はてなキーワード: メンバーとは
身長の話題の度に「ジャニーズが人気だからチビはモテる」を連呼せずにはいられないチビ男性の脳味噌が破壊されてしまう
811 名無し草 sage 2024/06/03(月) 11:25:09.99
誌面上身体測定結果
岩本182.5cm
ラウール191cm
渡辺172.8cm
向井176.3cm
阿部178.5cm
目黒186cm
宮舘174.3cm
佐久間168.4cm
「セクシー田中さん」の原作者が亡くなられたことに関して強い言葉で色々発言しはてなでも大絶賛されていた漫画家さんについて。
男性ボーカルグループのイラストを2次元イラストにするプロジェクトに参加しグループの一人のイラストを担当していたのだが、その際のインタビューの内容がこれだった。
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私は、2次元は3次元に絶対「負けちゃならねえ」と思ってるんです。どんなにファンの方に「顔が違う」「実際はこんなことしない」などと言われても、やっぱり「◯◯(漫画家の名前)が描いた方がカッコいい」って言われないと、それは負けだと思ってる。3次元は良きライバルだし、そういう点では今回のイラストもある意味“リスペクト禁止”と思ってやりました。
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リスペクト禁止、と仰る。他にも、そのメンバーが普段やらないポーズを取らせたとも言っている。
顔も特徴を掴んでいないし、服もポーズもそのメンバーとはかけ離れている。
そのメンバーのファンからは「何故その漫画家に描かせたのか」と不満の声が上がっていた。
あれだけドラマ化アニメ化に関して漫画家が尊重されていない、と批判していたのに、リスペクト禁止で描いたと自分で言っている。自分のほうがかっこよく出来る!と言いたいがために。
ドラマにせよイラスト化にせよ、やはり二次創作する側としては好きなようにやりたいものだし、原作への配慮より自分の表現が大事!になるものなのだろう、と脚本家たちが設定改変をやりたがる理由は納得できた。
(勿論、原作側が許容してるかどうかが大切で、今回のイラスト化に関しては所属事務所が受け入れているからそこは問題ない。ファンには評判がよろしくないようだが。
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
報告書(https://www.shogakukan.co.jp/news/476401)を読んだので感想を書く。
・なるほど。顧問弁護士と社内の人だけで報告書を書くと、こういう小学館側の主張を一方的に発信するような文書になるのか。自分たちはやることやっていたという思いがにじみ出ている内容(なお、日テレの肩を持つつもりは一切なく日テレ許すまじだが、日テレは社内特別調査チームは「社内」とはいえ、利害関係のない社外の弁護士と、社内のメンバーの半々の構成。小学館のものよりは客観的な内容になっていると思った)。
・過去、漫画家の先生方が小学館の不誠実な対応を批判していたことを考えると、この内容をそのまま鵜呑みにするのもよくないのだろうなぁ。
・とはいえ、芦原先生が大変な苦労をされて何とかドラマを成立させようと頑張った様子は、文書に残っていたものであり、日テレの報告書よりも更にしっかり伝わってきた。
・契約書の着手も遅いし、その後のやり取り物凄い遅いうえに最終的に「放送終了までに日本テレビから戻しはなかった」というのは凄い話しだ。
・日テレも小学館も電話とか会議をしたら、そのときのメモや議事録を残しておかないものなのかな(提言の中でも指摘されている)。
・日テレは脚本家を含むコアメンバー皆でプロットを考えていて、そのことは小学館側に何度も伝えていたというけれど、小学館側の報告書は、脚本家が全部考えているような前提で書かれているように見える。伝わっていなかったのかな。不思議。
