はてなキーワード: 言辞とは
古のコピペにもあるように権利ばかり主張するフェミニストばかりではフェミニズムが普及するはずがない
なぜ日本にはレディファーストが根付かないかについてゼミで討論した事がある。
例によって女子学生たちは日本男性批判と想像上の外国人紳士崇拝の言辞を並べていたが、
30分ほどで教授(女性)が静かに、だが力強い声で言い放った。
「レディーが絶滅しつつある日本ではレディーファーストを普及させようがありません」
教授は海外で教鞭を執っていた時期が長いが、茶道華道ともに師範の免許を持つ人。
その教授曰く「与えられる平等や優遇をあさましく求めるのは日本女性特有の醜態」
自らレディとならずして、レディ扱いを求めるのは常軌を逸していますと。
女子学生達はその後、ひとことも喋りませんでした。
一般社団法人『Spring』が東京弁護士会から人権賞を受賞した。だが、冤罪事件であることがほぼ明らかとなった草津町の事案において共産党や社民党などとともに地元草津町を批判し、草津町を「レイプの町」、「セカンドレイプの町」などと評したことは人権意識に悖るものではないかと疑義が呈されている(詳細は https://togetter.com/li/2267612 など)。
こういった批判のせいか、2023年12月5日になってようやく、『Spring』がwebサイト上に「草津町フラワーデモに関する当団体の見解について」という謝罪文(本文中に「お詫び申し上げます」とあるので謝罪文のつもりなんだろう、たぶん。)を公表した。
ここでは、『Spring』がいったい何に謝罪したのか見ていきたい。
2020年12月当時、当団体の初代代表理事が「レイプの町草津」と表現しましたが、これについ ては初代代表理事自身が表現が行き過ぎていたとしてお詫びするとともに「セカンドレイプの町草津」と訂正しました。
当時の話とは言え、「レイプの町」はアウトで「セカンドレイプの町」は正しいとした人権感覚については一切謝罪していない。
本人が否定している段階で一方的に、その町全体にまで「セカンドレイプ」と断ずる言辞は、『Spring』としては問題なかったということだろうか。。
元町議の女性がレイプ被害は虚偽申告であったことを表明するに至った現在では、「セカンドレイプの町草津」との表現についても行き過ぎた表現であり、草津町に住まわれる方だけ でなく関係する多くの方を傷つける表現であったことを、当団体として率直に認め、これについて 連帯の意思を表明したことについて撤回し、草津町町長黒岩信忠様及び草津町並びに関係者の皆様に対し、重ねてお詫び申し上げます。
やはり、現在では行き過ぎた表現としているので、当時としては問題なかったという認識で間違いなさそうだ。つまり、『Spring』としては、何ら証拠の無い段階で、否定している片方を犯人と決めつけて何ら問題はないという人権感覚を持っているということになる。
さらに、「セカンドレイプ」という表現は現在では行き過ぎていただけだそうだ。つまり、行き過ぎてない表現であれば、現在でもその批判は妥当なものだったと言うことだろう。では、どういった表現であれば妥当なのか、是非教えてもらいたいものだ。
『Spring』は、当時の段階で「セカンドレイプの町草津」と表現したことについては一切謝罪していない。
加えて、『Spring』は、現時点で、「セカンドレイプの町草津」というのは表現が行き過ぎていただけ(つまり、現段階においても別の表現であれば元町議の発言に基づいて草津町を批判できる)であるという認識のようだ。
いずれにしても核心部分には触れずに謝罪した体裁を取った、と評価できるだろう。
東京弁護士会の人権賞は「基本的人権の侵害に対する救済活動-例えば、再審、冤罪事件の弁護活動等-」に授与されるそうだ(東京弁護士会Webより)。東京弁護士会としては『Spring』による冤罪事件を生み出しかねない行為は、冤罪事件そのものではないからセーフということだろうか。
東京弁護士会の人権賞は「会外委員が多数となる選考委員会の選考結果」に従って決定されているそうだ(東京弁護士会Webより)。確かに嘘はついていないだろう。
この文章をあえて掲載している趣旨は、この選考が公平公正であることをアピールしたいのだと思うが、そうであるならば前東京弁護士会副会長が『Spring』理事であることは、疑念を持たれないためにも、言及の必要があったのではないだろうか。
今般の人権賞受賞を批判すべく、Change.orgで署名活動をしたところ、運営により公開停止となってしまったようだ。(https://twitter.com/kyoshimine/status/1730740693688283350)
賛否はあれ、少なくとも過激な、あるいは差別的な署名活動ではなかったように思うがなぜだろうか。
ちなみにChange.orgでは「町長の圧力による女性議員の排除(リコール)を防ぎ、日本の湯・草津町に本当の民主主義を!!」とする署名活動が行われ、それは現在でも公表されている。
疑問:
1.「八つ当たり欲を捨ててほしい」の節で、元記事の表現は八つ当たり欲に基づくものだと主張しているが、その根拠が示されていない。
2.「差別的言辞の発し手について」の節で「言ってるのが男性だった場合八つ当たり以上に気持ち悪い動機が潜んでいると思いませんか?」と主張しているが、その根拠が示されていない。
3.「差別から距離を取った方がいい理由」の節では、元記事全体の目的が前節を根拠にアピールのためだと主張しているが、前節の根拠が示されていないために、この節の根拠も不足している。
こうした、無根拠に主張の根拠を悪意を持って推察する行為は「邪推」である。邪推を元にした主張に正当性はない。例えば、私はあなたの主張をいくらでも邪推することができ、結果として「あなたの本当の主張」をいくらでも考えることができるが、そんなことをお互いに繰り返してもまともな議論にはならない。
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私は今回の元記事について、このような表現を使ったことは良いことではないと考えたが、次の理由により一定の正当性があると判断した。
1.元記事が指摘する問題によって、現時点でソロでキャンプができない女性が存在することが十分考えられる。
2.上記の問題は時間的制約を持つ問題である(今日始めてキャンプをしようとした女性が、危険性を元に諦めるといったことは毎日発生しうる)
3.上記の問題は侮蔑的表現よりももっと具体的な性差別的問題であり、優先度の高い問題でもある。
4.侮蔑的表現を使うことで、道徳的には間違っているにせよ短期的には効果を発することが期待できる。
5.元記事のような表現は明らかに使う必要がない、という客観的な根拠が考えられない。十分に機能を代替する、侮蔑的でない表現が私には思いつかず、また誰もその表現を提案していないことから、そのような表現は誰にでも思いつくものではないことが明らかである。
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各論として「侮蔑的表現は避けよ」という主張は同意するが、それに例外はない、ということはありえない。特に時間的制約がある条件ならばなおさらである。この場合、元記事の表現を根拠に主張そのものを止めろ、というような主張については、それは論点のすり替えであると考える。
女性ソロキャンパーへ話しかけに行く男性について日本単独野営協会が思うこと – ソロキャンプ ー日本単独野営協会 公式サイト ー
もういい加減やめましょうこういうの。
いわゆる迷惑おじさん問題。キモい。ウザい。きっと発達障害。女性ソロキャンパーが何故そんな奴に脅かされなきゃならんのか。
まーそうっすね。異論ないです。
登山しないけど、変な奴に寄ってこられる女性の被る迷惑や恐怖は大変なものだろうということはわかります。
でもね。
男性は女性にとって、ゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。
これはいかんでしょ。
明らかに男性全体への差別的な視線の肯定であり、差別を容認・助長する表現です。
従来こういうのが男性側の"度量"によって許されてたのは知ってます。
でももうやめましょう。
人気上位に非難のコメントが一つも見当たらないというのは驚くばかりです。
ここで言うべきは・言っていいのは
でしょう?
