで、司法制度改革で突き付けられた問題意識を忘れるべきではないだろうと、前の記事のような書き方になりました。
この過程に疑問を抱かないのはびっくりする。
定年を始めとして、職務の内容と無関係に人事異動が生じることが何の弊害ももたらさないということはないでしょうから、一般論として、ある人の定年を延長したほうが良いという判断がされることがあることには疑問は持ったことがなく、黒川氏がそれに該当するかどうかは私が見ている情報の範囲ではゴシップ以上の情報は無いように思います。最終的に、興味がないという結論に至りました。国家公務員法の法解釈上は問題があるように感じますが、そもそも黒川氏について検事総長に任命するという事態は私の興味いかんにかかわらず起こらないでしょう。十分に世論による監視が行き届いているように思いますので、より興味を持っている方が頑張っていただければ良いのでは。いずれにしても、細かい法適用の問題に踏み入るつもりはありませんが、本改正案を黒川氏に適用するわけではないと内閣が明言している以上、改正案の検討において考慮に入れることは不要なノイズでしょう。これを邪推で問題をあえて混ぜることは、冷静な議論ではなく不安をあおる方向の物にしか見えないところです。
されませんでしたね。ある程度の指針は示せるようにした方が良いでしょうけど、延長が必要となる具体的な場合の全てを網羅的に想定しておくのは難しいでしょうから、法案通過前にどこまで作るべきかというのは若干微妙な面があるかと思います。素案のようなものは先に出しておくべきだったのかと思いますが、基準もいずれ明らかにされるのですから、それはそれで批判すればいいのではないでしょうか。
私の方はこの発言に驚きました。防ぐべきは実際に不正が行われることであり、人事に恣意を入れないというのは所詮はその手段の一つでしかありません。国民ができる事があるかどうかという点に疑問を持ちながら、今回の反対運動に参加した人が多くいるのであれば、反対運動は明確に目標を見失っていると言えるのではないでしょうか。すみません、驚いたと言いましたが、嘘です。おそらく、多くの人は(明示的にではないでしょうが)不正を防ぐことには興味がないか、無理だと思っているかでしょう。もっと言えば、定年延長を阻止したとして、任命について考えるべきことはないのかということにすら興味を持たない人が多数でしょう。
国民が個別の不正が生じるかどうかに興味を持たないで、高々人事の中でも定年という一部分にだけ声を上げることで、実際にどの程度不正が防げるのでしょうか。定年がどうなろうと、検察庁が適切な権力行使をしているのかという点は様々な角度から興味を持ち、声を上げていただくと良いのではないかと思います。
実際、結局、今回の運動のおかげで法案は(別に黒川氏のの人事にすら関係ないのにも関わらず)「無事」阻止されたわけです。日本の総理大臣が世論の声を無視するのはなかなか難しいのかと思います。
ただ、私は、政権批判という昨今の流れや「三権分立が危ぶまれる」というとても正しそうなキーワードの力に押されて、反対意見が法曹関係者の中にすらほとんど出てこないという流れの方が、よっぽど危険だと思います。こういうところで危機を煽るという選択を取ることは、少数の側に立つことになった時のしっぺ返しとしてやってくるだろうなと。
「国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば」と書いてるが、そもそもあなた自身が監視するつもりがないように見える。
それとこれと何か関係がある?
司法制度改革はそれが必要と思われたから改革したのであって、今回「検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重」することが問題視されたわけじゃないよね?
関係ないところで慣例を変えるなら、その意図は何なのか気にならない?
この過程に疑問を抱かないのはびっくりする。
どういう判断基準で定年延長する人を決めるか全然決まってない内から改定案強行採決されそうだけどね。
そういう検事総長が誕生したとして、検察官は知らんが国民がそれを見抜いて何かできることはあるの?
そういう検事総長が誕生し得る法改定がされそうだと見抜いて、今国民が声を上げてるんじゃないの?
まぁ、個人的には黒川氏が検事総長になる確率は極めて低いとは思うけど、あの安倍が、この時期に(コロナもそうだけど、黒川氏が在任中というのも大きい)強行採決しようするのはきな臭いものしか感じない。
国際的な動向をみると、WHO においては、電磁界ばく露についての健康リスク評価書
(EHC)の改定作業をすすめており、2018 年以降の発行を目指している。また、ばく露制
限に関するガイドラインの国際的枠組みの実現を目指し、国際基本安全基準(BSS:Basic
Safety Standards)の検討を行っているところである。ICNIRP では、WHO 発行予定の EHC
に基づくガイドライン改定の作業を進め、2018 年以降に改定案に対する意見募集を行う予
定である。また、EU 加盟国では、職業ばく露に関する新しい EU 指令 2013/35/EU に基づき
国内の法規制やガイドラインを導入しているところである。また、無線設備の基準認証制度
として、新たに 2016 年から RED(無線機器指令)が発効している。
▼各国の動向がわかります。
https://www.tele.soumu.go.jp/resource/j/ele/seitai/sonota/h29_report.pdf
援交買春男とそれを卑劣だと非難する人、つらい思いをしている児童の助けになっているのはどちらの人かな?
援交買春男を非難したいのなら、つらい思いをしている児童に、自ら支援の手をさしのべてからにしろ!