・日テレの報告書は、提言の中で両社のコミュニケーションを丁寧にすべきだったと言っているけれど(それが肝だろうと個人的には思っている)、小学館の報告書の提言ではそこにはあまり触れていない印象。小学館側の人たちは伝えるべきことはきちんと伝えていたという事実認定のもとでこの報告書は書かれているから、あとは日テレ側の問題であって双方のコミュニケーションの話しではないよね、という整理なのかな。
・小学館としてはドラマがヒットすれば儲かるわけで、原作者よりも日テレ側と利害が一致しやすい。そうした場合に小学館と原作者の間に利益相反が生じ、原作者が孤立する。提言の中では「孤立させない」ということは書いていたけれど、そうした構造上の問題に関する掘り下げは特段ないように思えた。実際ないのかな。
原作者は最終的なドラマの出来については満足していたということについてはどちらも認めているんだよな。
で、小学館の方で新たに発覚したのが「脚本家の例の投稿によって原作者は原稿が書けない状態になっていた」ということ。
これ読むと脚本家のSNS投稿が原作者の死のトリガーになったってハッキリ言ってるように聞こえる。
それがなければ制作中のトラブルはあっても「慣れない新人Pに担当されて大変な目にあったけど脚本家を追放してドラマ化大成功した件」で終わるはずだった。
日テレが再三主張している伝達のミスも、そもそも脚本家が「原作者の指摘を直接見たくない」と言い出したのが発端に見えるし、
SNS投稿の原因となった「9,10話に対して脚本家が協力などの形でクレジットを載せろという要求が通らなかった」ってのも、
それらが最終的に原作者の脚本で進んでいたことを考えると無理のあるゴネに見える。
・脚本家が見たくないと思ったほどの原作者の指摘とは具体的にどういった文面だったのか?
・9,10話には本当に脚本家のアイデアが一切(例え偶然にでも)使われていなかったのか?
・アイデアが一切使われていなかったとしても、脚本の作成を途中まで行っていた以上クレジットするというのは慣習として標準的なのか?
1つ目については両社の報告書にはやや怪しい部分がある。
原作者とのやり取りの文面は膨大な量になっているはずなのに、具体的に提示している文面は
「短大の設定を変更したこと」や「4話時点で入れ替えなどによる作品崩壊を指摘する文」など同じ箇所を引用しているのだ。
穿ち過ぎかもしれないが、他の箇所では表に出しづらい語調のものがあり避けた結果と考えることもできなくはない。
もちろん問題を考えるうえで様々な理由で被ったとは思われるが、
何にせよ大部分の文章は表に出ておらず、脚本家の要望が妥当と思える文面があった可能性は捨てきれない。
2つ目については原作者の脚本が丸ごと使われている以上ありえないように思えるが、
日テレの報告書では脚本家が「9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい」と要望した文面があり、
このことについて報告書ではスルーされている。(小学館側は知りようがないので当然不記載)
また、小学館の報告書によると、原作者はドラマの演出者からの意見を反映させて脚本を完成させたとある。
この演出者の意見がじつは脚本家の案を反映させたものであった、という可能性は無いとは言えない。
また、偶然原作者の脚本の内容が元の脚本と被っている部分があったとしても、
すでに現場から外れていた脚本家には流用されたとしか見えず、上記の要望へ繋がったとも考えられなくはない。
そして3つ目。
日テレの報告書で「状況を鑑みて脚本家の権利として商習慣上「脚本協力」のクレジットが表記されるのが当然」と脚本家が述べているが、
おそらくこれは最終的に使われなかったとはいえ「一旦は脚本を完成させるところまで作業をした」のにも関わらず、クレジットされないのはおかしいという話であると思われる。
