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はてなキーワード: きっかとは

2024-06-03

男児去勢コンプレックス父親去勢されるかもという不安から母親を手に入れることを諦め、エディプスコンプレックス崩壊するために、近親相姦欲望などは放棄されることになる。しか女児去勢コンプレックスが生じて、それが契機になって母親から父親への愛情対象の転換が起こるとされている。故に女児はいつまでも父親を愛したままになり、フロイト女児エディプスコンプレックスはいつまでも続き、崩壊するきっかけがないと言っている。

そのため、女児には男児のように強力な超自我が生じないと言う結論を主張している(明確な超自我形成にはエディプスコンプレックス放棄される必要がある)。

ずいぶんと乱暴だと思うが、"女児には強力な超自我が生じない"は言いたいことが分かる気がする

気がする

anond:20240603104035

BLカップリングするような女オタクきもいって書きゃよかったのに

自分たちは女キャラまんこペロペロとか平気で言っておいて

あの男キャラかっこいいって書かれたくらいでこいつ女だキモイ死ねって袋叩きにしてたのが悪いんだろ

あと女と思われる書き込みっていうきっかけがなくてもいきなり女(腐女子限定してない)叩きしたりこんな所に女がいるわけないって決めつけてたり空気悪かった

今もゲーム系のスレではその空気が残ってることある

ゲームの「デベロッパー」という存在認識したきっか

自分幼稚園時代からゲームプレイしていたものの、デベロッパーパブリッシャー存在を初めて認識したのはちょっと後で、たぶん10歳ごろにFCドラゴンボールZ外伝 サイヤ人絶滅計画攻略本の巻末に収録されたバンダイ担当者ディレクタープランナーだろう)のインタビューを読んだときだった。

そのなかでバンダイの人が「自分がこういうアイデアを考えて、それを開発会社が頑張って入れてくれて~」みたいなことを言ってるのを読んで、「えっ、ドラゴボのゲームってバンダイが作ってるんじゃないの!じゃあなんでお前が表に出てインタビュー受けてんの!開発会社手取り横取りかよ!ズルい!」と感じた記憶がある。今から思うとこれはかなり言いがかりであって、このゲームのような場合だとバンダイ側の企画担当者ゲームシステムからガッツリ関与していたはずだ。ちなみに同作の開発会社というのは、近年でもスカーレットネクサスドラクエモンスターズ3の開発で知られる下請けの王トーセだ。

 

しかし今から思い返すと、その当時の自分にもドラクエの開発は中村光一率いるチュンソフトという会社が手掛けているという知識もあったはずで、そのへんがどうなっているのかよくわからない。ドラクエ堀井雄二やすぎやまこういち等も外部の人間だし、ドリームチーム的な特殊な座組と認識していたのか? 少なくともエニックスが開発部門を持たない会社であるという認識までは全然なかったはずだ。

 

ゲームの開発は発売とは別の場合もあると知っていたおかげで、スーパードンキーコングの開発がレア社という海外会社と知ったとき理解スムースだった。

32ビット時代に入るとゲーム開発者メディア露出する機会が大幅に増え、ゲームというのはどういう人・会社がどういう風に作っているのかというのが見えてきた。たとえばDの食卓は完全に「ワープゲーム」であって「アクレイジャパンゲーム」ではない。プレステ看板キャラクターであるムームー星人SCEが開発したものではない。

 

アサクリの件で「フランスゲーム会社から~」みたいに書かれてるのを見て、「いや、UBI自体フランスだけどアサクリ開発はカナダ子会社なんだけどな」って思って、そういや自分はいデベロッパー存在認識したのかと思い出していた。

Xにおける日程調整ツールに関する話

昨日ブコメ話題になった件。

 

あれ、話の発端は、どこかのインターン生か若手会社員が、Xで実名所属を公開している(X上での)著名人に対して、

DMで「○○について意見交換させていただきたいと思っています。つきましては下記のツールから都合に合う日程を~」ってコピペでばらまいて、

それに対して著名人某氏が苦言を呈したこときっかけだったような気がする。

 

から、すでにメールチャットツールで面会について承諾しており、そのうえで日程調整ツールを使ったという話ですらなく、

初対面で挨拶とともに日程調整ツールURLを送り付けたという話だったと認識している。

これに対して、「やり取りが一往復減るから良いだろ」と擁護勢が出たことで異論反論飛び交ったって感じ。

 

さらに前のやり取りや別のやり取りがあって認識ズレてるかもだけど、これが事実ならば個人的には論外な主張だなぁ、と思っています

相手に持病があっても加害は加害だろ?

セクシー田中さんの件でさ。

一部で、被害者の方が精神疾患を患っていたと言うことをアウティングすることで、自殺したんだしあれは本人の問題である誘導している向きがあるんだけど。

これの事実わからんよ。発信源がネット工作職業にしている人らしいんでそこはわからんし、デタラメ可能性が高いと思うよ。

ただ、事実は別として、なんで精神疾患だけこんな風に言われるんだ?