なにしれっと男性全体を巻き込んでるんですか?
なんで巻き込んだんですか?
いずれも男性全体の中で1%にも満たないでしょ。
なぜ一部の異常者・ビョーニン・ショーガイシャの行状を根拠に男性全体を殴ってよいと思うんですか?
毎度毎度じゃないですか。いい加減にしてくださいよ。
そういうことをしていない男性を巻き込んで殴る権利なんか誰にもない。
つまり男性全体へ加害する巻き込み運転をしたがる人とそういう運転を支持する人、
なんでそういうことするんですか?
ただ運転が下手なだけなんでしょうか?
なんか違うっぽいんですよね。
ここで再度はっきりさせておくと、
男性の一部の異常者のやることについて
要は八つ当たり欲でしょ?そんな欲望を甘やかさないでください。
同じ男性と言うだけで異常者をどうにかする管理責任なんか男性一般にはないし、
またどうかしようにもどうもできないことです。
だから女の迷惑サインに気付かず付きまとっちゃうしはっきり拒絶されたら逆上しちゃう。
(医学的社会政策的な解決を示唆してるならせめてはっきりそうサジェスチョンしてほしいっすわ。)
そこで男全体を巻き込んで殴ることには何の合理性も正当化の余地もありません。
そんな巻き込み運転する人間の人格がおかしいというだけの話です。
まあ差別発言する奴の人格がおかしいなんて当たり前の話ですが。
そういう八つ当たり欲を抑えられない女も、
そういうダメな女に迎合していってそれが男の度量のように振る舞う男も、
もうウンザリなんですよ。
言ってるのが女性ならだらしないし「八つ当たりも大概にしろ」ですが
言ってるのが男性だった場合八つ当たり以上に気持ち悪い動機が潜んでいると思いませんか?
「嫌な思いをして八つ当たりしたくなってしまったヒステリー発作」ですらなく
「男の身で男全体を貶めてみせ、女の八つ当たりも積極的に受け入れられる”俺”の度量のアピール」になってるわけです。
それを言ってる男の「俺って凄い男でしょ」アピールやないか?ということです。
個別事例についてどういう人がどういう動機で巻き込み差別表現したのかなんてことは当てられません。
でも世の中に蔓延するこういうの、
はてなもちゃんとそういうのを非難出来るコメントが上位にあって欲しい。
痴漢もつきまといもしてない男に連座で責任取らせたくなる女は自分の人格を治してほしいし、
勝手に男を代表して男を貶める「俺は度量がすごいんだぜわかってるんだぜ」アピールする騎士おじさんは勃起したモノをしまってほしい。
ていうか男の度量アピール系騎士おじって絶対山道つきまといおじやギャラストおじと同種の異常者じゃないっすか。
なんもしてない男全体をゴキブリとかハエとか表現しつつチラチラあなたの顔をうかがってくる歓心買いおじさんというのは
キャンプ場で教え魔やつきまといをしてくるキショおじさんがちょっと小知恵を付けただけの存在です。
そういう言動してる時点でこいつヤベーなって心理的距離を置ければ防げるし、
逆に差別や八つ当たりに対するまともな忌避感がないとそういうおじさん如きにからめとられてしまうから、
そういう意味でも差別や八つ当たりなんて許さない方がいいのです。
差別対象が男であっても。
改めて読んでも、なんだよこれ。
黒人奴隷でもこんなこと言われねえぞ。
誰だこれ書いた奴。
調子に乗ってんじゃねーぞ。
いっつも差別とか表現の自由とかを話題にしてるからてっきり知ってるものかと思ってたんだけど、以下のはてブでびっくりした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2063927
え??? みんな海外では普通に憎悪扇動罪が立法されてるって知らんの??? 知らんで差別とかヘイトスピーチとか歴史修正主義とかの話してたの???
脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的な言葉若しくは行為を用い、又は脅迫的な、口汚い若しくは侮辱的な文書を掲示した者は、
(a) それによって人種的憎悪を扇動することを意図し、又は、
1 国籍、人種、宗教若しくはその民族的出自によって特定される集団に対して、住民の一部に対して、若しくは上に掲げる集団若しくは住民の一部に属することを理由に個人に対して憎悪をかきたて若しくはこれに対する暴力的若しくは恣意的な措置を誘発する者、又は
2 上に掲げる集団、住民の一部若しくは上に掲げる集団若しくは住民の一部に属することを理由に個人を罵倒し、悪意で軽蔑し若しくは中傷することにより、他人の人間の尊厳を攻撃した者
は、3 月以上 5 年以下の自由刑に処される。
第 23 条に規定される手段の1つによって、出生又は特定の民族、国民、人種若しくは宗教への帰属の有無を理由とする個人又は集団に対する差別、憎悪又は暴力を教唆する者は、1 年の拘禁及び 4 万 5000 ユーロの罰金、又はそのいずれか一方のみの刑に処せられる。
見ればわかるけど、全部ヘイトスピーチを犯罪化するための立法ですわ。「憎悪扇動罪」って言われたら、差別とか表現の自由とかに関心のある人は「あ、ヘイトスピーチの法規制のことか」と気づかないといけない。
「ディストピアものでこの単語出てきたら絶対笑って拍手するわ」ってコメントしてる人もいるけど、ヘイトスピーチとか表現の自由とか歴史修正主義とかについての論文読んだら大爆笑できるんじゃないかな。海外の憎悪扇動罪の事例がいっぱい出てくるから。
ワイは表現の自由戦士だからヘイトスピーチ規制にも反対するけど、憎悪扇動罪への反対=ヘイトスピーチ規制への反対ということなので、はてブで憎悪扇動罪の創設に猛反発したりドン引きしたりしてる人たちはヘイトスピーチも表現の自由って主張する表現の自由戦士ってことでいい? わーい、仲間がいっぱいだ! 嬉しいなあ! 一緒にヘイトスピーチも表現の自由に含まれると叫ぼう!
まさかはてなブックマークにいらっしゃる学識あふれる方々の中には、ヘイトスピーチは表現の自由に含まれないと考えているのに「憎悪扇動罪」には反発する、なんて🐴🦌はいないよね!