例えばシン・ゴジラでは途中までひるね姫の神山健治が脚本を書いていたが、最終的に大まかな要素を残しつつ別物となったものを庵野が書き上げ、神山は企画協力というクレジットになっている。
これはオリジナル映画であり上山の要素もかなり残っているので当然と思われるが、
もし当人の成果物が使われていなくても途中まで参加していたメンバーはクレジットに乗せるという習慣があるのであれば、この要望は妥当であり、SNSで不本意を表明するのも妥当と言えることになる。
日テレも小学館も保身のためにより具体的な情報を出し渋っている傾向があり、これだけで特定個人の責任を論じるのは危険だと思われる。
<略歴>
2011年 12月〜2012年 3月 カリタス小学校 総合的な学習講師
2020年 12月〜 早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点共同研究 研究分担者
2021年 9月〜 京都市 伝統芸能リサーチ&アーカイブオフィス 令和 3 年度「伝統芸能文化復元・活性化共同プログラム」代表
今日、知り合いの開催する異種職業交流会、まぁつまりただの飲み会に行ってきた。
日曜日ってのもあって、見知ったメンバーがほとんど。だけど、ご新規さんもちらほらいるので一応自己紹介をする。
その中で、もう絵に描いたようなこどおじがいた。
平凡な中学生が、そのまま歳だけとったらこうなるみたいな、スポーツ刈りの童顔おじさん。
そして、名前と年齢を言って、ついでに何か一言みたいな感じで進んでいたのだが、彼が選んだ一言は趣味。
こどおじ 「趣味は人間観察 (絶妙に空気が凍る) 人間観察っていうか、色んな人の仕草とかを見たりして…」
こどおじ 「すぉ… そうです」
的なもうすごく印象深い瞬間に立ち会った。
そんな絶妙に場を凍らせて、その後に吃るってお手本かよお前は。
そしてどこに住んでるんですか?からの実家暮らし判明。まあ、じゃなきゃこどおじって言わんが。
とにかく、その地獄のような瞬間はさておき、なぜキモヲタには趣味は人間観察って言うやつがいるんだろうか?
彼は32歳だと言っていたが、なんかそれぐらいの世代に共通する、人間観察ブームでもあったんだろうか?
自分の周囲にも子供の頃ドヤ顔で人間観察と言うやつはいたが、一体何をきっかけにそれを公言するんだろうか?
それを口にした人達はとても他人と積極的に関わるタイプには思えなかったのだが、人間観察という趣味が趣味たり得るとして、遠巻きに見ているだけで観察していると言えるのだろうか?
謎は尽きない。増田の知恵を貸しておくれ。
○ご飯
朝:納豆ご飯。昼:パン。夜:納豆たまごかけご飯。間食:スナック菓子。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
○ポケットモンスター赤(図鑑埋め)
長らく遊んでなかったけど、テキスト主体のアドベンチャーは一休みして久々に再会。
今日は事前に転送しておいたフシギダネをフシギソウに進化させて、つかまえた数を128にした。
○ポケットモンスター緑(NPC交換の旅)
こっちもずいぶん休憩してたけど久々に再会。
んーしかし、二つのシナリオが同時進行することでとっちらかって、人間ドラマの量が増える。
因縁があるような恐竜も出ず、先々でイベントのようなアクションシーンにいろんな恐竜が添えられる。流石にCGはよくバイクや車とのチェイスシーンは好きでしたよ。その前の人の飛び降りとか視界外の移動に超反応で別ルートから追走するのは嫌い。
合流したらご丁寧に全員の正面が映る画を作り、ノルマのように順繰りに危機に陥るのは正しく失笑した。いい感じにオールスターでございと出来ている。
メイン目標も遺伝子操作されたイナゴを何とかしろというぼんやりとしたミッションとなっており、ここでも恐竜は添え物。メインディッシュではないのが悲しい。イナゴには恐竜のDNAの研究結果が反映されてる?だからなに?