例えば、交通事故で足が悪い人を牽いて殺しちゃったとするじゃん。その時に「被害者は足が悪いか加害者は悪くないよな」ってなるか?

ならんでしょ。でも、精神疾患なら少なから加害者に対して「精神疾患の奴に関わってしまって、運が悪かったね」って雰囲気になってるのなんなん?

加害の結果がより深刻になればなるほど、そう扱われる傾向があるよね。まして死んだりすれば死人に口なしとばかりに風説の流布がはじまるのなんなの?

なぜ真っ先に「本人に原因がある」と仮定して原因はきっかけに過ぎないとか偏見バイアスを持つの


この件に限らず、過重労働などで死を選ぶ人がいるけど、それに対して結構割合で本人は仕事以外に追い詰められる理由があったのだ、みたいにな話にして広まってるケースがあるんだよな。

それもネット上であえて悪ぶって振る舞うイキリ連中だけじゃなくて、リアルでもこう言う傾向があるじゃん

自死に限らず、セクハラパワハラをやった被害者退職したり体調崩したりするとこういう話になるじゃん。

これもおかしくね?例えば持病を持ってる人だからといって、あれは労災じゃねえなんてことにはならんでしょ。

なぜなのか。

anond:20240602051028

40歳なら、まだまだ結婚できるので、婚活してみたら?

自分も親の死と病気きっかけで結婚相談所に入ったよ。

趣味人間観察

今日、知り合いの開催する異種職業交流会、まぁつまりただの飲み会に行ってきた。

日曜日ってのもあって、見知ったメンバーほとんど。だけど、ご新規さんもちらほらいるので一応自己紹介をする。

その中で、もう絵に描いたようなこどおじがいた。

平凡な中学生が、そのまま歳だけとったらこなるみたいな、スポーツ刈りの童顔おじさん。

そして、名前と年齢を言って、ついでに何か一言みたいな感じで進んでいたのだが、彼が選んだ一言趣味

こどおじ   「趣味人間観察 (絶妙空気が凍る) 人間観察っていうか、色んな人の仕草とかを見たりして…」

陽キャおじさん「そういうのが楽しいんだね!」

こどおじ   「すぉ… そうです」

的なもうすごく印象深い瞬間に立ち会った。

そんな絶妙に場を凍らせて、その後に吃るってお手本かよお前は。

そしてどこに住んでるんですか?から実家暮らし判明。まあ、じゃなきゃこどおじって言わんが。

とにかく、その地獄のような瞬間はさておき、なぜキモヲタには趣味人間観察って言うやつがいるんだろうか?

彼は32歳だと言っていたが、なんかそれぐらいの世代共通する、人間観察ブームでもあったんだろうか?

自分の周囲にも子供の頃ドヤ顔人間観察と言うやつはいたが、一体何をきっかけにそれを公言するんだろうか?

そもそも本当に趣味って言えるほど打ち込んでるのか?

それを口にした人達はとても他人積極的に関わるタイプには思えなかったのだが、人間観察という趣味趣味たり得るとして、遠巻きに見ているだけで観察していると言えるのだろうか?

謎は尽きない。増田の知恵を貸しておくれ。

結婚式でこんな風に話したかったのかもしれない

先日友人の結婚式に参加した。

それが初めての地方結婚式であった。

移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。

ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。

旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。

パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。

かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。

それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたとき気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。

今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。

今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。

そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。

少なから自分世界主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。

その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。

また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける

しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足押し付けが過ぎ、幸せ絶頂花嫁に水を指すのもいかがなものか。

上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的感情をここに書くに至った。

さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である

彼女とかかわり合いになったのは、大学サークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。

私自高校生から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。

そこからサークルという否応なしに共通目的やら問題やらに向かえる集団所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。

そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。

ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件きっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。

以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。

何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。

こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日ご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。

思えば色々と感化されやす性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。

そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。

そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。

そうして、間違ったことも、壊してしまたことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。

見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である

から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。

私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。

私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたこ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。

ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。

自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。

服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。

洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチン排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。

朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。

人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、

一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。

それは意識されないまでも、どこか自分根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。

パートナーがいるというのは、そういう安心感を強く感じる。

あなたはどうであるか、そもそも私自あなた相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである

帰ってくるところさえあれば、人生無限に楽しめると私は思う。

2024-06-02

野良レモンです。ミックスリスト過去ログを溜めていました。2

野良レモンと言います

テラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。

でも、Tanを取って、ノラレモンよろしく

ここには、ある場所過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます

【まずブログの紹介から。】

ブログ名。『とまれ妖怪ゲンゴカー!』

https://5502r4gengoka.seesaa.net/

ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストリンクあります

【そしてユーチューブミックスリストの話。】

発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v 

ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます

ユーチューブ自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめからが良いだろうと考え、『見た後の』リスト名前を付けました。

通常は10本前後動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています

無料安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたもの感想連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所

