はてなキーワード: 愛着とは
ニンテンドースイッチのゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その二)
宝探しが大好きな主人公が、永遠に続く夏休みに巻き込まれてしまう、疲弊する仲間たちを宝探しゲームの魅力で前向きに成長させるノベルゲーム。
位置情報を使った宝探しゲームの魅力が本作の大きな主題で、いわゆる「謎解き」が何故楽しいのかを掘り下げるストーリーは、ある意味ではミステリの評論的でもあり、非常に興味深かった。
作り手はいじわるで解けない謎ではなく相手のレベルに合わせた解ける謎を愛を持って提示すること、解く側は愛を持って作っていると信じること、この二点への議論が丁寧に何度も行われており、なるほど納得する箇所も多かった。
物語としても、永遠に続く夏休みを満喫する楽しいパートと、それを否定して前向きになることを希う苦しいパートとのバランスがよく、ボリュームこそ少ないが過不足はあまり感じない、いい作品だった。
普通の男子市松央路が某国の王女とひょんなことから知り合いになり、いろいろな事情で彼女を始めとした上流階級が通う超エリート校、私立ノーブル学園に転校する学園ラブコメ美少女ゲーム。
魅力的なヒロインが多数登場するものの、市松央路がまさに主人公していき、自分の「金色」を見出していくストーリーは、美少女ゲームにとらわれない王道のまっすぐな面白さがあった。
そんな無数に広がる夢を追う若者の瑞々しさと、とあるヒロインにまつわるビターな展開とが、良い意味で後味が残る作品になっていた。
オープニングテーマの歌詞「明日宇宙飛行士になって大気圏外で愛を叫ぼうか」が端的にこのゲームの良さを示しており、口ずさむたびに主人公の市松央路の未来を考えてしまう。
金色ラブリッチェのファンディスクで、それぞれのヒロインのアフターストリーと、追加ヒロインのルート、そしてゴールデンな独自のルートが楽しめる。
特に前作ではルートがなくサブキャラ扱いだった、年下ながら主人公の教育役でビシビシと厳しく指導してくれるミナちゃんのルート追加が嬉しかった。
前作はビターで苦いエンディングもあったが、今作は塗り替える万事がすべてうまくいくハッピーなルートであることが、開幕早々に示唆される。
多少、いやかなり無茶な設定が唐突に出てくるが、どんな過程だろうと金色ラブリッチェをハッピーエンドに締めてくれたのは嬉しく、これはこれで大好きな作品だ。
ハードボイルドな探偵サイガが、謎と事件がひしめく奇妙な地方都市「祭鳴町」を駆け回る短編連作形式のノベルゲームで、コメディ調の明るいゲーム。
探偵、事件、謎とミステリの建付けではあるものの、そうそうにリアリティラインと軽いノリが明かされ、本格パズラーでないことが明示される潔さが良い。
サイガの相棒となる性別不明の助手役レイの可愛らしさは素晴らしく、キャラクタの性別を問わない魅力的なシーンが多くあって印象深い。
はじめは打算で助手になったレイが、いつの間にかサイガと分かちがたい関係値を築いていくシーンは感動的で、名コンビとして末永くシリーズ展開して続いてほしいと願っている。
数名の客と無限に飲めるドリンクバーしかないファミリーレストランに閉じ込められた主人公が、ひたすらに雑談をし続けなにかを変えていくアドベンチャーゲーム。
とにかく同じく閉じ込められた他のキャラと雑談をしていくことで話が進んでいくのが独特な味を出している。
情緒溢れる風景を描写するテキストに、何かを示唆するような哲学的な会話と、何も示唆しないただの雑談とと、雰囲気重視の芸術的な考えオチ系のゲームかと思いきや、しっかりと設定の開示がされ明確なストーリーの筋があるのが面白い。
徐々に明かされる設定の妙も良いが、魅力的な会話劇がたまらなく、主人公とガラスパン(キャラの名前)のカップリングはひときわ心に残る良いものだった。
非常に荒い抽象的なドット絵で事件の捜査を行うアドベンチャーゲームで、をスマートフォン向けに発表されていた3篇と、移植版独自のエピーソードの計4本楽しめる。
殺人事件の捜査をする刑事という王道中の王道が導入ながら、なかなか一筋縄ではいかず、お約束に縛られないストーリーが面白かった。
ルックのドット絵もそれに一役かっており、この絵柄だからこそ出来る表現もあったりして、やれることは全部やるような圧すら感じる。
謎解きの過程よりもサプライズに寄った作風は、テキストが主体のアドベンチャーゲームでは珍しく、良い意味でプレイヤーと探偵が乖離した、独特の魅力があった。
○好き
月姫-A piece of blue glass moon-
直死の魔眼という人、物を問わずそれを殺す線が見える奇妙な体質になってしまった遠野志貴が主人公の新伝奇ノベルゲームで、同人ゲーム月姫のリメイクバージョン。
全ての人の死が見えるため独特の価値観を持つ遠野志貴が、月が出ている間は決して死なない吸血鬼の姫アルクを見たとき、死の線が見えないため美しいと感じ、彼女と行動を共にすることになる。
この物語の導入部分で一気に引き込まれ、一息に遊び終えてしまい、かなりのボリュームの作品なのに物足りなさを感じてしまった。
真祖の姫、死徒二十七祖、魔法使いなど気になる設定が数多く登場するのも興味深く、特に死徒二十七祖がその「原理」を開示するところは、めちゃくちゃ格好良かった。