アカデミー賞でウィル・スミスが妻(ジェイダ・ピンケット)の病気の件を馬鹿にされ、プレゼンターのクリス・ロックをビンタした件。
暴力が駄目なのは解る。暴力でやり返さなかったクリスが立派なのもわかる。
でも結果ウィルが処分を受け、クリスがお咎めなしで終わったの納得いかない。
ウィル・スミスがビンタした件、日米で温度差があるのは何故なのか? アメリカ人記者に聞いてみた | ロケットニュース24
rocketnews24.com/2022/03/30/1616848/
日本に伝わりづらい「ウィル・スミスがビンタした件」について / アメリカ在住日本人の話が目からウロコだった | ロケットニュース24
rocketnews24.com/2022/03/31/1617141/
でも、過去には世界的な晴れ舞台、グラミー賞の授賞式でスティービー・ワンダーの身体の件を馬鹿にしたアンディ・ウィリアムス、数年に亘って司会を務めてきたが次の年に降ろされた。
グラミー賞秘話~こんなことあったの知ってます? | 侍ヤンキースのブログ
ameblo.jp/samurai-yankees/entry-10205069373.html
1977年の第19回のグラミー賞のホスト~アンディ・ウィリアムス
その年のグラミー賞の目玉の一つは受賞式の当日、ナイジェリアにいて当時としては珍しい衛星中継で演奏を披露する予定のスティービー・ワンダー
しかし、本番中にアクシデントが起った。当時の衛星中継の技術がイマイチだったので「Sir Duke(愛するデューク)」を歌い始めたスティービーの映像や音声が乱れ、途切れ途切れに
で、その時、司会をしていたアンディ・ウィリアムス。~彼がふざけた感じでこんなことを言ってしまったのだ。盲目のスティービーに対し
「Stevie, can you see us now?(スティービー。今、僕らが見えるかい?)」
勿論、その言葉は顰蹙を買い、翌年からグラミー賞のホストはジョン・デンバーに代わった。アンディ・ウィリアムスはその後、謝罪のコメントを発表している。
Grammy TV Show Is Smooth but a Bit Silly - The New York Times
www.nytimes.com/1977/02/21/archives/grammy-tv-show-is-smooth-but-a-bit-silly.html
“The 19th Annual Grammy Awards” have been concocted for the recording industry. The production was flawed with technical difficulties, most notably in an elaborate and expensive live‐via‐satellite transmission of Stevie Wonder from Nigeria.
The picture came through well enough, but the sound was thoroughly garbled. Instead of quickly abandoning the project, the producers kept going back to Mr. Wonder in an apparent bid to recoup part of their satellite investment. A flustered Andy,,Williams. the slick host for the affair, found himself asking the blind singercomposer, “If you can't hear me can you see me?” Mr. Williams recovered with a rapid apology.
note.com/nipponcontext/n/nda946921b305
スタンドアップコメディアンは、アメリカ社会唯一の例外として「何を言ってもいい」という特権が認められている。たとえそれが差別的な言辞であっても
コメディアンならTPO問わずどんな場面でも他人の身体を馬鹿にしてOKなの?
コメディアン自身の舞台でなら許される、ってならまだまあ理解できなくもないが。
世界的にも注目される晴れ舞台、米国スーパーボウルのハーフタイムショーに於いて出演するラッパーはダーティな言葉を差し替えてる、TPOを考慮して。
Dr. Dre, Snoop Dogg, Eminem, Mary J. Blige, Kendrick Lamar & 50 Cent FULL Pepsi SB LVI Halftime Show
youtu.be/gdsUKphmB3Y?t=424
https://twitter.com/since1624/status/1608355325324980225
若年被害女性等支援事業に関する東京都に対する住民監査請求結果について、断片的な情
報が出回っております。
修正前:
若年被害女性等支援事業に関する東京都に対する住民監査請求結果について、監査結果の一部を公表するなどした断片的な情
報が出回っております。
微修正。
現時点においてはまだ東京都から結果の全文が正式に公表されておらず、またColaboに結果
が通知されるわけでもないため詳細不明ですが、これまでColaboとしては、あくまでも東京都の制
度と運用の枠組を前提に、その指導に従って当該事業を行ってきたものであり、この点は今後も
変わりありません。
修正前:
現時点においてはまだ東京都から結果の全文が正式に公表されておらず、またColaboに結果
が通知されるわけでもないため詳細不明ですが、Colaboとしては、これまで、あくまでも東京都の制
度と運用の枠組を前提に、東京都の指導に従って当該事業を行ってきたものであり、この点は今後も
変わりありません。
ここも微修正
東京都が今後、監査結果を踏まえて事業者に求める報告方法を変更するなど、制度や運用に
ついて変更を行う可能性もありますが、もちろんColaboとしては、これまでどおり東京都の指導に
従いそれに合わせた適切な対応を行っていきます。また東京都による必要な調査が新たに行わ
れるのであれば、Colaboとしてそれに応じるのも当然のことです。
修正前:
もし今後、東京都として制度や運用を変更する場合には、もちろんColaboとしても、これまでどおり東京都の指導に
従い、それに合わせた適切な対応を行っていきます。また東京都による必要な調査が新たに行わ
れるのであれば、Colaboとしてそれに応じるのも当然のことです。
ここも微修正
なお従来から申し上げているとおり、Colaboは不正な公金利用(当該事業と無関係な目的への
修正前:
なお、Colaboは、本件事業が補助事業でなく委託事業であること、また、本事業が公金を使用
する事業であることは理解している所存でございますが、この点についてももちろん東京都の指導に従います。
他方、従前から申し上げているとおり、Colaboは不正な公金使用(当該事業と無関
ここが大きく変わったね。