その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね

▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ 

昭和からもの心付いていた年代の人たち向け。野良も疲れ過ぎた夜に、つります冠婚葬祭の夜、つります回復に24時間以上は掛かります野良場合、かかとぺったんこの靴を履くことや、靴底シートでの調整でマシになりますね。

https://www.youtube.com/watch?v=MX9T_ZneL44

国境なき医師団

理由ブログで書いているけど、スパチャとかしない主義野良。だけど、あえて ❝推し先❞ ❝課金先❞ を書けと言われたら、今ここ。

世界に、今すぐに、傷口をふさいでほしい人たちがいる。

今すぐに赤ちゃんを救って欲しい人たちがいる。

今すぐに、ウミを除いて抗生剤必要としている人たちがいる。

一つグチるなら、コンビニからも入れられるようになったらいいのに…。

どんな時にATから募金するとか、いくらとか、そういうこと私は言わない。

https://www.youtube.com/watch?v=vtmb-UV1iKU&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=63

https://www.youtube.com/watch?v=YdceO-ElrKA&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=62

https://www.youtube.com/watch?v=k-AMHKyOgJ8&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=61

●翔んで埼玉

始まっちゃったよー。始まっちゃったよー。

夏に ❝まだかなーまだかなー早く観たい観たい❞ と楽しみに待っていたのに。

詳しくはブログに体調を詳しくグチっていますが、今週末は無理…。

早く行かないと、行ける日には雪が積もる。そして延ばしているうちにとんでもなく早朝とか、終バスを諦めなければならないくらい遅い夜とかしか上映しなくなる。

https://www.youtube.com/watch?v=H-YkgKhtJ04&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=67

イギリスの希少病の女の子母親神戸に来ていました。

やっと『翔んで埼玉』を観れて、感想ブログに書いたところですが、今回、ターゲットというか見事な遊び場に大阪がなっていました。

人間として素晴らしいバリアフリー精神をお持ちの理容師さんと、神戸出会えたお話動画に載っております

関西と言えば、境界線に上手に踏み込んでくる秀才がたくさんいて多数派で、言葉言語のまんま聞き取る不注意優勢野良は少々警戒している地でもありましたが、中には素敵な人がいるんだなと思いました。母娘に幸あれと、心から祈ります

https://www.youtube.com/watch?v=J_BbWC7CJpI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=75

出産経験のある有識者の方への質問

子どもが欲しいかもしれない状況なんだけど、自分の中でほんとに子どもを生んでも良いものか、みたいな整合性?が取れなくて、

実際に産んだ人はどのように考えて子どもを産もう!育てよう!となったのかが知りたいです。

生むのは私で、現在夫もいます

私は記憶を遡れば保育園の頃すでに見た目のことでからかわれ、学生時代は常に容姿きっかけにいじりやいじめを受けてきました。たしか客観的に見てブスと言われるポジションです。

自分容姿に自信がなく、自分容姿によって辛い思いばかりしてきたので、この容姿を引き継がせてしま可能性が高いことが申し訳なさすぎて子どもを産むという選択を取れずにいます

もちろん絶対に私に似るとは限らないですし、自分容姿を受け入れて楽しく過ごしてくれるかもしれません。でもそれは「かもしれない」の話です。

そういう微々たる可能性に賭けて私の「子どもが欲しい」欲を満たすのはあまりにも子ども申し訳がないです。

結婚の次のステップとか、私が充実した人生を歩むために子供の命や人生を利用しているのでは?と思ってしまます

夫はどうしても子ども欲しいわけでもないし、何より私の健康キャリアにも影響することなので私が納得するならどちらでも良いと言ってくれています


自分が納得していないもの(私の場合容姿容姿嘲笑する社会のあり様)を、自分にとって大切な存在なる子どもに押し付けしまう、ということが自分の中でどうしても許せず、この気持ちを抱えたまま子どもを産むのは絶対に良くない、仮に産むのであれば客観的に見て整合性のとれる理由必要だと感じています

子どもを生んだ人の中にはさすがに私までと言わなくても見た目に自信のない方や、生活する上で苦労する身体的特徴や体質を持っている方もいると思いますが、そうしたもの子どもに受け継がせてしまうかもしれないことをどう自分の中で整理して出産に至ったのかが知りたいです。


ちなみにブスなのになんで結婚できてるんだ?と聞かれるかもしれないので話しておきますと、夫とは趣味を通じて知り合い、趣味を通じて仲良くなり、友人関係が5年以上続いた後、付き合い始め結婚となりました。

夫と仲良くなれたことも付き合えたことも本当に奇跡だと思っています

分かりやすく私のブス度合いを言うと、振り返って二度見される、通りすがりの人と偶然目が合ったときにギョッとした顔をされる、は日常茶飯事です。

anond:20240602151920

オッスオラ悟空

オラも昔チチにすごいセクハラしちまったんだよな

でもそれがきっかけで結婚しちまったから、人生何が起きるか分からないよな!

オメエにも仙豆やるから食って元気出してくれよな!