(まあ、原作では5ルートあったうちの2ルートしかないから、主人公の生まれの秘密とか、妹の秘密とかは不明だしね)
南極で遭難した調査隊と、何故かメッセージのやりとりが出来るようになり、彼女たちに文章を送付することでストーリーが前に進むアドベンチャーゲーム。
メッセージアプリを模したタイプのゲームで、家庭用ゲーム機では少ないが、スマートフォン向けゲームでは結構流行っていたジャンルだ。
システムの都合上、一切キャラクタのデザインなどは画面に登場せず、テキストだけで淡々と進むが、しっかりとそれだけでもキャラに愛着が湧くし先が気になる。
サイエンスフィクションらしい、未知の技術を踏まえたストーリーも面白く、しっかりした丁寧な作品だった。
母方の実家に帰省した主人公が、奇妙な言動の少女と出会うことから始まる一夏のボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲームで、原作はスマートフォン向けのゲームだがケムコがインディーゲームをパブリッシュする流れで移植したバージョンを遊んだ。
ボリュームはそれなりだが、登場人物がかなり絞られているため過不足はあまり感じず、ヒロインの真琴の魅力は十二分に伝わってきた。
導入こそ嫌な奴だが、少しづつ絆されていき、関係値がどんどん出来上がっていくのは、青春ものらしい良い展開。
中盤で一気に作品の雰囲気が変わり、ハラハラする展開が始まるが、主人公と真琴の関係を疑う余地なく信じられるからこそ、このタメの部分も楽しく遊べた。
原作はセガサターンの美少女ゲームと脱出ゲーム(今風の言い方で昔はこんな呼び方じゃなかったかも)を組みわせた作品で、それを遊びやすくリメイクしたバージョン。
プロバビリティの殺人大好きマンが建てたとしか思えないデストラップ満載の奇妙な館に閉じ込められた男女が、恋愛しつつ館の謎を解き明かしていくストーリー。
ストーリーを楽しむというよりは、フラグを建てたり建てなかったりの、フラグ管理のゲーム性を楽しむタイプのアドベンチャゲームになっており、各ヒロインごとのエピソードはそれなり。
本筋となる記憶喪失の少女にまつわるエピソード郡は文量も確保されており面白いので、手を抜くところと力を入れてるところの加減がはっきりしていたゲームだった。
警視庁に新たに設立された取り調べ専門の部署、そこに配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に様々な事件を取り調べだけで解決していく短編連作形式のアドベンチャーゲーム。
いわゆる閉鎖劇を期待するが、案外普通に現場には赴くし、周辺の捜査や聞き込みを行うパートもあるので、普通のミステリ系アドベンチャーゲームとあまり有意な差異はなかったかもしれない。
しかし、テンプレ感があるのは3話までで、後半の4話と5話は取調専門部署の独自設定をうまく利用した展開が続き、見どころもおおかった。
シリーズ化もできるだろうし、続編では最初から今作後半のクオリティでやってくれれば、もっと好きになれるかもだ。
死を前に運命の女神によって生きながらえた12人が本当の生を求めて「女神の選定」というゲームに挑むノベルゲーム。
そんな緊張感溢れる導入ながら、女子高校生のありふれた日常と、女性だけの三角関係から来る恋の鞘当てが話の主題になっていく構成が面白かった。
特に三角関係パートを陰ながら支え「女神の選定」とは無関係なのにメチャクチャ苦労する小熊真央ちゃんの活躍は目をみはるものがある。
最終的にはこの二つの路線が主人公とヒロインの生きて叶えたかった未練に直結していくため、無駄な描写になっていないのも面白かった。
奇妙な犬、送り犬にまつわるホラーなエピソードがいくつも収録されたサウンドノベル。
サウンドノベルらしく、ルートごとに世界の設定レベルで変化していくため、多種多様なストーリーが展開していく。
ホラーがベースではあるものの、コメディ、サイコスリラーと色の違うものに加えて、視点人物も女子大生、その友人、ストーカー、警備員、ポメラニアンと多様なのが面白い。
メインの主人公が親元を離れて一人暮らしをする女子大生なので、親の目無しセックス有り略奪愛有りの大人なやり取りが多くあるのが面白かった。
ファミコン風のレトロなドット絵でサスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択式ADVのミステリー案内シリーズ第三弾。
今作は自殺した女性の足取りを追う丁寧な展開で、落ち着いた雰囲気の中、少しづつなぜ被害者が自殺したのかの心の在りようを探っていく。
シリーズを通しての観光パートや、名産品に舌鼓を打つパートなどは健在で、大分県の名物をたっぷり楽しめる。
社会的テーマを問う部分も、とってつけた感は薄く、しっかりと本題の謎と密接な関係にある点が良き。
終電に乗れなかった主人公が臨時終電と名乗る謎の電車に乗り込んだことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第三弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