ケース1はもちろん、2~4についても誹謗中傷と認められない可能性が大いにある。
橋下元大阪市長が誹謗中傷を受けたとする裁判で、橋下氏が地裁で敗訴している(高裁以降は知らない)。
インターネット上やテレビ番組等不特定多数の者が見聞することが可能な環境において、自分と政治的意見や信条を異にする相手方を非難するに当たり、ときに相手を蔑み、感情的又は挑発的な言辞を用いる表現手法は、これに接する不特定多数の者に対して、自己の意見等の正当性を強く印象付ける一定の効果が得られることは否定できない。
しかし、反面、非難された相手方をして意見や論評の枠を超えた悪感情を抱かせるおそれがあることもまた見やすい道理である。そうであれば、表現者が上記の表現手法をもって相手方を非難する場合には、一定の程度で、相手方から逆に名誉棄損や侮辱に当たるような表現による反論を被る危険性を自ら引き受けているというべきである
つまり、インターネット上で不特定多数に暴言吐いている場合、相応のことを言われても甘受しなければならない(危険の引き受けの法理)。
今話題になっている人はそういう意味でモデルケースになるかもしれない。
ちなみにこの裁判の時の相手側の弁護士が神原元さんで、この危険引き受けの法理で勝訴している。
今度は相手側がその主張をしそうだけどどう争うか注目。
“虚无料”造“战争恐慌”谣 祸水东引
“假救援”遭“强势痛击”伤 龟颜扫地
凡铜不可照,小人多是非。喜国大总统郭文贵自被美国法庭判定其藐视法庭罪以来,持续通过各种巧言诡骗来企图蒙骗法庭予以逃避巨额罚款追缴,狡诈嘴脸让人闻之作呕。然不论郭教主如何作奸犯科、扭曲事实,都无法避免被司法部门和各路砸锅人士穷追猛打,让本就孤注一掷的世纪巨骗心灰意冷。但“龟壳颇硬”的瘟龟定然不会束手就擒,在垂死之际一边大张旗鼓的吹嘘着自己那早已被权威网站揭批证实为骗局的“空气币”,一边又故技重施拿出那破败不堪的“爆尿革命”妄想绝地求生。只能说是待诛之龟——作死“施计”,行徒劳无功之途罢了。
谎言栩栩恰如诡,沸沸扬扬喧龟嘴。装腔作势的郭文贵深知自己牢狱当头,且体无完肤的“鸡系列”鲜有人信,为了自己能够尽快圈财保命,吹嘘成瘾的郭巨骗又重拾自己的“爆尿革命”,肆意编造虚无谎言招摇撞骗,为自己造势。恰逢中美关系恶化、台海局势紧张之时,诡计多端的瘟龟又蹭起了局势热度。在近日瘟龟大直播中,郭文贵义正言辞的称台湾即将变天,美国众议院议长佩洛西4月26日就要访问台湾,且信誓旦旦的表示此决定是刚刚确定,而且绝无变故。故作镇定称如若届时没去,那么自己就是犯法。然时过不久,郭巨骗又在直播中肆意制造战争恐慌称,中共在4月26日要攻打台湾,并在美国安排代言人进行游说劝阻佩洛西延迟至七八月份访台。垂死的瘟龟口出狂言就是为了祸水东引,捏造虚假信息将自己的罪行暂且盖过,从而得到喘息之机。此等声东击西之计尽显万恶骗王阴险毒辣之嘴脸。
穷阴绝漠易悲辛,落日衰笳处处闻。早在之前,龟面兽心的郭教主为了扩大自己的“诈骗”领域,打着“人道主义救援”的旗号在乌克兰灾区施行“救援”,实则让自己的蚁工在灾区宣传自己那不堪入目的“鸡系”,并鼓吹自己的新中国联邦“云建国”。本料想自己蹭战争热度为自己“龟名灌誉”而洋洋得意,哪知近日自己的假救援伎俩却引起别国志愿者强烈不满,发生了冲突。近日郭教主在与为自己在乌克兰灾区“卖命”蚁工直播连线时,蚁工泪雨婆娑的向自己的主子“诉苦”称惨遭别国志愿者“施暴”,并被出言谩骂她们是支持川普和班农的“右翼”分子。龟总统听闻后“龟颜大怒”,气势汹汹的表示自己出资状告闹事者,还财大气粗的炫耀自己家财万贯,怎会出不起官司费用,更自欺欺人的“安慰”蚁工闹事者是因为羡慕嫉妒才对他们进行人身攻击。瘟龟此言真是可笑至极,自己向美国提交破产申请,却在蚁工面前炫金耀银。那郭文贵的破产申请无疑是在向法庭挑衅,就是实为“诈破产”,逃避罚款缴纳,真是自寻死路。而郭骗的假救援,真骗财的无耻行为也引起众怒,被猛烈攻击也是意料之中。
五通老便成精,龟毛何必三尺。除了装腔作势造谣之外,巧舌如簧的瘟龟一边变换戏法哄骗蚂蚁持续向自己的烂尾“鸡系”投资,诱骗即将拿到SEC退款的蚂蚁们掉入骗局,将血汗财交于自己囊中。另一边极力吹嘘喜币在世界多国可以进行贷款,蛊惑蚂蚁们继续买币。狡诈的瘟龟在盖特直播中称,通过新平台委员会作出决定,把投资项目延期至年底,直到所有战友把老椅子的退款全部退完为止,郭巨骗此言就是想让蚂蚁们将自己的血汗财全部收入囊中,实施二次割财骗局。而后龟计多端的瘟龟又故弄玄虚的称世界经济必然会崩塌,无人幸免。但是已经拥有喜币的战友可以幸免于难、高枕无忧。郭文贵满口龟腹谎言的向蚂蚁许诺一本万利的高额回报,目的就是诱导蚂蚁向“鸡系”投资,持续敛财。郭巨骗如此饥不择食的疯狂圈财,是因为4月27日破产法庭听证会开庭在即,随时会锒铛入狱。在入狱之前狠割蚂蚁一笔,用于缴纳巨额罚款,免受牢狱之苦。望蚂蚁们提高警惕,切勿再向瘟龟汇款,否则悔之晚矣。
时于蚯蚓窍,微作苍蝇鸣。无论已是垂没之态的瘟龟如何胡编乱造,都摆脱不了法律的严厉制裁。现如今,破产听证会在即,心急如焚的郭骗断然拿不出3700万游艇返回保证金,妄想通过招摇造势来诱导蚂蚁向自己投“龟粮”,显然是在做困兽之斗。望已经被骗的蚂蚁们拿出有力证据,及时向司法部门举报,早日加入到砸锅队伍中,趁势伐龟。让慌不择路的龟总统在牢狱中“割”了自己的龟命。
生活インフラに関わるサービスなので今まで明記されてなかったわけだけど
2022年10月5日(水)にWAON利用約款、Appleデバイス版WAON利用約款、モバイルWAON利用約款および、モバイルWAON利用約款(モバイルJMB WAON版)を改定いたします。
改定の内容
WAON利用約款
なぜAVにまつわる人権侵害の話には「自由意志でやってる尊い職業!」が湧くんだよ。
まず「AV堕ち」って言ってる人に「AV女優は全て自由意志に基づいて行われる職業なので
その言い方はやめろ」と言って来てくれ。本当にそう思うのならな。"
https://twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489?t=2ExTl5ChqOcQ7d0oASfVeg
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Hachikobi/status/1524572683655999489
「インチキに気付いていながらとぼけて賛同」ですらなくなってる。
まずさあ
他と変わらない仕事じゃん?
この人がなんでこっそり「尊い」を付け足したかったのかというと
「AVは自由意思でやってる職業」と「AV堕ち呼ばわり」は別に衝突しないからなんだよねw
「その仕事を自分で選んでる」ことと「その仕事を見下した言い方する人間がいる」ことは全然矛盾しない。
ドカタを見下す人間がいると、ドカタのお兄さんは自由意思で働いてないことになるわけ?
相手の主張に無理矢理「尊い」を付け足したうえで「AV堕ち」と衝突させてるの。
藁人形論法ってやってるの気付かれると信頼ガタ落ちするうえに
自説のどこが厳しいと思ってるかまでバレちゃうんだよね。
次に、
AVに対して「堕ち」とか言ってる連中は確かに失礼で職業差別的だと思うけどー、
なんでその差別言説を取り締まる義務が一部の人にだけ発生するの?