OPを除けばゆったりと恐竜を眺めることもなく生態を利用するでもなく。危険装置として働いている。そういえばほぼ銃を持った敵が出なかったのでそういう一般的な敵の代替程度の扱いだろう。
恐竜的仕草・恐さについても鼻先だけ映して匂いを嗅いだりうなり声を出したりのオマージュが多用され辟易とする。お前らそれしかできんのかい。その場面に持っていくために視覚・聴覚・嗅覚がガバガバな恐竜が出来上がり2020年代にもなって行動が生き物らしくない恐竜を見せられる。見た目はリアルになる一方でこんな生き物にされて恐竜ファンは嬉しいのか?ケツァルコアトルスとかもノルマ的にいるだけ参戦だしよぉ。飛行機襲って破壊するとかぶっとんだ舞台装置だよ。
とにかく白人ばかりになってしまった主要メンバーたちを助ける善人はバランスを取るためにか黒人である。
密輸上等常習犯なのに女の子の受け渡しを見て良心が疼き母親のために危険も飛行機も投げ打って行動を共にする女性も黒人。一緒に密輸した恐竜の子供に思うところはないのか?コイツはなぜかそこそこ恐竜の知識がありながら恐竜への思いいれや因縁などはなにもない。人身売買に関与したのが初めてなの?加入までの流れは非常に人間至上主義的で、ご都合主義にしても「恐竜がいる世界」もなにもかも活かせていない真っ黒のクソの塊。
中国系科学者も良心の呵責に耐え切れず改心し主人公たちに協力する。
義務のように各場面によい黒人を帯同させてるのはうんざり。全体のバランスをとるにはコレぐらい必要かもしれないが、新味方キャラという視点では固まりすぎている。せめてこんな長期シリーズの決算でやるなよな。
じゃあ面白くなかったのか?と聞かれると、悔しいかなそこそこ面白かった。映像のよさは七難隠すし、なによりやはり人間のキャラクターがよい。昔のキャラもちゃんと活きていて懐かしさを覚えるし若々しいキャラも若いなりのアクション含めまた見れるのは嬉しい。
とかく同窓会としてよく出来ている。
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。
『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)
あっ……(察し)。TVドラマのスタッフには恋愛脳しかおらんのか?
なお、これらの本件原作者の意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24)
温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!
「キツい指摘は見ててつらいから咀嚼して伝えて」という相沢友子の要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対に酢豚に入れないで」という要求を「原作者はパイナップルを酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者は酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)
C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本の修正文書、及び「修正について」と題する文書がメールにて送付され、そのメール本文には本件原作者が書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話でドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)
何で??? 真剣にホラーだった。TV関係者の認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。(32)
役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグにしか聞こえんわ。マイナーな音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品のドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想)
B氏は日本テレビのライツ部門に状況を共有し、同部門の顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。(34-35)
この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討が必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラのセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女の要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後は溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女の要求に法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。
2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)
「あなたは女の子だから短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……
芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。
仮に自分が原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。
でもそれをやると方々に迷惑がかかるから、自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……
TV局や俳優なんて、あなたの作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値な存在なんだから、もっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。
増田は日本の実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波は個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画でゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的な共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。
事実だとわかるのは、
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、
何故か2次創作者の立場でありながら同業者と原作者をSNSで批判したこと、
日テレもプロデューサーも出演者もそれを放置したこと、
ただこれだけだぞ
魚拓より
がら急きょ協力という形で関わることになりました
魚拓より
最終回についてコメントやDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。
(中略・気になるなら魚拓見て)
脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。
どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。
魚拓より
某脚本家
○○さんの一ファンとして悔しいです。🥺
1〜8話で変化、成長していった登場人物たちが、9、
んと描くだろうなと思いながら観ました。
で、その時間経過も描けてなかったですね。。
まったのが残念でした。😢
私もこの事、胸に刻んでおきます。
某脚本家
あろうとです。わたしもいろいろ考えさせられまし
た。ともあれ素敵な作品をたくさんおつかれさ
までした!良いお年を迎えてください
文業の人
はじめまして。毎週楽しみにしてました。
わったので不思議でした💦そして、えっ、
ここでふんわり終わり?と。
でも訳がわかりました。
そして、私も物書きの1人として尊厳を傷つ
素性不明
な?誰かが手を入れたりして現場も混乱した
のでは?