今作では、一つの大きなシナリオがありそこから分岐する形式で、同じ電車に乗り合わせた複数人と力を合わせつつ、シナリオをザッピングしながら進めていくのが特徴。
原作の媒体が携帯電話なので小さいゲームではあるが、本格的なサウンドノベルをやろうとする気概が伝わってくるし、実際フラグ管理や、群集劇めいた作劇の妙など、かなりシッカリしたゲームになっていた。
メインから離れた設定のシナリオも用意されており、そちらではコメディ、SF、恋愛ものなど、ホラー以外のバラエティ豊かなエピソードも読めるのが良かった。
小学生男子のけんた君お手製の自作RPGを放課後に遊ぶという”テイ”が面白い、アドベンチャゲーム。
小学生が作ったという建付けのルックが徹底しており、手書きのノート、筆箱やボールといった小学生のお道具を使ったシーンなど、見てるだけで小学生らしさが伝わり凝っている。
けんた君がその時々ですべてのシーンを演じてくれるのが、作中作めいた構造の妙を感じれて面白い。
テキスト主体ではなく、その時々シーンに応じた操作方法になる多様なゲーム性があるが、ステータスを増減させたり、複雑なフラグを立てたり、アクションのプレイングが求められたりといった、他ジャンルの要素はあっさりめで、あくまでアドベンチャゲームではあったと思う。
携帯電話専用ゲームの移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズの体裁のシリーズ第三弾。
今作はシリーズを通してついにストーリーらしいストーリーが導入され、普通に面白かった。
とはいえ、相変わらず推理クイズのような謎とあらすじの関係性が薄い点は気になりはしたが、ストーリーがよければ全て良しなのはこのジャンルならでは。
シリーズを通しての馴染キャラたちにも変化があるなど、続きが気になる終わり方ではあるが、移植されているのここまでなので、続きの移植もG-Modeさんお願いします。
アウトドア初心者の新人ライターがキャンプのツアーに参加するホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第二弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
ホラーなストーリーが主軸ではあるが、ルートごとに全く異なる設定になっていくタイプのストーリーで、コメディ、伝記、スリラー、サスペンスなどが楽しめる。
視点人物がヒロインに変わるパートもあり、そちらではまた異なったエピソード郡が待っているのも面白い。
全体的に人が死んだり傷ついたりする残酷な話が多いものの、やったやられたのバトルシーンのような読感のため、ある意味カラッとした山らしい内容が多いのが特徴的。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十一弾。
今作からシーズン2と呼称されており、今までとはシナリオライターさんが異なるし、作品中でもいつもの面々の登場も少なめ。
五作目の「昏い匣の上」で登場した、都市伝説ライターの弥勒院蓮児が視点人物になっているため、情緒的な文章が多く、謎解きも動機の側面が多め。
シリーズキャラである癸生川凌介が登場するときに思わず、ホッとしてしまい空気感が変わるのが面白かった。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十二弾。
小中学校を舞台に複数の事件が発生し、それぞれを追っていく複雑なシナリオ。
謎を解き明かす過程よりも、それぞれの事件における被害者と加害者の心の在りようを深堀りしていく操作が多く、人間関係の妙を楽しむタイプの作風だ。
短い文章ながら、身勝手な悪意で他人を振り回す残酷さがしっかり情緒豊かに描かれており、操作を通じてドンドン嫌な気持ちになっていく悲しいストーリーだった。
子供って、生物的な愛着さえ形成されていれば親がどんだけしょぼくても全く関係なくバッチバチに依存して役割を与えてくれるんだよな。
南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば救われるみたいな、宗教的な機能を持っていると感じる。はっきりした宗教のない国日本において信仰の機能を果たしているのかもしれないと思う。
結婚して奥さんを女として見れなくなったって話はよく聞くけど、
なんというか、生活感が強すぎてもう何も思わない 愛着はあるけど一緒にいてわくわくする気持ちがない 恋心が冷めたというか落ち着いたんだと思う
立ってすると汚いからやめてねってもう何回も言ってるのに全然聞いてくれない 座ってするのってそんなに難しいこと?私は女だからよく分からないけどさあ 汚したの分かってるならせめて床拭いたりしようよ
雨降ってきたから外の洗濯物中に入れてねってLINEで言って、「了解!」ってスタンプも送ってくれたのに帰ったら結局何もしてなかった
「今やるところだったのに」ってそんな子どもみたいなこと言わないでよ〜 もう雨止んでるよ遅いよ
他にも毎日色んなこと注意してる
自分でも嫌になる 私も大概ズボラな方だけど それでも口を出さずにはいられない
醤油は昨日買ったって言ったのになんでまた買ってきたの?