男性トラウマあるから一人で楽しく生きていく

先日彼氏と別れた。

自分に対して性的欲求を向けられると強烈な嫌悪が走ることに気づいて、

それに耐えるくらいだったら独りの方がよっぽど幸せだと思ったので。

これは自分の内側の問題申し訳ないということを丁寧に説明して、円満に別れてもらった。

私は下ネタの話を聞いてるだけだとめちゃくちゃ楽しいんだけど、その欲求自分に向くとものすごく嫌で

分析してみると多分幼い頃住宅街痴漢にあった経験とかがきっかけなんだろうなと。

からと言って別に男性全体を恨むつもりもない。

貯蓄もあるし仕事楽しいし、一人や友達楽しいこともいっぱいあるってわかっているか特に困ることはない。

恨んだり悩んだりするより、今の自分をご機嫌にすることに時間お金を使っていこうと思う。

今日おすすめ映画

今日はこの映画おすすめしたい。ホラー映画の「ヘレディタリー/継承」。アリ・アスター監督デビュー作なんだけど、これがもう怖いだけじゃなくて、深いんだよ。映画家族秘密悲劇を描いていて、ただのホラーとは一味違う。

まず、トニ・コレットの演技が素晴らしい。彼女が演じるアニーは、母親の死をきっかけに家族がどんどん壊れていく様子をリアルに見せてくれる。彼女感情表現は本当に圧巻で、観ているこっちも引き込まれしまうんだ。あと、子役ミリー・シャピロもヤバい彼女演技力存在感が、映画全体の不気味さを増しているんだ。

次に、映画ビジュアル音響が秀逸。家の中のセットや照明が、なんとも言えない不安感を醸し出してるんだよね。暗い部屋や奇妙なシンボルが随所に出てきて、まるで悪夢を見てるような気分になる。そして音響効果も、観る人の神経を逆なでするような音が絶妙に使われていて、怖さが倍増する。

ストーリーも深い。単なるゴースト悪霊の話じゃなくて、人間心理家族の絆、そしてそれが壊れる恐怖を描いている。観終わった後に、いろいろと考えさせられる作品家族問題トラウマがこんな形で表現されるなんて、ホラー映画でここまで深いテーマを扱うのはなかなかないよ。

この映画は、一見するとただのホラーだけど、その裏にある深いテーマと見事な演出が合わさって、観る者を完全に圧倒する。ホラー好きなら絶対に外せない一作だし、そうでなくても一度は観る価値があると思う。

 

まぁ、この映画はまだ見てないんだけど…

リベラルとしての暇空

暇空のやってる事(住民訴訟)ってざっくりまとめると

お気持ちはどうでもいいから公金は正しく使え」

「正しく使ってないなら金返せ、税金無駄遣いするな」

「みんなの税金平等に使え、特定人間を贔屓するな」

という、市民社会におけるリベラリズムのものなのだが、

何故か従来のリベラル界隈には受け容れがたい発想なのが本当に不思議しょうがないんだよね。


「ある日、ある一般市民ちょっとしたきっかである団体の公金不正疑惑に気がつく」

疑惑を追求しようとした所、団体だけでなく繋がりの深い政治家政治団体マスコミ等のバッシングに晒される」

「それに反発した市井の人間が立ち上がった者にエール支援を送り、巨大な疑獄に立ち向かう」

なんてさ、まさに左翼が好きそうなシチュエーションじゃん?

仮に一般市民が平凡な主婦のH子さんだったら、かのアカデミー賞映画新聞記者』の続編のプロットになりそうだよね。

望月ライクの主人公が平凡な主婦H子さんに寄り添って共に戦う役回りでさ。

リベラル界隈が異常に反発するのって、その役割をよりにもよって「中年オタク男性」という

彼女ら・彼らが最も忌み嫌い差別する属性人間に取って代わられた嫉妬もありそうなんだよね。

良い歳した人間嫉妬ってホントに醜い。


とは言え嫉妬は抜きにしてもやってる事はリベラリズムのものであるにも関わらず

左翼リベラルサイドの人間は何故か権力者である糾弾側に肩入れし、暇空や彼を支持する人間を異様なまでに悪魔化して

一丸となってバッシング誹謗中傷の限りを尽くしているというのは本当に不思議なんだよね。

えっ?あなた達、弱者一般市民の味方を標榜したり自認してるし「公金の不正利用・会計疑惑」とか叩く側だよね?

何で政治家政党のバックを盾にやりたい放題やってる権力者側の肩を全力で持ちまくるの?って。

党派性か抜きにしてリベラリズムを支持しなきゃいけないんじゃないの?自称リベラルの紛い物じゃないんならさ。


裁判一年やっても未だに領収書すらまともに出せないなんて、一般的に考えれば

領収書を出せない様な後ろめたい会計をやっていた 

or

領収書物理的に出せない(まともな会計処理をやっていない、不正の温床)

だったかの二択なんだけど、未だに「女性差別女性攻撃するな!」で押し通そうとしてるのも

そんなのを支持しているってのもある意味凄いよ。一般市民感覚と完全にかけ離れてる。

一体リベラルはどこの上級国民様なんでしょうね?それで「一般市民代弁者」を自認しちゃあかんでしょ…


仮に杉田水脈三浦瑠麗自身言動活動、息のかかった団体の公金不正利用疑惑に対し

批判するのは女性差別女性達を攻撃するのを止めろ!」って言ったら、一体どうするんだろうね?