他にもドン引きコメントにいいね❤️推してるのが確認できるので気になるなら魚拓見ようね
せめて下記のように発言すれば、よかったよね、これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできた
『最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身で脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます』
こう言っとけば、ゴタゴタが取り沙汰されても、下記のように言えば全部問題片付いた
『このドラマの製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作のファンやドラマの視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』
それすらもしないで、2次創作者の立場で原作者をドラマ出演者と一緒の写真を添えて非難という傲慢な奇行、そりゃ燃えるよね🔥
どこぞの脚本協会だって、『著作権法第20条』が大事だって言ってるだろうよ
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本を改訂してはならない。
笙野と小西の勤務先は、原作は都市銀行と広告代理店であったが、ドラマ化ではドラマ内で両人が頻繁に顔を合わせても不自然ではないように、同じ職場(商社)とした
同じ職場にした方が纏めて撮影できて楽なのはわかるが、こういう小さなところから改変は始まるのだなという学び。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。
「何故わざわざこんな謎の設定変更を?」みたいな謎改変に至る思考プロセスが詳らかに言語化された日本初の資料だと思う。「本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかった」のあたりは特に、キャラクタをどう捉えているかが最高によく出ている。
しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
内容・意図は十分すぎる程伝わってると思う。本当に心底どうでもいいことをわざわざ考えて議論してることを何より誠実に伝えてるプロットとして自信を持って欲しい。
朱里が田中さんにメイクをしたが老けメイクとなり失敗するシーンをカットするか(制作サイドでは、該当女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由でカットしたい)等で制作サイドと本件原作者でせめぎ合いがあった。
映像制作レベル低すぎない?ハリウッド映画の特殊メイクしろって訳じゃあるまいし、映像でそのまま見せられなくても演技、演出、照明、カメラワークで何とかしようとしないのか。
A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
仕事でよかれと思って嘘をつくの、どうしてもあるよね。わかるわかる。
でも自分が助かろうと思ってつく嘘は絶対バレるし、バレた後の処理を考えてないと破滅するんだよね。これ絶対バレた後のこと考えてなかったでしょ。
A 氏の認識では、この時初めて「創作するな」という話が C 氏から言われた。A氏はこの時点でもこれまで同様ラリーを続けて本件ドラマを作っていくのがいいと考えていた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる。
C 氏は A 氏に対し、オリジナルで挿入したセリフをマストでなければ削除してほしいと言ったところ、A 氏は、それでは本当に本件原作者が書いたとおりに起こすだけのロボットみたいになってしまうので本件脚本家も受け入れられないと思う旨答えた。
ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる(2回目)。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信許諾が取れていなかったので、配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!!」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。
許諾の有無なんて調べりゃわかるよね。というか調べてるから差し替えできた訳で。
いいものを作ろうと思ってるプロのスタッフが揃ってこんな初歩的なミスを犯すとか不思議で仕方ない。
その際、サントラ盤のジャケットに🄫NTV と記載されていたところ、小学館から本件ドラマのサントラ盤でありドラマの要素を使用しているにもかかわらず、🄫NTV(日本テレビ)のみのクレジットであることはおかしい。販売を延期してほしいという要求があった(CD の中にあるブックレットには本件原作者名を記載していた。)。