お刺身買ってきたならまず冷蔵庫に入れなよ 皿に盛ってほしいなら私に言ってよ なんで買ったまま放置してるの?傷むじゃん
ラップ使い切ったなら捨てようよ
シャンプーなくなったなら詰め替え買おうよ 私に言ってくれればよかったじゃん さっき薬局行ったのに
窓開けるときは網戸しようよ 虫入ってくるじゃん
家の中裸でうろうろするのやめようよ おじさんみたいでなんかやだよ そんなに暑いの?
外食高いって言うけどさあ 私しかご飯作れないし帰るの遅かったんだから仕方ないじゃん たまのバーガーキングぐらいいいじゃん 2000円ちょっとだよ?
あーーもうやだ 人と暮らすの向いてないかもしれない
パンツ一丁でぐーすか寝てる旦那見ると憎たらしいんだか面白いんだかよく分からなくなるよ
そんなだらしない格好してなかったじゃん
体格が良くていつもさっぱりした見た目だから「〇〇の彼氏はかっこいいよね」とか友達に言われたりしてさ 私が逆にズボラで申し訳ないなって思ってたぐらいなのにさ
ゲーム全クリしたと思ってんの?
ふざけて私の体触ったりするよね 多分半分本気でやってるんだろうから相手はしてあげるけどさあ
でももう何も思ってないよ 私はさっきまでクイックルワイパーであなたのおしっこ拭いてたんだよ
あーーもうやだ
うちは訳あり子なし夫婦。
共働きで子供がいないのは訳があるだけで仕事を遅くまでやるためでも、忙しいポジションになるためでもないのに、子供いないから残業できるよね、あんまり休まないよね、と言われて困る。
子供いても稼ぎたいから残業したい人もいるし、いないから残業代で稼ぎたい人もいる、子供いてもやりがい感じて昇進したい人もいる。残業や忙しいポジションは子供の有無で決まるわけではなく、それぞれの生き方、働き方で決まるだけのはず。
60近い男性はゴリ押しで働いてきた人ばかりで話が通じない。同じようにお金よりも働き方、で管理職を拒否した人たちが役員からの圧力でみな転職してしまった。みんな仕事は真面目にやるし優秀な人たちだったのに。今は簡単に転職できてしまうから、もういいやと思ったらすぐに辞めてしまう。
私は図々しいので残業は月20までしかやらないし、管理職も断っている、おじさんたちの圧力は無視している。どうでもいいからできるのだ、会社のことも働いている人たちのことも。会社に愛着がある人ほど無理をするし、結局辞めてしまう。私は会社が潰れてもいいしクビにされてもいいやと思っている、から仕事だけこなしていればいいのスタンスになっているからこそ働けている。
人が働きにこないと嘆くならもっと働きやすい環境を整えたりしたらいいのに、金も安い堅くて働きにくい役員はうるさいしいつまでもやり方を変えない。
そりゃ誰も働きにこないよ。
まあ、なんちゃって育休をする奴らがいるのは否めないが、ワイは育児の為にお休みをいただいているのでこれが今は仕事なんだと本気で取り組んでたんだけどさ。
幸いラクテーション協会の息がかかったような連中は実母くらいのもので、あとはそんなの気にしなかったのと、
妻が出産時に出血多量で母乳育児にドクターストップがかかっていたのとで、生まれた時から粉ミルクを使ってたのとで、
沐浴もワイがやってた。
泣けば抱っこしてた。
しんどすぎたときもあったけれど、こうやって毎日世話をすることで子供への愛着がはぐくまれたのは事実なんだよな。
復職してからは深夜の授乳で昼はふらふらしてたけれど、上司も子育て経験者だったので、かなり理解してもらってたと思う。
たまに聞く話だ。
正確には母性神話とは異なる、子ども側の話題だが母性神話の一種と言っていいと思う。
これについて考察したい。
「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」論の理由はどこにあるのだろうか?