絶対無視するか「言い訳するな!」って更に燃やす人の方が大半でしょ?リベラル界隈は。

杉田水脈三浦瑠麗が「(私を攻撃するのは)女性差別!」と言った時、

石を絶対に投げないと誓える者だけが、暇空を批判する権利があると個人的には思うよ。


まあ俺は石を投げる側だし暇空も同時に批判するけどね。それがリベラルでありリベラリズムから

たまたま自民党系の息がかかった団体じゃなかった、というだけで、リベラリズムを自ら否定して

権力者側についちゃうのは、ハッキリ言ってリベラルじゃないと思うよ。マジでね。



暇空のやってる事に批判があるのも分かるんだよ。

彼は確実に敵を作りまくる側の人間だし過激発言も多い。批判されるのはよく分かる。

攻撃する人間が未だに少なくないのはさすがに酷いって思うけどさ。

問題が始まって一年以上も経つのに未だに暇空への解像度が低いってのもどうかと思うよ。

神原先生らがやっている「暇空は温泉むすめを批判した事の恨みで女性支援団体攻撃してる!」って主張。

俺はてっきり、悪性立証という裁判戦術の一つでやっていると勝手に考えてたよ。

やましい事が無いのなら悪性立証なんて事をせずに堂々と戦えとは内心思ってたけどさ。

でも最近、ひょっとして本気で「オタク中年温泉むすめという萌え作品批判した恨みで攻撃している!」

と考えているのでは?と思うようになってきたよ。

だとしたら未だに解像度も低いし攻撃も頓珍漢で、ギャラリーである我々から疑問符が浮かびまくる様な

戦術攻撃しているのも納得するよ。いくら何でもレベルが低すぎるーよ。一年以上も何をやってきたのさって。


いくら何でも戦い方も向き合い方も下手っぴ過ぎる。

そりゃ暇空なんかを支持する人間が未だにいるってのも分かるよ。カンパも一億円突破するわなって。

カンパで儲けてる!」に代表されるデマ連呼(ナザレンコさんに共同通信デスクがやっていた様なヤツね)

ちょっと党派性が強いメディアによるメディアスクラムから増田への怪文章投下とかい草の根ネット活動までやっててさ、

これがどう中立層の第三者にどう判断されるのか、マジで分かっていないか、これで影響される様なコア層にターゲット絞ってる確信犯かのどちらか。

もう「こんなのを支持する方がちょっとヤバいかも…」ってなって、元々の支持者側(自分含め)からドン引きされてるのが現状だよ。

一時期の仁藤さんと一緒でさ、過激言動で先鋭化してくとマイルドな層って普通に脱落していくのよ。

ただでさえ高齢化で層が薄くなりつつある支持層を更に先鋭化で削っていくやり方に固執するのか、俺には全く分からないよ。


暇空ってさ、あくまでも合法範囲、正当な手法(裁判)というやり方で決着をつけようとするタイプじゃん?

良くも悪くもルールを厳守しルール範囲内で暴れまくるタイプに思えるんだよね。

またそれは彼が自認・自称するアスペルガー症候群(発達障害)の特徴でもある。

生きづらい発達障害人間集団攻撃するのって凄い差別的なヘイトだと思うんだけど、ヘイトが嫌いな人達は当然反対だよね?


サッカーで例えるなら、暇空はラフプレー上等でルールギリギリを突きまくるしカード上等のプレイもするけど

あくまでもサッカーというゲームの中で戦うタイププレイヤーなんだよ。

しかし一方で相対する側は、サッカーフィールド釘バットとか青龍刀を振りかざしながら

ピッチャービビってる~ヘイヘイヘイwww」と煽りまくってる輩というね。

で、観客である左翼リベラル人達フィールドに向かってゴミ汚物を投げ込んだり

ヒトラーの子孫は死んで下さい」という垂れ幕を堂々と掲げている様な状況だったりするじゃん?

今日フーリガンですらそんなマナー悪い事しねーでしょって思うんだけど、清廉潔白とか社会的正しさを標榜している人達

何故かそういう蛮行をしているか、堂々と支持しているってのが本当に不思議しょうがない。

君たちのリベラリズムは「自己矛盾」という言葉を捨ててしまったのだろうか?


例えばColaboのバックは共産党系勢力で、フローレンスのバックは公明党系の勢力だったりする。

本来彼らは対立する勢力なんだけど、対暇空に関しては一致団結しマスコミ政治家の力も使って

ありとあらゆる盤外戦術を取りながら暇空という存在自体を潰そうと協力している様にも見える。

これじゃ暇空のいう「ナニカ」とかいダサい概念否定出来ないよね。これが本っ当に気持ち悪い。


いい加減リベラルリベラルをやってくれよって思うよ。これじゃリベラルを自認してた自分馬鹿みたいじゃん。

素直に公金を雑な会計でやってる団体は公金事業に関わって欲しく無いし、無駄遣いしてるのなら返金しろって思うよ。

男女平等観点で言えば、女性支援の異常な厚遇や一切の批判も許されないってのもどうかと思うよ。

ホームレスへの炊き出しとか手伝った事ある?95%ぐらい小汚いオッサンジジイだよ?