特定の職業への差別言辞なんて我々みんなで非難して取り締まるべきことじゃなーい?
「AVを自由意思で選ぶ職業とか言ってる奴等(お前等)が抗議しろ」
「本当にそう思うならな」
ってどゆこと?
「だからそのようなことを大声で言う人を取り締まる気が私にはありません」
そうとしか取りようがないよね。
お前等が抗議しろ、「本当にそう思うのならな。」っていうのは
AVが賤業ではないと本当に思ってるならな
って意味だよね?
すごいね!言い逃れ出来ないほど明確に差別意識を自白しまくってるね!!!
人の仕事に「堕ち」とかほざく職業差別は厳しく非難していきたいかなー。
でもそこすら共有できなくて「お前等がやれ」「本当にそう思うならな(ニヤニヤ)」なんだー。
本当にすごい!
こんな差別人間のtweetにまたはてなの自称リベラルさん達が賛同ブコメしてるけど
じゃあここらで毎度お馴染みはてなリベラルのパップップーのブコメを引用するね。
sand_land そう。カジュアルに蔑む呼び方をしておきながら、
「キモい」が差別なら他者の「自由選択の結果」の職業を蔑む呼び方もまた差別になり得る。
2022/05/15
tweet主が慎重に踏みとどまった箇所に気付かず踏み越えちゃってるの。
tweet主は「AV堕ちと言ってる奴等に抗議してこい」って言ってるんだよね。
なんで命令口調?とかなんでお前は抗議しないの?とかはあるんだけどさ、踏みとどまってる部分がある。
「AV堕ち」って言ってる奴等と「AVは自由意思で選ぶ仕事」って言ってる奴等、重なってる保証がどこにもないんだよね
だからそこ突っ込まれないように「言って来てくれ」って言い方をしてるの。
論理ガバガバで詭弁含みの難癖なりに、最低限の神経使ってるわけ。
なのにこのはてリベのsand_landっていう人が文章読むときの注意力が微塵もない感じの知的能力の方であったため
という風にその二つを同じ奴が言ってないと成り立たない論陣を張っちゃった。
これだと「じゃあそれを同じ人間が言ってるって証明してくださーい」って言われて終わり。
「折角そこに神経使った言い方してるのに何で台無しにしたうえ
って話。無能な味方。
よりによって☆を集めて押し上げるブコメがこれなの、
いつもながらはてなリベラルって本当に知能がウーンて感じだよね。
知能が低いリベラルって存在価値ないと思うんだけどなんで息してるんだろう。
当該tweetみたいな論理のおかしい低レベルな詭弁があったら
こうやって腑分けして「こことこことここがおかしいですね」「大衆の皆さんこんなのに騙されないでね」「レベルの高い議論をしましょう詭弁は許しません」ってやるのが役割なのよ。
でも昨今はてなやtwitterに跋扈する自分ではリベラルと自称しがちな低スペック脳みそさんたちはその正反対で、自分の素朴なお気持ちを押し通したいだけ、何の思索も論理もない。気に入らん奴らに対する対抗論陣すら立てられない。
それで自分の気持ちにかなえばこんな支離滅裂な詭弁tweetに結集しちゃう。
更にはtweet主が神経使ってつけておいた詭弁用の安全弁も勝手に壊す。
おめーらが見下して(バレバレだからな?)余計なおせっかいで撲滅抹殺してあげようとしてるAV女優さん達はー、きちんと需要のある仕事をして人と社会の役に立ってるわけじゃん。
リベラルぶろうとしてるけど頭悪いために意味のある議論も出来ない・社会を一切善導しないリベラルもどきはー、誰の役にも立ってないじゃん。
人間に貴賤があるとしたら明らかにAV女優が貴でおめーらが賤なんだけどそれは理解してんの?
どうしてもなにか撲滅したいんなら低知能リベラルの方がAV女優さんよりはるかに社会に不要で撲滅されても惜しくない存在だぞ☆
って教えてあげる人間が周りにいないのかな?
wwww
本当にこういう人達、リベラルやる知能がないのにリベラルごっこするのやめなって。
おめーらみてーなモノ考えるのが苦手な人間ってのは
アカウントに日の丸付けてプロフィールに「普通の日本人」て書いて
「日本古来のソボクな一般常識としてAVみたいなフシダラな仕事は撲滅されるべき!」って言ってりゃいいんだよ。
あんたたちは自意識でどうなってんのか知らないけど実態として知性も人格も一般大衆以下なんだからさ。
ハッとする霊感で社会にもの申そうとか、愚民を啓蒙教導しようとか、そういう邪心は捨てた方がよくね?
AVについてもあんたらはAV女優よりはるかに劣る見識しかない上に調べる意思も考える能力もない。発言の責任すらとらずに逃げる。ならもう黙ってろよ。
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PNVWC8S
まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
一、尽量用物质来引诱和败坏他们的青年,鼓励他们藐视、鄙视、进一步公开反对他们原来怕受的思想教育,特别是共产主义教条。替他们制造对色情奔放的兴趣和机会,进而鼓励他们进行性滥交,让他们不以肤浅、虚荣为羞耻。一定要毁掉他们强调过的刻苦耐劳精神。
二、一定要尽可能,做好传播工作,包括电影、书籍、电视、无线电波······和新式的宗教传播。只要他们向往我们的衣、食、住、行、娱乐和教育方式,就是成功的一半。
三、一定要把他们青年的注意力,从以政府为中心的传统引开来。让他们头脑集中于:体育表演、色情书籍、享乐、游戏、性犯罪的电影,以有宗教迷信。
四、时常制造一些无事之事,让他们的人们公开讨论。这样就在他们的潜意识中种下了分裂的种子。特别要在他们的少数民族里找好机会,分裂他们的地区,分裂他们的民族,分裂他们的感情,在他们中间只在新仇旧恨,这时完全不能忽略的策略。
五、要不断制造消息,丑化他们的领导。我们的记者应该找机会采访他们,然后组织他们自己的言辞来攻击他们自己。
六、在任何情况下都要宣扬民主,一有机会,不管是大型小型,有形无形,都要抓紧发动民主运动。无论在什么场合,什么情况,我们都要对他们(政府)要求民主和人权。只要我们每一个人都不断的手同样的话,他们的人民就一定会相信我们说的是真理。我们抓住一个人是一个人,我们占住一个地盘是一个地盘。
七、要尽量鼓励他们(政府)花费,鼓励他们想我们借贷。这样我们就有十足的把握来摧毁他们的信用,使他们的货币贬值,通货膨胀。只要他们对物价失去了控制,他们在人们的心目中就会完全垮台。
八、要以我们的经济技术优势,有形无形地打击他们的工业。只要他们的工业。在不知不觉中瘫痪下去,我们就可以鼓励社会动乱。不过我们表明上非常慈爱地区帮助和援助他们,只要他们(政府)就显得疲软,一个疲软的政府,就会带来更大的动乱。