(1) 本能的に子どもは母親を求める(父親や祖父母ではない)
(2) 子どもは乳児期に多くの場合は母親からの授乳を受けるので愛着(アタッチメント)が形成される
(3) 子どもは母親の胎内にいて出産されるので愛着(アタッチメント)が形成される
(1)は論としての体をなしていないと思うので却下。
生物学者の出典も無しに、あれは子どもの本能だと言っても意味がない。
(2)は一見最もに見えるがよく考えると疑問がある。
長い子育ての間で授乳は育児の一要素のはずだがそれが何故巨大な影響を持つのか不明である。
人工ミルクでないならば母乳は母親しかできないが、これは逆に考えると母乳以外は父親でも同じことが同じ質で出来るはずである。
出来ないというのであれば夫婦の子育て時間の違いに起因するものでありただの社会的な影響だろう。
「子どもはママが好き」ではなくて「ママが好きになるような子育てを結果的にしている」と言うべきだ。
(3)も主観的すぎる。
ここの部分はむしろ子ども視点ではなくて大人視点というべきではないだろうか。
母親の胎内にいた事がどう子どもに影響するのか未検証だと思うし、母親が産んでくれたありがたいなんて発想は子どもが大きくなってから感じる事だろう。
特に乳幼児であれば、「母から生まれたから母が好き」は不自然に思う。むしろ大人の発想なのだ。
簡単に言えば「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」というのは科学的根拠が怪しい。
しかし母性神話のように、母子の特別な結びつきを疑問視すると何故か反発してくる人がいる。
科学的に確かであればそれは最もな主張だと思うのだが科学的な出典もなしに母子の結びつきを強調してもそれは母性神話か何かの思想に影響された発言のように思えてしまう。
今後も科学的な研究が待たれる分野ではあるが、母子の繋がりを証明出来てはおらず、今のところ可能性は高くはなさそうと思っておいて良いと思う。
きのこたけのこ論争にはみんな嬉々として参加してるけど、あのお菓子に特段愛着があったり思い入れがある人ってそう多くはない。じゃあ、みんな何がしたいかってロールプレイがしたいだけなんだよ。「私はたけのこ派でありきのこ派は絶対に許さない」みたいな、実生活ではまず機会のない強烈な派閥ロールプレイが。そんできのたけ論争って極めて無害じゃん。強い態度示しても誰も傷つけない安心感をみんなで共有してるから気楽で楽しいんだよね。
まあそれはそれでネットの、今では珍しくなった割と健全なノリだとは思うけど……面白くない。去勢された羊の群れの戯れでしかない。「お前は攘夷派?開国派?」みたいな刹那の間に殺し合いに発展しそうな緊張感がない。それは極端だとしても、なんていうか「どっち派みたいな論争は好きだけど他人と対立するのは良くないことだからきのたけでガス抜きしとくわ~」みたいな自意識とコンプレックスが微妙に混ざった不味いカフェオレみたいな苦みを感じるんだよ。きのたけにかける熱量を、もっと自分が本気で好きなジャンルに捧げればよくね?
漫画読んでて、途中からなんか違和感を感じ、あれ?このキャラは自分のこと「僕」って言ってるけど、前は一人称「オレ」じゃなかったっけ?と思って1話から読み返すと、当初は一人称「オレ」だったのに、最新話から「僕」になっていたとかいうことがあった。
なんでそんなことが起きるんだ?
漫画家がそのキャラに愛着がなくて一人称が「オレ」だということを忘れてしまったのか?
漫画家はともかく、編集も誰も、世に出るまでに気づかないもんなのか?