生活困窮者という意味では彼らも助けなきゃおかしいでしょ、ってさすがに思うよ。

批判されにくい女性支援を盾に政治家権力も使って好き勝手に公金使ってるのなんて、ハッキリ言って市民社会の敵だよ。

リベラルが最も忌み嫌い批判しなければいけない対象だよ。

何でその対象と一緒になって、批判側を躍起になって攻撃しているのか…

本気で意味が分からないよ。

Colaboから端を発した騒動は、左翼とかリベラルと呼ばれていた人達の壮大な自縄自縛自爆に思えてならないよ。

リベラルを自認してる者として、物凄く残念だよ。超がっかり

もう暇空と一緒に左翼の星になって爆散して欲しいとすら思うよ。


いいじゃん超新星爆発みたいでさ。素敵じゃない?

AIはやはり人間より賢い】芦原妃名子問題について聞いてみた。

プロンプト

次の条件で登場人物解釈をしてください。漫画家の芦原先生は、ある日SNS上で声明を出しました。彼女原作ドラマ化した作品が中盤まで彼女意図通りの内容にならず、最終回脚本自分で書くことになった経緯を説明するものでした。彼女テレビ局側が当初の取り決め通りに作らなかったことについて話し合いを求めました。この声明が発表されると、SNSユーザーが騒ぎ出しました。テレビドラマ脚本家を中傷する人も現れました。芦原先生は「攻撃するつもりはなかったのに」と投稿し、テレビ局側が何か言う前に自殺してしまいました。先生は何故自殺したのでしょうか。

Command R+の回答

芦原先生は、自身作品ドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こしドラマ脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまたことに動揺していたのでしょう。

先生自殺という選択をした理由は、いくつか考えられます

  1. 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身声明きっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれ可能性があります特に創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
  2. 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります
  3. 創作者のプライド:芦原先生漫画家として、自身作品に強い思い入れがありました。その作品自身意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明さらなる問題を生んでしまたことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります
  4. 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社テレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はありますさらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまたこから事態収束解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます

これらの要因が絡み合い、芦原先生自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇きっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。

anond:20240602062744

あ、追加の質問ね。いいよ、答えるよ。ビッグマックの片手に頑張る!

リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽演奏したのは、ジョアン・ジルベルトっていうギタリストなんだ。彼が1950年代後半に、リオデジャネイロクラブや小さなバーギターを弾きながら歌い始めたのがきっかけだったんだよ。

ジョアン・ジルベルトスタイルは、すごく独特で、サンバリズムもっと静かで控えめな感じにしたものだったんだ。これが「ボサノバ」のリズムって感じになって、みんなに広まっていったの。

彼の演奏スタイルは「バチーダ」とか「スウィング」って呼ばれることもあって、ギターストロークリズムがすごく特徴的なんだよね。このスタイルが新鮮で、多くの若いミュージシャンたちに影響を与えたんだ。

それと、ジョアン・ジルベルトの歌い方もすごく重要だったの。彼の声は、サンバ伝統的なパワフルな歌い方とは違って、もっと柔らかくて控えめで、まるで囁いてるみたいだったんだ。このスタイルが「ボサノバ」の歌唱スタイルとして定着したんだよ。

からジョアン・ジルベルトは「ボサノバの父」って呼ばれていて、彼の演奏ボサノバの始まりとされているんだ。彼の影響でアントニオ・カルロス・ジョビンとか、ヴィニシウス・ヂ・モライスとか、他の才能あるミュージシャンたちがボサノバさらに発展させていったんだよ。

そういうわけで、リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽演奏したのは、ジョアン・ジルベルトなんだ。じゃ、今度こそビッグマック食べるね!

2024-06-01

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2406/01/news060_2.html

数年前に試作機が上がってきた時

ファームウェアの開発が遅れててWiFiをOFFにする機能がまだなくってさあ

技適通ってないかシールドしないと使えなくって

「撮れねーじゃん!」

ってなったのを思い出した

パナもきっかけはそんな感じのような気がするなあ

何年もやってた点は全く擁護できないけどね

文化資本格差というよりコミュニティ格差問題ではないか

都市田舎文化資本格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。

その点において、俺はやはり都市田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差しコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。



まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれ僻地農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業林業ぐらいしかない、田舎の中でもさら田舎の方だ。

なので俺が想定する田舎はそのレベルだと思ってほしい。

その俺が上京して15年経つが、田舎東京の違いは、何よりもコミュニティ多様性にあると思っている。



東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。

あらゆる社会階層の人が東京暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティ形成している。

学校職場一種コミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。

人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティ形成可能になる。



対して田舎は、コミュニティ多様性は小さい。

人口流入ほとんどないのでコミュニティメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。

地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。

大きな会社存在せず、大学存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。

大学進学でも目指すとなると、必然的田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。



一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。

「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティ所属しないのは不利だ。

受験勉強にしても、周囲の大人受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代受験生仲間が少ない、といった形で田舎受験生は不利を強いられる。