九、要利用所有的资源,甚至举手投足,一言一笑,都足以破坏他们的传统价值。我们要利用一切来毁灭他们的道德人心。摧毁他们的自尊自信的钥匙,就是尽量打击他们刻苦耐劳的精神。
十、暗地运送各种武器,装备他们的一切敌人一击肯能成为他们敌人的人们。
所有这些东西应该用巧妙的和不易察觉的方式加以培养,使之开出闲言的花朵。只有少数人才能猜测到或者甚至懂得正在发生什么事情,但是我们将设法使这些人处于无能为力的地位,使他们成为大众嘲笑的对象,我们一定能够找到诽谤他们和宣布他们成为社会渣滓的方法。——引自《战后国际关系原则》美国前忠言情报局局长艾伦·杜勒斯
我们要(他们)嘲笑诚实和正派,使之成为(社会主义国家)谁也不需要的愚蠢东西,成为过去时代的残余。要促使社会主义国家变成“粗野、撒谎、酗酒和吸毒的国家”要促使(他们)相互之间出于本能的猜疑,反复无常,民族主义和各族人民相互敌视,首先是对本国人民的敌视和仇恨等等。——引自《战后国际关系原则》美国前忠言情报局局长艾伦·杜勒斯
一、尽量用物质来引诱和败坏他们的青年,鼓励他们藐视、鄙视、进一步公开反对他们原来怕受的思想教育,特别是共产主义教条。替他们制造对色情奔放的兴趣和机会,进而鼓励他们进行性滥交,让他们不以肤浅、虚荣为羞耻。一定要毁掉他们强调过的刻苦耐劳精神。
二、一定要尽可能,做好传播工作,包括电影、书籍、电视、无线电波······和新式的宗教传播。只要他们向往我们的衣、食、住、行、娱乐和教育方式,就是成功的一半。
三、一定要把他们青年的注意力,从以政府为中心的传统引开来。让他们头脑集中于:体育表演、色情书籍、享乐、游戏、性犯罪的电影,以有宗教迷信。
四、时常制造一些无事之事,让他们的人们公开讨论。这样就在他们的潜意识中种下了分裂的种子。特别要在他们的少数民族里找好机会,分裂他们的地区,分裂他们的民族,分裂他们的感情,在他们中间只在新仇旧恨,这时完全不能忽略的策略。
五、要不断制造消息,丑化他们的领导。我们的记者应该找机会采访他们,然后组织他们自己的言辞来攻击他们自己。
六、在任何情况下都要宣扬民主,一有机会,不管是大型小型,有形无形,都要抓紧发动民主运动。无论在什么场合,什么情况,我们都要对他们(政府)要求民主和人权。只要我们每一个人都不断的手同样的话,他们的人民就一定会相信我们说的是真理。我们抓住一个人是一个人,我们占住一个地盘是一个地盘。
七、要尽量鼓励他们(政府)花费,鼓励他们想我们借贷。这样我们就有十足的把握来摧毁他们的信用,使他们的货币贬值,通货膨胀。只要他们对物价失去了控制,他们在人们的心目中就会完全垮台。
八、要以我们的经济技术优势,有形无形地打击他们的工业。只要他们的工业。在不知不觉中瘫痪下去,我们就可以鼓励社会动乱。不过我们表明上非常慈爱地区帮助和援助他们,只要他们(政府)就显得疲软,一个疲软的政府,就会带来更大的动乱。
九、要利用所有的资源,甚至举手投足,一言一笑,都足以破坏他们的传统价值。我们要利用一切来毁灭他们的道德人心。摧毁他们的自尊自信的钥匙,就是尽量打击他们刻苦耐劳的精神。
十、暗地运送各种武器,装备他们的一切敌人一击肯能成为他们敌人的人们。
所有这些东西应该用巧妙的和不易察觉的方式加以培养,使之开出闲言的花朵。只有少数人才能猜测到或者甚至懂得正在发生什么事情,但是我们将设法使这些人处于无能为力的地位,使他们成为大众嘲笑的对象,我们一定能够找到诽谤他们和宣布他们成为社会渣滓的方法。——引自《战后国际关系原则》美国前忠言情报局局长艾伦·杜勒斯
我们要(他们)嘲笑诚实和正派,使之成为(社会主义国家)谁也不需要的愚蠢东西,成为过去时代的残余。要促使社会主义国家变成“粗野、撒谎、酗酒和吸毒的国家”要促使(他们)相互之间出于本能的猜疑,反复无常,民族主义和各族人民相互敌视,首先是对本国人民的敌视和仇恨等等。——引自《战后国际关系原则》美国前忠言情报局局长艾伦·杜勒斯
在现今中国社交媒体网站上看到有大批不良势力活跃网络各个角落,妄图分化人民与人民,人民与党,人民与政府之间的纽带关系,引导舆论,不由得让人想到了美国前国务卿杜勒斯和平演变的《十条诫令》,值得每个中国人深思。
《十条诫令》原文附下:
一、尽量用物质来引诱和败坏他们的青年,鼓励他们藐视、鄙视、进一步公开反对他们原来所受的思想教育,特别是共产主义教育。替他们制造对色情奔放的兴趣和机会,进而鼓励他们进行性的滥交。让他们不以肤浅、虚荣为羞耻。一定要毁掉他们强调过的刻苦耐劳精神。
二、一定要尽一切可能,做好传播工作,包括电影、书籍、电视、无线电波……和新式的宗教传播。只要他们向往我们的衣、食、住、行、娱乐和教育的方式,就是成功的一半。
三、一定要把他们青年的注意力,从以政府为中心的传统引开来。让他们的头脑集中于体育表演、色情书籍、享乐、游戏、犯罪性的电影,以及宗教迷信。
四、时常制造一些无事之事,让他们的人民公开讨论。这样就在他们的潜意识中种下了分裂的种子。特别要在他们的少数民族里找好机会,分裂他们的地区,分裂他们的民族,分裂他们的感情,在他们之间制造新仇旧恨,这是完全不能忽视的策略。
五、要不断制造消息,丑化他们的领导。我们的记者应该找机会采访他们,然后组织他们自己的言辞来攻击他们自己。
六、在任何情况下都要宣扬民主。一有机会,不管是大型小型,有形无形,都要抓紧发动民主运动。无论在什么场合,什么情况下,我们都要不断对他们(政府)要求民主和人权。只要我们每一个人都不断地说同样的话,他们的人民就一定会相信我们说的是真理。我们抓住一个人是一个人,我们占住一个地盘是一个地盘。
七、要尽量鼓励他们(政府)花费,鼓励他们向我们借贷。这样我们就有十足的把握来摧毁他们的信用,使他们的货币贬值,通货膨胀。只要他们对物价失去了控制,他们在人民心目中就会完全垮台。
八、要以我们的经济和技术优势,有形无形地打击他们的工业。只要他们的工业在不知不觉中瘫痪下去,我们就可以鼓励社会动乱。不过我们必须表面上非常慈爱地去帮助和援助他们,这样他们(政府)就显得疲软。一个疲软的政府,就会带来更大的动乱。
九、要利用所有的资源,甚至举手投足,一言一笑,都足以破坏他们的传统价值。我们要利用一切来毁灭他们的道德人心。摧毁他们自尊自信的钥匙,就是尽量打击他们刻苦耐劳的精神。
在美国中央情报局极其机密的“行事手册”中,关于对付中华人民共和国的部分最初撰写于中美严重对立的1951年,以后随着中美关系的变化不断修改,至今共成十项,内部代号称为《十条诫令》。直到最近才被揭密。我们看完后简直大吃一惊!美国和平演变的阴谋太可怕了!