と、めちゃくちゃ、もやもやした。
なんか作り手が、そのキャラというか、作品に愛着がないのではないかと疑わざるをえないんだけど。
最初は「僕」で途中から「オレ」なら、ああ途中からキャラが少年から青年へ成長したという演出なのかな、とか思うけど、
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/0207k78qx0m31.html
子供が欲しいゲイ男性がレズビアンと協力して子供を持つのを目指すこどまっぷというトークショー、子供が欲しいレズビアンカプの二人にゲイカプ二人の子供を妊娠出産させて、生まれた子供は一人ずつ分けWINWINという内容らしい。
全然WINWINではないだろ…。
レズビアンカプは一人子供が欲しいなら、精液バンクなりなんなりで精液提供してもらって一人が妊娠出産すればそれで十分だろ。
妊娠している時から子供に愛着は湧くのに、生んですぐに取り上げられる方の母親を決めるの考えるだけで揉めるし、カップル二人揃って妊娠出産で世帯収入落ち込んでどう暮らすのかとか、妊娠出産の苦しみと精液提供がまさか等価交換だと思っているのかとか。
[B! 校歌] 生徒の校歌「音程が低い」赴任した中学校長、始業式で抱いた違和感 もとの楽譜を調べてみたら
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202404/0017511004.shtml
ブクマカの論調は、作曲当時のニ長調への回帰派に比べて、改変したハ長調の維持派が優勢なように思える。
しかし、次のような視点にも留意したほうがいいんじゃないかと思う。
これらはいずれも記事から直接読み取ることはできない、あくまで可能性の列挙に過ぎない。
実際に、ハ長調にすることで歌いやすくなって大好評だった可能性もある。
改変した当時、実際に生徒に歌わせてみて誠実に比較したはずだとも思う。
しかし、このような記事を読んだ瞬間に、上記のような可能性をあれこれ連想することができるかどうかは、どんな記事を読むときにも役に立つ感性だろう。
なお、ハ長調への改変の理由として挙げられた「変声期の男子生徒への配慮や、アルトリコーダーで演奏しやすくするためでは」というのは、ニ長調への回帰を目指した校長による、あくまで推測である。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
Twitter(現X)上で「ひよこババア」なる語がトレンド入りした。この語は「DLsite」において従来の「ロリババア」という語句がクレジットカード会社の要請にこたえる形で置き換えられるために用意された造語である。なお、あくまでDLsite側は置き換えを予定するものとしている(3月27日時点)。
さて、昨今インターネット上でアダルトコンテンツを中心にこういったある種の表現規制が散見される。このような規制の多くはクレジットカード会社からの要請、依頼に起因する。そのためTwitter上ではクレジットカード会社を非難しDLsiteを肯定するツイートが支持を集め、新たに改変された語句をネタとして消化するツイートが多く投稿された。しかし、私は以下の三つの可能性からこの改変は悪手であると考える。
今回の改変は「ロリババア」だけでなく、「ロリ」、「獣姦」、「痴漢」などの語句が改変予定が告知された。これらの語句はそれぞれ、「ひよこ」、「動物なかよし」、「秘密さわさわ」という語へ置き換えられる予定だ。
改変前の語が日常会話等において不適切なものであるということを前提として、これらの語が信用に重きを置くクレジットカード会社が避けたい語であるというロジックについて賛同こそできないが理解できる。問題はDLsiteが用意した改変予定の語にある。
おおよそ不穏当な言葉である改変前の語がマイルドな表現に改変されることは一時的な規制の回避にしかならない。そもそも、「ロリ」や「痴漢」という語をクレジットカード会社が拒絶するのはその語が気に食わないからではない。その語が意味するものを忌避しているからである。つまり、架空の児童を扱った創作物や動物虐待の可能性がある創作物、性的加害を扱った創作物の購入にクレジットカードを使用されることが彼らのリスクであるということだ。そのため、「ロリ」を「ひよこ」などと置き換えることは根本的な解決にはならない。おそらく、改変された語が定着するころにはその新たな語を規制するだろう。
さらに、この効果の薄い対策によって「本来アダルトコンテンツにアクセスすることを望まない人物」がアダルトコンテンツを目に入れるリスクを高めることとなる。従来の語はそれそのものがゾーニングの効果を発揮していた。「ロリ獣姦」と表示されていれば閲覧することのなかった人物が「ひよこの動物なかよし」では閲覧する可能性が高くなる。昨今の表現規制や表現の自由に関係する問題で度々提起されるゾーニングの問題を余計に悪化させることは創作活動を委縮させる一因となりうると考えられる。