東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。



もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。

なので、田舎に生まれ子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。

田舎美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。



そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市田舎格差なのではないかと思う。

俺が想定したレベル田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。

それを文化資本と呼ぶのかは知らないが、多くの人が問題だと感じているのはそういうことじゃないのか?という気がする。

人生の全ての問題面白くない事であり、それもまた更に辿っていけばやる気がない点に問題がある。

面白くないからやる気が出ないし、何か面白いことを探したり実行しようにも、そのやる気がない。そして更に面白くなくなるという悪循環に陥ってる。

この結論はもう大分から出てるけど、メンクリ行ってもあんまりどうにもならんかった。

最近になって、取り敢えずジョギングでもしてみるかと思い立った。

といってもそれは事後的な意味付けで、シャワー気持ちよく浴びるために乾いてしまった汗を再度かくために走ったのがきっかけだった。意識的な行動よりも案外偶然の方が強いのかもしれない。

習慣化しつつあるけど、体力ややる気が向上しているのかは分からない。はっきりと分かる変化はただジョギングが習慣化した事と、常にほんのりと脚に痛みを抱えている事だけだ。

ただ映画を観る本数は若干増えた気もする。恒常的な上下範疇かもしれないけど。

精神の不健康運動不足による気の迷いだなんて言う人もいるけど、つまんねーなら死んだ方がマシじゃね?という思いが頭の中から消える気配は今のところない。

anond:20240601140948

これでモテる奴はきっかけがなかっただけで元々モテ要素はある

真性非モテがやると迷惑メンバーとしてキックされるだけ

anond:20240601013546

声優きっかけに彼女欲しいっていうのは難しいんじゃね

声優って、ファッションや態度が派手な、スクールカースト上位の女とは違う、ちょいダサかったり地味だったりして親しみやすさがある女子だと思うが、一般人においてもその層が一番チョロいと思われていてモテる

チョロいと思われて「俺でもイケる」とか断られなさそうと舐められてるので、告白されて断ろうものなら逆上するようなやつに狙われちゃったりして、男性嫌悪気味になっている女も多い

彼女が欲しいなら、まずアプリをまず使え(現実の女は恋人を求めてるかどうかすらわからんけどアプリの女は明確に恋人募集中だ)

その上でババアでもブスでもまずは対話をして女も色々いるって理解するところから始めたほうがいいと思う

anond:20240601075355

嘘だろうが真実だろうがそれをきっかけに議論が進むならそれでよかろう。何が不満なんだ?

2024-05-31

レペゼンからまるが抜けた。

レペゼンからまるが抜けた。

5人時代の動画を見ると切なくなる。別の道を歩み始めたということが切ない。

もう5人でわちゃわちゃしてる図を見ることは一生ないんだろうなと思うと、胸が苦しい。

過ぎ去った過去。もう思い出になってしまった。

まるが辞めた理由は「おんな」(ふぉい)と言っているけど、それだけではないだろう。

おんなはきっかけに過ぎない。

社長についていけなくなったんだと思う。

社長の目指している未来を一緒に目指せなくなった。

社長はどんどん前に進む。

言うことは突拍子もないし、普通人間はなかなかついていけない。

まるは東京でいろんな価値観に触れ、YouTubeなどお金を稼ぐ術も得た。

一緒に社長の夢を見ることができないなら、もうレペゼンにいる必要はない。そういうことなんだろうか。

ヒカル保険になると言っていた。

それを見ておもしろく思わないファンも多いだろう。

私もその一人である

何より早すぎる。

レペゼンファン的には、あれだけ炎上させてレペゼンを裏切ったも同然だから、そんなまるがすぐに幸せ状態になるのは見たくないんだと思う。

反省してほしいし、苦労してほしいと思ってしまうのは意地が悪いだろうか。

そう思ってしまってごめんなさい。

anond:20240531110922

徘徊を助ける方法自体はまぁそんなものだろうと思うが、

横断歩道を渡れないおばあちゃん

・寝間着に近い服で歩いてる徘徊おばあちゃん

は別おばあちゃんだとして、増田はこの2おばあちゃん以外にもちょこちょこいろんな人を気にかけて女性放置しており、蔑ろにされていると感じた女性徘徊おばあちゃんきっかけにもう無理となったと予想します。

化石のように眠った情報を求めて─バーチャルタレントアカデミー応援していたことへの意義とは─

バーチャルタレントアカデミーオタクって、なんなのだろうか。

私はかつてバーチャルタレントアカデミーオタクだった。

毎週30分の配信を見て、感想Twitterで呟いたり、FA投稿したりして、「VTAを応援」していた。

歌も禁止ゲーム原則禁止、毎週30分しか会えないか情報もあまりからない……そんな彼ら(※性別を問わない表現として彼らという代名詞使用する)のことを日々考えて生きていたし、その時は生き甲斐ひとつと断言できるほどだった。