著作権者表記だけで、原作付きドラマの権利をどう思ってるかがよく現れていていいと思います。
限られた予算では、大規模な撮影が難しく、美術セットを多くは作れない。こうした場合には、原作とは場所の設定を変更するなどして撮影が行われることがある。
地上波では、残虐なシーン・過激な性表現等に配慮が必要なため、原作のシーンやセリフのカットや変更等が必要になる場合がある。
自動車用品店に「燃費向上グッズ」ってあるじゃん。そんなもんで燃費向上するならとうの昔に各自動車メーカーがやってると思うんですよね。
…という話と同じで、改変してより面白くなるならドラマスタッフよりも先に漫画家なり編集なりが認識してやってるんじゃないですかね。
キラーピアス担当に回復役、バイキルトやピオリム、ルカニルカナンが使えるブライは必須だった
普通のプレイでもブライとマーニャ(キラーピアス要員としても)を使い分けてた
トルネコはくちぶえとしのびあしで使えるしライアンはデスピサロ戦ではメガザル装備させて賢者の石持たせて貴重なタンクとして活躍させてた
フバーハはあって損はないけどラスボスとか毎回のようにいてつく波動使ってくるからかけ直すの面倒なんだ
従ってミネアってプレイしてたら全くの役立たずな事に否が応でも理解しちゃうよね
せいぜい薄い本でシコ要員としてしか使い道ないかな。でもプレイそのものでは全然いらない子だった。
あっ一つだけ役に立つ事があった。
やっぱり必要なのは、仕事の中で人間の仲裁と調整を行うAIだわ。
毎日のようにオフィスで繰り広げられる些細な争い。会議の度に意見がぶつかり合い、プロジェクトの進行が滞る。上司と部下の間に生まれる微妙な不和。同僚同士のささいな誤解や対立が、仕事の効率を著しく低下させているのを見ていると、自然とそんな考えに至る。
そんな時に登場するのが、最新の調整AI「メディエーター」。このAIは、全ての社員の言動や感情データを解析し、最適な解決策を導き出す。人間の感情を理解し、冷静に判断を下すことで、迅速かつ公平な仲裁が行える。誰もが納得する形で、問題を解決してくれる存在だ。
ある日の会議、再び意見が対立し、場が険悪な雰囲気になった瞬間、「メディエーター」がスムーズに介入した。淡々と、しかし的確に双方の意見をまとめ上げ、全員が納得する結論を導き出した。驚いたことに、普段は口論を繰り返すメンバーも、AIの指示に従った。
これが「メディエーター」の力だと感心した。人間同士だと感情が絡み合い、どうしても対立が生じる。しかし、感情を持たないAIが間に入ることで、冷静かつ効率的に物事が進むのだ。人間の複雑な感情や関係性に振り回されず、公平に判断を下す存在が、オフィスに新たな秩序をもたらしてくれる。
AI先生に対してだったら、しぶしぶでも従うようになるだろう。それが素晴らしいところ。
pixivやTwitter(X?)のフォロワーも数万を超えた
なんとなーく始めただけなので、いつかはなんとなーく終わると思うが、まさか1年続くとは思わなんだ
②反AI減ったよなあ
最近はいわゆる反AI活動も下火になったのかネットで暴れている人も減ってきた印象
始めたころは謎の過激派から引用RPで罵詈雑言飛んできてちょっと嫌な気持ちになったけど最近は平和
とはいえおすすめタブでよく見るメンバーは煮詰まっているのでいつか事件起こしそう
③pixivの閲覧数減った
フォロワーは結構いいペースで増えてきたけど、投稿当たりの閲覧数が横ばいというか若干落ちてきた
④NovelAIつえー
全然AIっぽくない。これは絵師の反感買うんじゃないかな...
NovelAIの影響かもしれんが、最近のプロフが英語と中国語のアカウントのイラスト力が凄い
多分本業の人がアップしているんだと思う
⑥思ってよりフォロワーさんの財布のひもが緩い
全フォロワーの1%くらいの人は支援サイトに入ってくれている。ありがたい。
諸々差っ引いても毎月20万くらいは入ってくるので時給換算だと本業よりも良かったりする
最近はクレカ規制厳しいし、軒並み支援サイトはAI禁止なので、Patreonには頑張ってもらいたい
⑦ちょっとだけ絵を描けるようになってきた
流石に1年間レタッチなり小物とか描いていたので、手書き時代よりも絵が巧くなっていた
絵師じゃねーだろというツッコミは置いておいて、自分がやっていることを端的に説明するのに便利だなと思った
基本的にネトウヨとかパヨクみたいな感じで、批評者の頭の中でしか使われない呼称だけど個人的にはわかりやすいよなと思う
投稿頻度や1回の投稿当たりのいいね、RP、ブクマ数を見ている気がする
いちどアカウントがバズり始めるとどんどんフォロワー増えるので楽しい
一方で手書き絵師様からするとアンフェアな感じがあって怒れるよなって思った
めっちゃ嬉しい
おわり