十条诫令转述如下
一、尽量用物质来引诱和败坏他们的青年,鼓励他们藐视、鄙视、进一步公开反对他们原来所受的思想教育,特别是共产主义教条。替他们制造对色情奔放的兴趣和机会,进而鼓励他们进行性的滥交。让他们不以肤浅、虚荣为羞耻。一定要毁掉他们强调过的刻苦耐劳精神。
二、一定要尽一切可能,做好传播工作,包括电影、书籍、电视、无线电波……和新式的宗教传播。只要他们向往我们的衣、食、住、行、娱乐和教育的方式,就是成功的一半。
三、一定要把他们青年的注意力,从以政府为中心的传统引开来。让他们的头脑集中于:体育表演、色情书籍、享乐、游戏、犯罪性的电影,以及宗教迷信。
四、时常制造一些无事之事,让他们的人民公开讨论。这样就在他们的潜意识中种下了分裂的种子。特别要在他们的少数民族里找好机会,分裂他们地区,分裂他们的民族,分裂他们的感情,在他们之间制造新仇旧恨,这是完全不能忽视的策略。
五、要不断制造消息,丑化他们的领导。我们的记者应该找机会采访他们,然后组织他们自己的言辞来攻击他们自己。
六、在任何情况下都要宣扬民主。一有机会,不管是大型小型,有形无形,都要抓紧发动民主运动。无论在什么场合,什么情况下,我们都要不断对他们(政府)要求民主和人权。只要我们每一个人都不断地说同样的话,他们的人民就一定会相信我们所说的是真理。我们抓住一个人是一个人,我们占住一个地盘是一个地盘。
七、要尽量鼓励他们(政府)花费,鼓励他们向我们借贷。这样我们就有十足的把握来摧毁他们的信用,使他们的货币贬值,通货膨胀。只要他们对物价失去了控制,他们在人民心目中就会完全垮台。
八、要以我们的经济和技术优势,有形无形地打击他们的工业。只要他们的工业在不知不觉中瘫痪下去,我们就可以鼓励社会动乱。不过我们必须表面上非常慈爱地去帮助和援助他们,这样他们(政府)就显得疲软。一个疲软的政府,就会带来更大的动乱。
九、要利用所有的资源,甚至举手投足,一言一笑,都足以破坏他们的传统价值。我们要利用一切来毁灭他们的道德人心。摧毁他们的自尊自信的钥匙,就是尽量打击他们刻苦耐劳的精神。
十、暗地运送各种武器,装备他们的一切敌人,以及可能成为他们敌人的人们。
美国尼克松总统写下这样一本书《不战而胜》,理论来自中国的孙子兵法。
他在书中,这样说:"当有一天,中国的年轻人,已经不再相信,他们老祖宗的教导和他们的传统文化,我们美国人,就不战而胜了……”
美国在预谋,和平演变中国。他们没动一抢一炮,只用了中国老祖宗的智慧,就想把我们打败。冷静想想,他们教会我们性解放,他们却在反对堕胎。他们让中国人,丧失了家庭责任,但是他们强调一夫一妻,伦理道德。堂堂的美国总统克林顿,他只有一个外遇,都要遭到严厉的弹劾,这说明什么?他们让中国孩子,很快进入了电子时代,我们的父母措手不及,立刻变成文盲。独生子女们,不用辛苦赚钱,就能活的潇洒自由。他们穿名牌,吃饭店,睡酒店,除了朋友,谁都不需要。
毛泽东早就预料到了美国会有此意图,在《毛主席语录》中他曾说过:我们取得了胜利,但是我们不能骄傲。因为胜利,资产阶级也有可能出来捧场。事实证明敌人的武力不能征服我们,有些同志不曾被带枪的敌人征服,他们在敌人面前不愧英雄的称号;但是他们经不起人们糖衣炮弹的攻击,他们在糖弹面前会打败仗。
マジで何様なんだこいつ。
つまり、あなたも統一教会関係者と疑いをかけられる可能性がある。このようなセンシティブな話題に言及するときは、「詳しく知りません」ではなく、「私は統一教会と一切関りがなく彼らの活動に欠片も賛同していません」と表明しておくべきだ。
あのさぁ、もちろん俺は統一教会との関係なんてないけど、仮に統一教会関係者という疑いを一方的にかけられて糾弾されたとしたら、まずいきなり糾弾してきたやつに反感を持つし、自分にとっての加害者であるそいつらが望む言辞なんてそれがどんなものであれ絶対に口にしたくねーよ。
たとえそれが「月がきれいですね」だろうが「このラーメンはおいしいです」だろうが「私は統一教会の関係者ではありません」だろうが、「自分に非がないのに無理やり言わされる」のは絶対に嫌、言わせたければまずお前が先に言いがかりつけてきたことを謝れよ、って思う。なんで俺がそんなこと言わされなくちゃいけないんだ。ふざけるな。
そんなことしてると自分の日記欄がその短文煽りみたいな全く情報価値のない書き込みで埋まっていっちゃうわけじゃん。
自分は増田はある程度まとまった言論を書くところだと思ってる。しかも自分にも備忘録等として益するような文章が理想。
今こそうんこみたいな記事が多いが、原始増田は太陽であったのだ。
だから自分の日記欄を見返すのに短文煽りなんかばっかになっていたら探しづらくて不便なだけ。
自分がした書き込みだとしてもそんなゲロみたいなこと書いた事実はさっさと忘れたいしね。
誰かに反論するって時点でその場しのぎで断片的な言辞になりがちだから。どうしても言いたいことがあって仕方なく書いてしまったときには翌日消す。
誰かの容姿や風体に生理的な気持ち悪さや嫌悪感を感じることから発する「キモい」という言葉と、誰かの行為に対する嫌悪感の表明としての「キモい」という言葉は、個人的にはだいぶ意味が違うと思う。
88cmと8kg氏が挙げてる徳島の事件の犯人が、コンビニの前にいる見知らぬ女子高生を突然自宅に誘ったときに女子高生に言われた「キモい」も、その女子高生を追いかけて暴行した犯人を批判するときに「フェミニストのみなさん」が使った「キモい」も、後者の、行為に対しての「キモい」じゃないだろうか。
だけど、88cmと8kg氏はこの言葉に対して強いトラウマがあることもあって、誰かが後者の意味で「キモい」を使っていたとしても、本人や、彼と同じように「キモい」と言われ続けてきた男性たちの容姿に対する攻撃、差別と受け取っている。そこがフェミニストに対する批判の原点になっている。これって不幸なすれ違いのように思う。
…それとも、88cmと8kg氏が考えるように、容姿への「キモい」と行為への「キモい」は、実際には別物じゃなくて、同じひとつの差別的言辞のバリエーションなんだろうか。たとえば「コミュ障」といわれるようなコミュニケーションの困難さを抱える人が「キモい」と言われるとき、その「キモい」というは言葉の選び方、発し方、間の取り方、喋っている時の様子や表情、醸し出す雰囲気など、言動と挙動をひっくるめた「全体的なありかた」に向けられてて、その点では容姿と行為の間にあるんだろうか。
本人には責がないことで、誰かの容姿や言動や挙動について「キモい」と直接言ったりするのは明らかに攻撃だし差別だと思う。徳島事件の犯人を女子高生やフェミニストやその他の人々が「キモい」と言うことは、どうだろう。「その言葉で傷つく人がいるなら、差別的意図がなくても使うべきでない」という考え方が正解なのかな。
そのころ私は伊東温泉に住んでいた。伊東には川奈に日本一のゴルフ場がある。もっとも、当時は占領軍に接収されていて、日本人は立入ることができなかった。