私がVTAを見ていた時期、VTA界隈は大いに荒れていた。

サイレント退学が続き、いつまで待っても音沙汰がないために運営に問い合わせたりTwitterで訴えかける人が急に現れ始め、明確なソースがないのにも関わらずアカデミー生の名前ユーザー名になっているチャンネルTwitterアカウント一覧を流す人も現れ、アカデミー生とは名前の違うライバーデビューする度に誰々ではないかという憶測や誰々はまだなのかという声が広がった。

アカデミー生が養成機関所属人間にしては認知が広がりすぎたのは、VTA卒ライバーデビューだけによらないものだと感じている。荒れすぎたからか応援タグ消滅したしね。

このことが「化石のように眠った情報価値」を上げているんだろうなと思ったり思わなかったり。

化石のように眠った情報というのも、現在VTAのコンテンツは全て非公開となっている(オーディション活動はやたらと活発だが、アカデミーチャンネル活動をしていくのかもよくわからない状態である)。リアルタイムで見てきていなかった人たちが、今彼らの情報(本人が口にしたり発信しているもの)を得れるのは、ファン制作した切り抜き動画とVTA公式Twitterツイートのみである。その他の情報現在ソースがないため、間違っている可能性もあるものとして見るべきだと私は思っている。

アカデミー生がデビューした/していないに関わらずコンテンツ自体消滅した今、「VTAを見ていたオタク」というのは、確実な証拠(当時のツイート等)がない限り実証できない。

「VTAを応援」していた中にはもちろんROM専と呼ばれる人もいるだろうし、アカデミー生みんなが利用していたGoogleフォームにお便りを送ったことのない人もいるだろう。逆に配信コメントだけをしてTwitterでの発信はしていない人もいるだろう。

しかし、前述の通り切り抜きで情報を得れるし、「VTAから見ていたファン」による「VTA時代の彼ら」に関するツイートも多く出回っているため、今や誰もが「VTA時代の彼らを知っている」と言える状況になってしまっている気がする。まあよくバズってますよねそういうの。情報いか価値があるかの証拠すぎる。

個人的にはソースもないものが出回ってるの怖すぎるけど、インターネットリテラシーの違いかな?とか言うと角立ちますよね、すみません

バーチャルタレントアカデミーオタクって、なんなのだろうか。

VTA自体の、システム形態含めて概念から好きなオタクなのだろうか。デビューしたライバー現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。他所活動している人たちの現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。今どこで何をしているのかもわからない人たちの過去を懐古するオタクなのだろうか。

先日、現在活動名がアカデミー時代の名義と同じ(それがVTAの権利的にOKなのかはわからないが商標登録はされてないのでセーフなのかもしれない)人物がVTAにいたことを断言し、今と過去比較し今の状況に喜ぶ文面を見た。

個人的結構応援していた人物であったこともあり、VTAで得たある程度の知名度を利用しているようにしか思えず今のその人を応援する気は湧かなくなったし、応援していた過去を遠回しに否定された感覚にもなったが、まあ色々大変だったっぽいことも書いていたので、仕方ないのかもな……という考えに落ち着いた。

元々証拠のない限り実証するのも難しいような「過去応援」だ。その人に関しては、活動形式的別に過去発言や本人の趣向等を知っているからといって何にもならないと思ったのだが、デビューしたライバーアカデミー生としての過去がこんなにも重宝されているのは単にファンの母数の違いだけではないだろう。

当時を知らない人からすれば、「誰かが自分の知らないその人の過去を知っていること」はスタートダッシュに乗り遅れた感覚なのかもしれない。

あくまで私個人の考えだが、アカデミー時代公表した情報が「今も公表してもいいこと」なら、本人は既に公表しているだろうし、「公表していないこと」なら本人が今言う必要がない、あるいは言いたくない情報だと思っているため、わざわざ掘り起こすことか?と思っている。またメンバーシップにてアカデミー時代配信を公開しているライバーもいるし、公開していないライバーは何かしら理由があるのだろう。

これは「知っている側」「リアルタイムで見ていた側」だから言えることなのだろうか。

今を楽しむだけでは駄目なのだろうか。

一部のライバーに関しては頻繁にアカデミー時代の見た目の二次創作を見かけるが、過去と絡ませることで美味い消費をしてるんだろうなと思ってしまう。まあ二次創作って捏造であればあるほど美味いよね。さすがに冗談ですけど。

あと関係性くらい人間付き合い長ければ多少は変化あるし、本人たちの関係性って一部しか見えてないから、過去もクソもないと私は思います

VTAのオタクをしていると、「知っていること」に価値があると思われてしまいがちだが、別に知っていることに価値があるわけではなくて、「不安定で発展途上なコンテンツ応援し見守っていた事実経験」に価値があると思っている。

実際私がVTuberFAを描くようになったきっかけもVTAで、FAを描く敷居の低さを感じたかである

前途多難な時期を生き抜いたオタク情報を知っていること以外の強さがあると私は信じている。

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