#援交 #援助交際
浮気相手のAV女優 葵つかさを毎週自宅に呼びつけながらタクシー代すら払わなかったケチ潤こと 嵐・松本潤。
不倫相手の30代グラドル()にアパホテルの宿泊代を払わせていた袴田吉彦。
金払いが悪いのが嫌なら、援助交際の方が女性に不満を抱かせなくて皆幸せなのにね。
ここがポイント!! 池上彰 解説塾 http://idsuru921.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
連続幼女誘拐殺人事件(1989年)オタク叩きも加速されて、ビデオ集めてる奴はおかしいみたいな論調も進んだ
今でも宮崎勤が所持していたビデオテープと事件との科学的な因果関係は示されていない
児ポ法は憲法第39条『法の不遡及』(法律が決まる前に合法だったものは新しい法律が出来たからって取締れない)に反する
100年以上前にルイス・キャロルが撮った少女ヌード、現時点で被害者も加害者もいない。児童を守ることに全く繋がらない
http://radiotalkrecording.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
山田五郎が語る児童ポルノ禁止法改定案。効果なく副作用大の理由
http://radiotalkrecording.blog.fc2.com/blog-entry-150.html
私だって大学院入ったばかりの頃はもうちょっと希望に溢れてバリバリがんばるぞ!とか思ってたはずなんだ。
工学部の機電系で就職も恵まれてたのにそれを捨てて理学系に来たんだ。当然そのつもりだった。
研究室のセミナーで数々のマスハラをうけても、進捗報告で「それは違う、君の言ってるここはおかしいでしょ!」って毎回のように炎上しても、それでもちゃんと耐えていられると思ってた。
甘かった。
いつ頃からか、毎週の報告会が近づいてくると脈拍がおかしくて胃がひっくり返りそうな感覚で何度も嘔吐するようになってた。
たぶん酸蝕のせいか前歯が欠けていることも、言われて初めて気がついた。
精神安定剤と睡眠導入剤は一度それに頼るようになると増えることはあっても減ることなんてない。
ただでさえ立派な肩書きのついたおじさんってだけで私にとっては威圧感を感じるのに、私のためだけに一対一で圧迫面接を毎週やってくれるのだ。こんなに効率的に削られる環境もそうそうないだろう。
処世術を身につけた私は、報告会の時にはなるべく断定的なことをいって詰められるより、ボスの気分を害しないよう曖昧な返答に終始するようになっていた。
詰められるかわりに今度は「何言いたいの?意味がわからないんだけど。」と言われる回数が増えていった。
でもあからさまにマスハラ受けるよりはそっちの方がずっとマシだ。ボスよりずっと私のことをよく知ってる友人たちにもよく言われてることだし、たぶん自分でも言ってる意味がわかってないことのほうが多いから。なんで間違ってるか自分でもわからない詰められ方してる時より、そうだよなあやっぱりわかんないよなあ、って自分でも納得できたから。
D進するかどうかは悩んだけど、親類縁者で理系大学院にいくのなんて私が初めてで両親はそんな私を誇りに思ってくれてた。研究テーマが決まってなくて学振すら出せなかったけど、それでも両親は支援してくれた。まだいける、まだいけるはず。
療養のために半年休学したりもしたけど、なんだかんだで3年乗り切ってきた。幸いなことに後輩の卒研指導などの役割分担からは外されていた。自分のことだけで精一杯な現状に引け目を感じつつがんばって、なんとかようやく原著論文の投稿にお許しをもらった。レフェリーのコメントが帰ってきた。introduction からなかなcriticalな指摘がきてる。進捗報告の時に改定案を見せなきゃ。
見せたところで帰ってきた返事は「言ってる意味がわからない、つまりどうしたいの?」。いつものことだ。昔の私じゃない。こういう時はどうするか?ボスがどのように理解したがってるかなんてこっちは知ったこっちゃない。こちらが取りうるほぼ唯一の戦略はどうとでも取れる玉虫色の返答をジャブとして繰り出して、相手の出方に応じて適切な返答を作る。即興ながら官僚の作る国会答弁問答集にだって負けないぞ!私の頭はキレッキレだ。
いつものこと、どう返事したかなんて細かいことは覚えてない。その代わり、呆れ返った声で彼が返した言葉はジャブどころか私に向かってストレートに投げつけられてきた。
「あのねえ、◯◯さんがこの論文でどういう事を主張したいのか、まずそれをはっきりさせてくれないことにはこっちだってアドバイスしようがないんだよ」
なんで今更そういうことを言ってくるんだ。私が何を主張しないべきかだけはあれだけしっかりわかってるくせに。辛い。苦しい。私は何を主張したいべきなんだ?わからない。わかってたらもっとはっきり自分の意見を今までも言えてきたはずだ。でも私が知ってのは、ただただ「私は何をしないべきか?」。それだけだ。
「何をしないべきか」を彫刻刀で一つづつ削っていったら、版画みたいに「何をするべきか」がネガとして浮き上がってくる、そううまくはいってくれなかったようだ。
私は何をしたいべきなんだろう??最初は論文の主張の話だけだったはずなのに、考えれば考えるほど、この問いに人生そのものまで絡め取られていってる気がする。
何をしないべきか?逃げ出すことが敗北なのはわかってる。ボスだけじゃなく共著者みんなに対しても無責任なことだ。中退なんて高校だけでもうたくさんだ。でも、いくら「何をしないべきか」を潰していっても、どこからも「何をするべきか」は浮かび上がってこない。あとどれだけ「何をしないべきか」を潰していけばこの暗闇の中から一筋のネガが見えてくるんだろう。
疲れた。来週もまた研究室に行ける気がしない。レフェリーへお返事書く期限もたぶん間に合わない。「何をしないべきか」だけははっきりわかる。もっと別のことを私はわかりたかった。とにかくもう疲れた。