『ざぁ~こ♡ 超ひどい閉じ込め合意なし』という題の作品、あるいはDLsiteのジャンル欄で列挙されるこれらの分かりづらい語が従来の言葉より購買の機会、あるいは意欲を減衰させる可能性は高い。
今回の事例を分かりやすくするために、人間の別の欲求である食の分野でこのようなことが起きたと仮定する。
「愛の林檎液体麦ゆで麺」とか「肥満骨引き延ばし麺」を「トマトソースパスタ」、「豚骨ラーメン」と認識できないことは間違いなくストレスであるし、アレルギー表示が「豆の種」、「救荒穀物」、「昆虫ねばねば」などと表記するようになれば間違いなく購買を避けるだろう。これと同じことがアダルトコンテンツで起きるようになることへの影響は大きいといえる。
この文章の題を「ひよこババアはロリババアではない」としたのはこれが理由である。「ロリババア」という語が不適切な語であるという議論は何度か起きてきた。ロリもババアも一般的に「良い語句」ではない(この場合の「良い」とは社会性やTPOといった面での良いであり、言葉に優劣をつけるものではない)。しかし、度々議論を起こしながらも「ロリババア」という語がつかわれ続けるのは広く大衆に知られた語であるためだ。そして、「ロリババア」という語と共に尊大で神々しく母性すら感じる精神性と未熟な体形からくる親しみやすくどこか幼い印象という質感が普及した。この質感の高まりは近年間違いなく最高潮に達している。数々の創作物で題材とされ、数多くの媒体を通して私たちは「ロリババア」を享受してきた。「〇〇じゃ」、「〇〇なのじゃ」といった文字列を目にした時に老人ではなくロリババアの声が再生される人も少なくないはずだ。DLsiteにおいて「ロリババア」は公式ジャンルの一つとなったことも記憶に新しい。
現実世界において「ロリもババアもいるのにロリババアはいない」しかし、「ロリババア」は創作物の中には確かに存在する概念なのだ。この概念は私たち人類が生み出して今日まで育んできた大切な概念なのだ。そのため「ロリババア」という語句の中には私たち一人一人が出会ってきた「ロリババア」が存在している。だからこそDLsiteをはじめ創作物と出会う場所で「ロリババア」という語句を見つけるたびに過去の体験の延長線上にある「ロリババア」を想起するのだ。この大切な「ロリババア」という言葉が「ひよこババア」に変わることは「ロリババア」という概念を消してしまいかねない。「ロリババア」が「ひよこババア」に変わることで今まで愛好家が一から築き上げた「ロリババア」像は崩壊し再構築される。その中で零落する概念が出てくることもあるだろう。そんな中で新たに登場した「ひよこババア」は今まで親しんできた「ロリババア」なのだろうか?
魅力的なキャラクターと出会い、それが「ロリババア」という言葉で言い表せる概念であると知って他の「ロリババア」を探す。そんな経験を積み重ねてきた私はこの愛着ある「ロリババア」を失いたくない。
冒頭で私は現在「X」と呼ばれるSNSを「Twitter」と記述し、そこで行われる投稿を「ポスト」ではなく「ツイート」としました。もし、これを読まれた方が「Twitter」から「X」への変遷を経験し、「ふぁぼ」が「いいね」に変わったという体験をしたのであれば分かっていただけるかもしれませんが、それぞれ改変前後でその概念に抱いていた感情や思考は異なるものであると私は考えます。かつて、歌に詠む「花」といえば「桜」ではなく「梅」を指していた時代がこの国には存在します。どちらも春に咲く花ですが、開花の時期も見た目も香りも違う全く別のものです。同じ字、同じ読みでも意味が変わることがあるのです。私は「ロリババア」は「ひよこババア」という呼称に変わることで、今まで「ロリババア」という言葉に内包されていた言語化しきれない美しい概念が失われて、いつの日にか私の愛した「ロリババア」が全く別のものになってしまうことを恐れています。そのため、このような文章を書きしたためました。
以上でこの文章は終わりです。ここまで至らない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
このような内容を投稿すれば必ず「代案を述べよ」という意見が来ると思っていたながら、その点について触れなかったことを謝罪します。
そして、代案についてですが、そもそもこのような問題はDLsiteに限った話ではなく世界規模で起きている問題です。このような大きな問題にDLsiteやFANZAのような一企業が抵抗することが現実的でないのは火を見るよりも明らかです。Twitter上で見かけるクレジットカード決済を停止することや、そのままの名前を使うことが不可能であることは理解しています。また、規制を強めているクレジットカード会社にも罪はないと考えます。というのも企業がリスクを回避するのは当然のことであるためです。そのため、クレジットカード会社を攻撃することも間違いであると考えます。