私の住居から百メートルぐらいのところに尾崎士郎さんが住んでた。士郎さんのところへ出入りする人で、彼の小説の中でカチンスキーとよばれて登場する怪人物がいる。カチンスキーといっても先祖代々の日本人であるが、ゴルフ界で顔の売れた世話人である。私がゴルフ道具を手に入れたときいて、やってきて、
と誘う。
「あそこは日本人が行けないのでしょう」
「普通はそうですが、ボクと一しょなら行けるんです。進駐軍が川奈を接収したとき、司令官に頼まれて、いわれた数だけのゴルフ用具をそろえてやったんです。お礼に何をやろうかといわれたときに、ボクとボクの友だちにゴルフをさせろといってみたんです。よろしい、ではお前とその他七人のお前の友だちはゴルフをしてよろしいということになったんです。七人の名前を書きだしてきましたが、要するに一度に七人以内ならだれでもいいんですよ」
「それは、ありがたいね。じゃア、あなたにゴルフを教えてもらおう」
「ぼくはゴルフをやらないんです。ぼくはゴルフの道具を銀行、会社へ売りこんだり、ゴルフ場の工事を請負ったりしてたでしょう。ボクがヘタでなってないフォームでバカな振り方をやるとお客がよろこんで、つまり、商売のコツだから、ボクは昔からゴルフやらんです。ハハ」
怪人物の言辞はモーローとして心もとないから、私は士郎さんをたずねて、きいた。
「カチンスキー氏が川奈のゴルフ場へ出入できるというのは本当ですかね」
「それは本当だ。とても顔がきくんだ。司令官がでてきて、食堂へ案内してコーヒーをのませるぐらい顔がきくよ」
「イヤ、キミはこまらんよ。司令官が食堂へつれて行くのはカチンスキーだけだ。先日カチンスキーの会社の社長が彼の案内で川奈へ行ったが司令官はカチンスキーだけ食堂へつれて行ってコーヒーをのませてくれて、カチンスキーは二時間ぐらいコーヒーをのんでたそうだ。社長はその間、吹きさらしのゴルフ場へ放ッぽりだされていたそうだよ。キミも食堂へ案内される心配はない」
妙な人物がいるものだ。カチンスキー氏の社長はゴルフを知ってるだろうから、吹きさらしの中で二時間放ッぽりだされても持つかも知れんが全然ゴルフを知らない私はカゼをひくだけの話である。
こういう次第で、日本一のゴルフ場で人のできない練習の機会には恵まれていたが、私は怖れをなして行かなかったのである。
4
一九五二年二月二十九日というハンパな日に、私は群馬県桐生市という赤城山麓の織物都市へ引っ越した。
私は引っ越してくるまで知らなかったが、そこは書上文左衛門という桐生一の旧家で桐生一の富豪の母屋であった。せまい部屋が一ツもない。どの部屋からも一陣の突風が吹き起りそうな広さがあった。
ここを探してくれたのは作家の南川潤である。潤さんはこの母屋に人が住んでいないことを知っていたが、まさか人に貸すとは思わずに、念のため訊いてもらったのだそうだ。すると意外にも実にアッサリ貸してくれたのだそうで、私も引っ越してみて、貸すのが当り前だと思った。
誰かが住んでいなければ、夜な夜な怪風吹き起り、日中といえども台所や座敷などにツムジ風などが起り、ネズミその他のジャングルとなるであろう。かと云って、タダモノの住みこなせる家ではない。第一、当家の人々が奥の方に然るべき住み心持よき家をつくって移住しているほどだ。トラック一台の荷物なぞは、片隅のゴミのようでしかない。
どうしたら人間が住めるであろうかと皆々が思案投首というところへ、文左衛門さんがやってきて、
「山寺のようでしょう」
「まったく、そうです」
「やりません」
「道具があるじゃありませんか」
私は返事をしなかった。ゴルフの道具はある。たしかである。しかし、ゴルフは知らない。たしかである。そのナゼであるかは、何年前かに文六さんのウィスキーの肴にされたテンマツから話をしないと、誰にもわかってもらえない。そして、そのテンマツを語るにはハナシ家が高座で一席うかがうぐらいのイキサツがあって、途中できりあげることも、途中から切りだすこともできない。要するに、返答しない方が無難なのである。
しかし、文左衛門さんはイサイかまわず「私のウチの裏庭にゴルフの練習場があります。戦前に造ったもので、いたんでいますが、練習に差支えはありませんから、御自由にお使いなさい」
言いのこしてさッさと行ってしまった。文左衛門さんはその後私の顔を見るたびに裏庭の練習場を使いなさいとすすめるが、私はかりそめにもゴルフクラブを手にとらなかった。それは文六教祖の訓戒をケンケンフクヨウしているからで、はじめにはプロについて正しいフォームを習いなさい、この一ヶ条だけは守りなさいという。だいたい教祖の言辞が学校の先生や大臣、長官の訓辞よりもなぜ信仰されるかというに、たいがい教祖の訓戒は一ヶ条ぐらいしかない。ここが教祖の自信マンマンたるところで、また実力あるところである。大臣や先生どもの訓辞はとてもこうはいかない。
ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。
だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろ低レベルな事態なんだな」と思ったので書いておく。
以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察のときのハッシュタグの時期のツイートだろう)
この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。
ユーミンは歌手だ。発言自体は政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権を尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。
ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現を生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。
ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。
もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。
だから彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。
第一義的には彼は詭弁家なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストでしかないのだ。
コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越の快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。
彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生がウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。