そのうえで、代案はこの問題の背景にある「現実の性加害=創作物内での性加害」という構造を打破する以外に対策は無いと思います。
「つるぺたババア」に改定案が変更されたそうです。とはいえ、「ひよこババア」でも「つるぺたババア」でも「ロリババア」とは異なるものであるし、懸念点を解消するものではないと考えます。
1. スタート:生き延びよう。
↓
2. 働いて買い物するだけで満足:自由に買い物ができるし、働くだけで満足。ウホウホ
↓
↓
4. 自由に出来るって重要だよな:望んでいた年収はまだ無いけど、やりたい放題できるので仕事が楽しい。制限がある指示されるのは自分には合わない。ただし、年収が高くないのは不満だなー
↓
5.仕事の愛着:仕事で自由にできることが楽しい。仕事中毒かも。お金があっても働くかもしれないな。○○くらいの手取りがあればいうことないんだけどなー
↓
6. 過去の目標の年収を達成した:やりたい放題も大事だけど、やっぱりお金は重要だわ。ウホウホ
↓
7. そこそこ高い年収がもたらした物:金銭感覚が少し改善された
↓
8. 現在の心境:そこそこ高い給料をもらえるし、仕事も嫌いじゃない。ただ、以前のように仕事でやりたい放題できないから、もし働かなくても生活できるなら働かないンゴ。でも、ちょっとした贅沢はしたいし、老後のためにも蓄えたいから、やりたい放題できるけど給料がイマイチな仕事にはもう戻りたくないンゴ。
下記のどちらか
ワイトもそう思います
無いと思う
そのどちらも選ばないンゴ。どっち選んでも、最終的に『働かないでいいなら働かないわ』になるからだ
なので、『そこそこ高給でやりたい放題 出来るor 社会に貢献する仕事』を選ぶンゴ
そうね
でも、生涯に渡ってINを確保しないといけないのは実際的な問題で、モチベーションは最重要
それはそう
今の年収(なんなら以上)を維持するか、ちょっとした贅沢を諦める必要がある
あと、廃課金・資金を全ツッパにまったく抵抗がない、異常に衝動的な人間という課題は解決しないと詰みそう
ただ、 投資>労働 であることは自明・・・・、ボーっとしとらんで、
『あの時○○に投資しておいて良かった!』 or 『あの時、自分なりに試行錯誤はしていたけど、○○が目に入らず、結局儲けられなかったわwガッハッハッハ』
ってやりたいモンっすなぁ・・・
尽きると思います
自己コントロールについては、某サークルトレーニングで男性トレーナーが続かないを題材に考えたい
ASDとして言うけど、ASDの世界に逆ギレという単語はあまり存在しない。
ASDとしてはその時点でかなり不信感・信頼関係の減衰・不快じゃないかな
感情によって相手を操作したり事実関係より気まずさの解消をコミュニケーションに採用するのは典型的な定型思考すぎるし、ASDの行動としてはかなり不自然なような?
ASDに対して逆ギレという感想を今あなたが持っていること自体がもう既にASDに対する理解のなさ、ASDをとりまく環境の悪さを想像させるかな。
そんな感じだから、蹴らざるをえないほどの状況や憤りを招いているのではないかと
執着の特性があるなら、すぐに病院かカウンセラーに相談して執着の強さを相談してあげてほしい。ただの怠けや不真面目じゃない。
でも本当は執着の強さは、優れた生存能力そのものなので本当なら邪魔せずそのまま残してあげてほしいし社会の方がASDに適応するべきと思ってる。修正させるような定型都合に合わせた定型社会でごめんとせめて謝罪してほしいよね
ASDの感じるプラスの感情はほとんどが作業興奮だし、興味の範囲が極めて狭い。
引き離されるのは自殺を考えるほどにあまりにも辛いんで、元から集中力が限定的で、しょせん集中力じゃなくて他人との愛着形成で飯食ってる定型が、無神経に気軽に邪魔していい話じゃないと思う。
君たち魚じゃないから泳げなくても平気だよね。君たちは泳ぐのを制限されても大したことないでしょ。魚が泳げなくさせられるのは本当に辛いよ。定型だって人から常に嫌われ見下され言葉を制限される呪いをかけられたら死ぬほど辛いんじゃないか?あまりにも他人に対する共感性がないよ
予想外+10点
とにかく作画がよく安定していた
漫画うっすら読んでたけどここまでとは思ってなかった
予想外+20点
こういうのでいいんだよ
予想外+30点
魔法少女にあこがれて
こういうエロで釣るアニメって低予算だしグダグダなこと多いけど
作画は怪しい所たくさんあるんだけど、エロいシーンでは手を抜かないというのがすばらしかった
謎の光さんがいるのにちゃんと最後まで見たのは久しぶりかもしれない
円盤が飛ぶように売れてるとか
僧侶枠か?
予想外+50点
音と演技がつくと、本当にスナックでだべってるような感覚に陥る
ギャグセンスは悪くないし、癖の強すぎるキャラになぜか愛着を覚えていくのが面白い
まだスナックに居たいと思える気分にさせる、くだらない最高な作品
3クールくらい続いて欲しい